岡崎慎司 (撮影/岸本勉・PICSPORT)

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 PK戦はフットボーラーのロシアン・ルーレットだ。運やツキが配合され、力関係が結果に表れないことがある。

 アジアカップの準々決勝で対戦したUAEは、典型的な中東のサッカーを、自分たちを格下と認めるサッカーをやってきた。カウンターに活路を見出して先制点を奪い、その後は芝生に食い込むくらいディフェンスに軸足を置いてきた。
 
 日本は前半からチャンスを作った。この試合最初の決定機は、キックオフ直後の乾のコントロールショットだった。

 7分に先制されたものの、そこから乾、武藤、森重、香川、長谷部、豊田、香川が決定的なシュートを浴びせた。80分に柴崎が決めたゴールは、この試合9度目の決定機だった。

 その後も得点機を生み出したが、追加点を奪うことはできなかった。90分以内はもちろん延長戦でも2点目を決められなかった時点で、敗戦は忍び寄っていた。チャンスを逃した代償は、どこかで支払うことになるものである。
 
 個人的にはブラジルW杯が重なった。

 ポゼッションを決定機に結びつけたのは、W杯との大きな違いである。景色がかぶったのはバックパスの多さであり、CBのボールタッチ数の多さであり、岡崎のプレーである。

 4−3−3のCFにも関わらず、UAE戦の岡崎はシュートがなかった。シュートへ持ち込めるシーンがなかったのだ。ブラジルW杯でも、コートジボワール戦とギリシャ戦でシュートゼロに終わっている。
 
 得点をあげるという意味で、岡崎はチームでもっとも信頼の置ける選手だ。その彼が、およそ70分の出場時間でシュートゼロに終わってしまう。もったいない。あまりにもったいない。
 
 代わって出場した豊田も、得意の形へ持ち込むのに苦慮した。動き出しと動き直しを繰り返しても、ゴール前へクロスが入ってこない。ヘディングシュートは1本だけだった。

 チームとして決定機を作れていたとはいえ、ストライカーがチャンスに恵まれない事実を見過ごしていいのだろうか。僕にはそうは思えないのだ。コンビネーションやパスワークに崩しのバリエーションが偏り、最前線で構えるストライカーが流れから置き去りにされてしまうのは、見栄えはいいが怖さのないサッカーである。
 
 チームの立ち上げ段階では、ゴール(結果)よりもチャンス(過程)に眼が向けられがちだ。チャンスは作れている、あとは決めるだけだ、といったぐあいに。
 
 酒井高と乾を除く9人の先発メンバーは、ブラジルW杯でも主力を担った。チームとしての練度は高い。コンビネーションやパスワーク、さらにはセットプレーでチャンスを作れるのは当然と言っていい。アギーレ監督指揮下のゲームも、UAE戦で2ケタに到達した。チャンスという過程を評価する時期ではないだろう。
 
 決めきれば勝っていた試合だが、そもそも日本は決めきる力は高くない。それだけでなく、決めきる力を持つ岡崎の得点能力を、生かしきれていない。PK戦までもつれるのは、避けられなかっただろう。やるべきことをやらない詰めの甘い強者に、PK戦はしばしば厳しい現実を突きつけるものである。