04大会。1番手・中村は軸足を滑らせてPKを大失敗。しかしここから、驚きのドラマが始まった。 (C) SOCCER DIGEST

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 1月23日、日本は準々決勝でUAEと対戦する。ヨルダン戦から中2日という厳しい状況のなかで、ノックアウトラウンド初戦を迎えるのだ。
 
 さて、日本は初優勝を遂げた1992年大会以降、全ての試合でベスト8以上に勝ち残ってきた。6大会の成績の内訳は、優勝4回(!)、4位が1回、そしてベスト8止まりが1回である。
 
 96年大会以降は出場国が8から16に増え、優勝するためには6試合を戦わなければならないが、日本は不思議なことに、どの大会でも準々決勝で印象に残る激戦を演じることが多い。これは完璧な勝利を見せたということではなく、むしろ隙を突かれて窮地に立たされるも、そこから逆襲して勝利を奪うという意味での印象の強さである。
 
 過去6大会のなかで、最も“劇的”という言葉がふさわしい一戦は、2004年、中国の重慶で行なわれたヨルダン戦だろうか。右サイドを崩されて先制を許し、中村俊輔のFKをGKが弾いたところを鈴木隆行が詰めて同点してからは、ともに得点チャンスを得ながら、一進一退の攻防が続いた。
 
 地元観衆が全てヨルダンの応援に回ったことから、日本にとっては完全アウェーの環境となった一戦。ハイライトはPK戦だった。先攻の日本は1番手の中村、続けて三都主アレサンドロが枠を外す。正確な左足を持つふたりがコントロールを乱したのは、プレッシャーだけが原因ではなかった。
 
 ペナルティスポット周辺の芝が剥がれやすく、日本のふたりは軸足が滑ってしまっていた。キャプテンの宮本恒靖は公平性を訴えてフィールドのチェンジを求めると、マレーシア人のスブヒディン・モハマド・サレー主審はこれを受け入れる。
 
 しかし、その後もヨルダンは3人までが全員成功。日本が崖っぷちにいることに変わりはなかったが、GK川口能活の目は死んでいなかった。ヨルダンの4人目のキックを懸命に腕を伸ばして触れると、ボールはコースを変えてクロスバーを叩く。そして日本が3人連続で決めた後、ヨルダンの5人目は枠を外した。
 
 土壇場で追いついた日本だが、試練は続く。サドンデスの6人目、中澤佑二が止められてしまった。まさに絶体絶命…。しかし、ここで再び日本の守護神が神業を見せる。またも指先でコースを変え、ボールはクロスバーに弾き出されたのである。
 
 ヨルダンにとっては、とてつもなくゴールが狭く感じたことだろう。運命の7人目、宮本が冷静に決めたのに対し、ヨルダンはキッカーがぎりぎり隅を狙った結果、川口の逆を突いたものの、ボールはポストを直撃。日本は土俵際で踏ん張り、大逆転勝利を飾った。このドラマチックな一戦を経て、日本はこの大会、3度目のアジア制覇を果たすこととなる。
 
 PK戦といえば、続く07年大会の準々決勝も忘れられぬ激闘となった。相手はオーストラリア。前年のドイツ・ワールドカップでは、大いに失望を味わった相手である。
 
 試合は、ジョン・アロイージのゴールで先制されるも、その3分後に高原直泰が鮮やかな切り返しからゴールを破って同点。75分にはヴィンス・グレッラの退場で日本は数的優位に立ったものの、フィニッシュの拙さや相手の好守もあってスコアは動かず、120分間の攻防の後、勝敗はPK戦に持ち越された。
 
 当時のイビチャ・オシム監督は、PK戦を“見ない”ことで有名であり、この試合で蹴る順番を決め、選手に指示(と激励?)を与えた後、ひとりロッカールームに引き上げていった。
 
 この11メートルの対決で再びヒーローとなったのが川口。先攻オーストラリアの10番・ハリー・キュウェル、キャプテンのルーカス・ニールと連続で止める。3人目以降は全員に決められたものの、日本は高原が失敗しただけで、この勝負を制した。