いよいよアジア杯の予選リーグも大詰め、決勝トーナメント進出に向け、ファンの気分も上がってきたところだろう。

そこで、今までの激闘を振り返り、忘れかけつつある歴史をプレイバック、モチベーションをあげるべく今再び検証しよう! 第1回は2000年、フランスW杯メンバーと黄金世代が融合し圧倒的な強さをアジアに見せつけたトルシエジャパンの栄光だ。

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2度目の優勝を果たしたこのレバノン大会、日本は結果だけでなく、破壊力のある攻撃で強いインパクトを残した。

テンポよくパスを回し、わき出るように次々と選手がゴール前へ飛び出していく。そんな分厚い攻撃で、アジアのライバルたちを次々と血祭りに上げたのだ。グループリーグではサウジアラビアを4−1、ウズベキスタンを8−1で破るなど、その強さは衝撃的ですらあった。

準決勝の中国戦では一時、1−2と逆転される場面もあったが、西澤明訓(あきのり)の、明神智和のゴールであっさり逆転。実力の差は歴然だった。連戦の疲れもあり、決勝のサウジアラビア戦こそ中村俊輔のFKに望月重良(しげよし)が合わせた1点だけの辛勝だったが、大会を通して見れば、日本の力はずぬけていた。

この大会の日本は、全6試合で21ゴールを量産。素晴らしい得点がいくつも生まれているが、なかでも印象深いのは、準々決勝イラク戦での名波浩のボレーシュートだ。

この試合、日本は試合開始早々の4分に思わぬ先制を許した。浮足立ってもおかしくない展開である。ところが、失点のわずか4分後、ペナルティエリア付近で得たFKを中村が直接狙わず、ちょこんと浮かせて左へパス。すると、走り込んできた名波がこれを豪快に左足ボレーで叩き込み、いとも簡単に同点に追いついてしまったのだ。

「どうだ、見たか!」と言わんばかりのシュートは、力の違いを見せつけるには十分すぎる一発だった。

名波はこの大会で攻守にチームを牽引(けんいん)し、大会MVPを獲得。若い中村をうまくサポートするなど、チームリーダーとしても抜群の存在感を発揮した。

チームを率いたフィリップ・トルシエはU−20代表からA代表まで3世代の日本代表監督を兼任し、特に若い世代を積極的に活用。上は川口能活(よしかつ)、森島寛晃、名波ら2年前のW杯フランス大会を経験したメンバーから、下は1979年生まれの?黄金世代?をはじめとするシドニー五輪組まで、世代の融合をうまく進め、強い日本代表をつくり上げた。

ちなみに、この大会に当時の日本のエース、中田英寿は出場していない。その頃、中田はセリエAのローマに所属しており、前月に行なわれたシドニー五輪に出場したこともあって(ベスト8敗退)、招集を辞退していたからだ。

にもかかわらず、2年後に迫った日韓W杯へ向け、大きく期待が膨らむ圧勝劇ーー。その後、日本は翌年のコンフェデレーションズ杯で準優勝。そして、日韓W杯では史上初の決勝トーナメント進出を果たすのである。

(取材・文/浅田真樹)

■週刊プレイボーイ5号(1月19日発売)「サッカー日本代表 アジア杯 『伝説の瞬間』!!」より(本誌では、オフトジャパンの初優勝からザックジャパンでの李のスーパーボレー弾まで一挙紹介!)