この後、日本は準決勝でサウジアラビアに敗れて3位決定戦に回り、韓国との対決で再びPK戦に突入したが、ここでは宿敵に根負けするかたち(6人目の羽生直剛だけが失敗)で4位に落ち着いた。
 そして、まだ記憶に新しい(人も多いだろう)前回11年大会の準々決勝では、開催国カタールと起伏の激しい戦いを繰り広げた。
 
 この時も、日本は先制を許す。簡単に左サイド深くに侵入され、DFもフェイントであっさりかわされてゴールを破られた。序盤戦でリードを許した日本は、しかし本田圭佑の縦パスで抜け出した岡崎慎司がGKの頭上を抜き、これを香川真司が詰めて同点に追いつく。
 
 ここから勢いに乗っていくと思われたが、63分、日本は吉田麻也が退場処分。さらにここで与えたFKを、GK川島永嗣のポジショニングの拙さもあって決められてしまった。開催国相手に、ひとり少なくなり、しかも最悪のタイミングで失点……雲行きは一気に怪しくなった。
 
 しかし、アルベルト・ザッケローニ監督の下で“勝ち癖”のついていた当時の日本は、数的不利を感じさせないプレーでカタールに迫り、70分に香川がDFラインの裏に抜け出して左から力強く同点ゴールを突き刺す。
 
 そして89分、今度はまたも香川が抜け出してシュートチャンスを得る。これは相手守備陣がファウル覚悟のチャージで防ぐも、ボールがこぼれた先には伊野波雅彦が完全フリーの状態で待ち受けていた。
 
 この試合、自らのミスで招いた危機が多かったとはいえ、それらを克服した日本は自信を深め、準決勝では韓国をPK戦で下し、決勝ではオーストラリアでは延長戦にもつれ込む激闘の末に、李忠成の鮮やかなボレーで史上最多4度目の優勝を果たしたのだった。
 
 準々決勝でなぜ、(それが不完全なものであっても)印象的な試合が多いのか。ノックアウトラウンドの初戦という緊迫したムードのなか、失点を避けたいという慎重さと、得点を奪って勝つための大胆さが絶妙に入り混じり、他のラウンドとは異なる展開を生み出すのかもしれない。
 
 ただ、前述の3つの戦いとは対照的に、00年大会のイラクとの準々決勝では、比較的容易に日本は勝利を奪っている。ここでもやはり、序盤に先制点は奪われてしまったが、そこから4ゴールを奪って、Aマッチでは5度目の対決で対イラク初勝利を飾ったのだ。
 
 ちなみに同点弾は、中村がペナルティエリア前でのFKを逆サイドにライナーでパスを送り、これを名波浩がボレーで突き刺すという、天才レフティふたりによる、日本サッカー史に残るほどの美しい一撃だった。
 
 一方、準々決勝で敗れた唯一のケースは96年。中東の雄・クウェートにはAマッチ過去3戦で一度も勝利がなかった日本だが、前回王者として歴史を変える勝利が期待されていた。しかし、幾度か訪れた得点機を活かせず、逆に日本のミスを見逃さないクウェートに2ゴールを許して完敗。いまだ、日本はこのカードで未勝利&無得点である。
 
 なお、準々決勝ではないが、ノックアウトラウンド初戦ということでは、92年大会の準決勝は非常に盛り上がった。ここでも先制点は相手の中国だったが(しかも開始1分!)、福田正博のゴールで追いつき、北澤豪が勝ち越し弾を豪快に決めた。
 
 勢いからいってそのまま日本快勝となるはずが、GK松永成立が挑発に乗って相手を蹴り上げて退場。代わりにゴールマウスに立った前川和也はイージーなクロスを後方にこぼして中国の同点を許してしまう。しかし不穏なムードを打ち破ったのは、試合終了数分前に完璧なヘッドを決めた中山雅史だった。
 
 この後、日本は決勝でサウジアラビアを下して初優勝を飾ることになるが、試合内容としては中国戦のほうが、観る者の心を震わせたと言ってもいい。
 
 Jリーグ開幕前年という日本サッカーが躍動していた時期の、最も盛り上がった一戦。あるいは、日本のアジアカップ史上で、最も熱い戦いだったと言えるかもしれない。