バランガイの体育館にはKUMONと書かれた大きな垂れ幕が下がっている(左)。街を行くトライシクルの後ろにも垂れ幕がある(右)【撮影/志賀和民】

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フィリピン在住17年。元・フィリピン退職庁(PRA)ジャパンデスクで、現在は「退職者の ためのなんでも相談所」を運営しながら、仕事のパートナー一家と一緒に暮らす志賀さんのフィリピンレポート。フィリピン人の数字の弱さはかなりのもの。パートナーの子どもKIANにはぜひ数学が得意になってもらいたい。その願いをかなえるために、KUMONに通わせることになった。

 フィリピーノの数字の弱さには定評がある。サリサリ(街の小売店)のお姉さんで、お釣りの勘定を暗算でできる人にはめったにお目にかかれない。私の良きアシスタント役として活躍してくれているKIANのお姉さんのキム(18歳)はたいへん優秀だが、数学の話題になると顔をそむける。フィリピンの大手弁護士事務所シシップ・サラサールの辣腕弁護士も数字の話になってくるとパニクってしまった。

 先日読んだマニラ新聞に、この件について面白い話が載っていた。米紙ウォールストリート・ジャーナルの記事で、米国の心理学者や教育学者の研究成果だそうだが、要は英語そのものが数字を理解するのに不向きで、英語圏すなわち米英あるいはフィリピンではそれがハンデキャップとなっているというのだ。アメリカ人の数字の弱さは、確かに定評がある。

 たとえば11はイレブン、12はトゥエルブなど独立した単語だが、日本語などでは十と一あるいは十と二で表現し、これらが二桁の数であることがよく理解できる。さらに英語は17や18はセブンティーンあるいはエイティーンと表現され、70あるいは80のセブンティあるいはエイティときわめて取り違えやすく、しかも十進法の一の位と十の位が、十台とそれ以上では逆転していてきわめて理解しづらい。

 新聞記事はそこまでだが、さらに掛け算に至っては、日本の九九と英語のそれでは圧倒的な違いがある。英語では9x9=81をナイン・タイムズ・ナイン・イコール・エイティーワンなどと長ったらしい読み方をするが、日本語なら九九八十一(ククハチジュウイチ)のひと言で済む。

 フィリピーノは英語で算数の授業を受けるので、まず十以上の数字、十進法の理解と足算に苦しみ、さらに九九で挫折して、それ以降、大多数の生徒が一生、算数・数学には無縁の生活を送ることになる。だからKIANには、数字や九九を日本語で覚えさせたいと思っているくらいだ。また、フィリピンでも普及している公文式ではどのように算数やABCを教えているのかいたく興味を持っている。場合によっては、公文に通わせることも考えている。

数字に弱いフィリピーノ

 数字に弱いということは、英語圏ではごく普通のことであり、社会生活を送っていくうえでとくに弊害とならないようだが、逆に得意であったとしたら、大いなるアドバンテージとなる。そのため、KIANを算数好きな子どもにぜひ育てたいと思っている。

 ずっとそんなことを考えていたのだが、昨年の12月末からKIANがいよいよ公文(KUMON)に通い始めた。公文式というのは以前から名前だけは聞い ていたが、具体的にはいったい何なのかよく知らなかった。しかしだいぶ前に、仕事柄付き合いのあったインドネシアの石油省(ペルタミナ)の高官が日本に来 て、子どものために公文式の教科書を買い漁っていたのが印象に残っていた。そしてフィリピンでも、やたらと公文の文字が目に付くようになった。

 数字に弱いフィリピーノばかりの中で、せめて平均的な日本人くらいの算数の力があったら周囲に尊敬され、女の子の憧れの的になるだろう――そんな話をしてKIANの両親を説得したら、二つ返事で公文に通わせることに同意してくれた。ただし学費は私持ちという条件付きだ。

 実はその前に、トランプやサイコロ、碁や将棋でKIANに数字の概念を植えつけようと試みたが、KIANが理解できるのは数字の3までで、それ以上となると単に言葉として数字を唱えるだけだ。頭の中のイメージは「たくさんMany」というものなのだろう。だからルールに従ってゲームをやるなんて程遠い。

 トランプをめくって数字の大小で勝ち負けを争うという簡単なゲームでも、スペードのエースが最強と知って、それを手離そうとしない。そこで数字の概念を把握させるという困難な教育はプロに任せたほうが間違いないと、公文ということになった。公文ならば2歳の子どもでも入学できるそうで、きっと数字そのものの概念を植えつけてくれるに違いないと期待できる。

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