会議の政治学 

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一般に、行政機関から諮問を受け、それに答申を行う諮問会議を、審議会という。行政マンにとって、審議会関連の仕事は、必ずや経験する業務の1つだ。この審議会については、平成9年(1997年)12月の中央省庁改革に関する行政改革会議の最終報告で、「審議会(国家行政組織法第8条に基づいて設置された審議会等をいう。)や懇談会等行政運営上の会合は、行政の民主化や専門知識の導入において従来一定の役割を果たしてきたが、その数が膨大になり、いわゆる隠れみのになっているのではないかとの批判を招いたり、縦割り行政を助長するなど、その弊害も目立つようになってきている。こうした問題点を解決し、行政責任を明確にするため、従来の審議会等を思い切って整理し、設置は必要最小限にとどめるとともに、その運営の改善を図る。」とされて、かなりの制度改革・運用改善がなされた。しかし、その後も「諮問会議委員〜肩書コレクターの玩具」といった批判(「選択」編集部編 「日本の聖域(サンクチュアリ)」(新潮文庫 2012年))を浴びせられ続けてきている。

各種審議会座長などの経験踏まえ

審議会の実態について、自らの審議会経験を踏まえて、専門の行政学の立場から考察を加えた画期的な労作が、森田朗著「会議の政治学」(慈学社出版 2006年)であった。森田氏は、その後の各種の審議会の座長などの経験も踏まえて、前著に引き続き、「ものごとを決める会議という場を通じて現れた人間の政治的な側面を探ってみた」として、このたび、「会議の政治学 供廖併学社出版 2014年)を世に問うた。

民主党の政権交代を経て、審議会が変化したのかどうか。本の帯には、「『隠れ蓑』の実態に迫る!」とある。

第1章「会議の作法」の冒頭で示す、「独断と公論、正解はない」との見方に、現実感覚あふれる碩学の見識をみる。「現実の行政制度においては、体系的でまとまった内容の決定を行うため、一人の人間に決定権限を集中させる"独任制"が中心であり、会議という合議による決定はむしろ例外である。」が、「一人で決めることはときに危険であるし、能力的にも限界がある。そこで実際には、関係者等の意見を聞き、彼らの議論を踏まえて決定が行われることが多い。」と、独任制の危険や欠陥をカバーする審議会の存在意義を指摘する。「三人寄れば文殊の知恵」というのはやはり一面の真実だ。

民主党政権で現れた変化

第2章「『顔』の政治学」は、審議会だけでなく、様々な会議の運営において普遍的な事柄への洞察である。委員の「顔」すなわち、参加者の自尊心を安定させておくことが会議成功の秘訣だと喝破する。限られた時間で、会議の結論を得ることが目的となっている中で、そのためには、座長を含めた参加者の「顔」をたてることだ。審議会が「ハレの場」であることを、裏方としても改めてかみしめる。

第3章「諮問会議と御前会議」では、民主党の政権交代後、大臣などの政治家(決定権者)が、審議会に出席することが増え、江戸の殿様の前で家臣が意見を具申し合う「御前会議」化し、委員が、決定者の顔色を窺うようになり、政治と審議会の距離は縮まったが、専門性や中立性を失い、難しい政治的決定の「前さばき」の役割を果たしにくくなっているという。この問題は、官僚制に対するあるべき民主的統制を研究する、アメリカ生まれの学問である行政学においても永遠の課題だとする。

肯定・否定のいずれの側でも、「審議会」に関心のある向きには、必読のシリーズである。

経済官僚(課長級)AK