アギーレの半年間を総括。メキシコ人指揮官は、日本サッカーをどう変えようとしていたのか――。 写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

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 就任からわずか半年で日本代表のハビエル・アギーレ監督が解任された。成績は6勝2分け2敗。先のアジアカップでは、5大会ぶりの準々決勝敗退という結果に終わった。
 
 結果が出ていたとは言い難いが、私はアギーレ監督の手腕を高く買っていた。それはブラジル・ワールドカップで明らかになった日本の課題に、正面から取り組む姿勢が見られたからだ。
 
 ブラジルで明らかになった課題、それは「日本流組織サッカー」の限界だ。
 ザックジャパンは日本サッカー界が大切にしてきた「数的優位」の理論に従い、ゲームを進めようとした。特に香川真司、本田圭佑、長友佑都というトップクラスの才能でトライアングルを組むことによって、ゴールへの突破口を見出した。
 
 つねにグループで状況を解決しようとしたのは、「日本人は個人では勝負できない」という思い込みが根底にある。
 だが、集団性を前面に押し出したサッカーはブラジルで破綻した。それは予想されたことだった。サッカーはいつも数的優位で戦うことはできない。対戦相手が強ければ、複数で囲んでも人数の少ない外側を突かれることになる。
 
 ザックジャパンは、弱い個人を集めて強い組織を作ろうとした。だが、世界の列強は強い個人が強い組織を編んでくる。その違いがワールドカップのコロンビア戦で浮き彫りになった。
 コロンビアの強さ、上手さに翻弄された日本は組織が崩壊し、一人ひとりが一騎打ちで次々と倒されていった。
 
 アギーレが起用したメンバーは、ザックジャパンとほとんど変わらない。柴崎岳と武藤嘉紀が抜擢されたが、アジアカップでレギュラーを張るには至らなかった。
 
 メンバーはほぼ同じ。だがアギーレ監督は、結果的に「アンチザック」ともいえるプレースタイルを打ち出した。
 
 システムは4-2-3-1から4-3-3に変わり、日本代表の試合運びは大きく変わった。
 密集から拡散へ。アギーレのチームは選手間の距離が遠い。
 数的優位から1対1へ。選手間の距離が広がったことで、1対1の局面が増えた。
 横から縦へ。ザック時代は横へ横へとパスをつないでいたが、3トップになったことで自然と縦へのパスが増えた。ゴールに向かう姿勢が確実に強くなった。
 
 これで私がアギーレを支持していた理由が分かっていただけると思う。アギーレの打ち出したサッカーは、それが狙ったものだったのかはともかく、「自分たちのサッカー」に溺れる日本サッカーの病根に鋭くメスを入れるものだったのだ。
 アギーレの4-3-3は、一人ひとりの能力を容赦なく炙り出した。本田や岡崎慎司、遠藤保仁など主力の多くが配置転換された。これで厳しくなったのが香川である。
 
 ザックジャパンは、ある意味で香川の能力を生かすためのシステムが組まれていた。
 ゴールに近いところで、つねにサポートの選手に囲まれながら前を向いて勝負ができた。
 
 だがインサイドハーフに持ち場が変わったことで、彼の世界は一変した。ゴールは遠く、味方も遠い。中央にいるため1対1の守りが求められ、カウンターのリスクが高いため迂闊にドリブルで仕掛けられない……。
 
 仕事もそうしているように、日本人はサッカーでも組織を優先させる。大勢で守り、大勢でつなぎ、大勢で攻める。だが、こうなると失点が誰の責任なのか分からない。個々の責任の範囲が曖昧になるという弊害が生まれていた。
 アギーレはシステムを変えることで、そこをはっきりとさせたのだ。
 
 アギーレは日本サッカーを変える可能性を秘めていた。
「自分たちのサッカー」を解体し、長く日本が目を背けていた、地に足のついた強い個人が強い組織を編む、骨太のサッカーが始まるかもしれない……。そう考えていた矢先の解任劇だった。スポンサー筋がアギーレに拒否反応を示したのだろう。
 
 だが、私はそれほど残念だと思っていない。
 アギーレはいい監督だと思うが、監督が代わるのはよくあること。これもサッカーの一部だろう。
 
 また、いまの日本サッカー界には監督の手腕だけでは補いきれない育成の問題が横たわっているからだ。
 
 Jリーグはチームは増えたが選手が育たず、育成年代の代表チームもアジアで勝てなくなった。
 アギーレ監督はアジアカップで同じメンバーばかり起用したが、気持ちは分かる。アジアカップレベルでも安心して使える選手がJリーグにはいないのだ。同じメンバーに固執しすぎたが、誰が監督をしても似たようなことになったと思う。
 
 普及は上手くいっているのに、良い選手が出てこないというのは、サッカー協会とJリーグの問題だ。特にサッカー協会はビジネスだけが先行して、肝心の強化が疎かになっていた。
 
 今回の解任劇を機に、一から問題を見直すことができるのなら、それも悪くない。あまり期待はできないが。
 
文:熊崎敬