「NHKオンライン/NHK経営委員会 経営委員紹介」より

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 今月7日、爆笑問題がNHKの正月お笑い番組での「政治家ネタ」を事前にボツにされていたことをレギュラーラジオ番組で暴露。「NHKの内部圧力か?!」と騒ぎになったことは記憶に新しい。翌日8日に開かれたNHKの定例会見では、籾井勝人会長が同件の関与を否定しつつ「お笑いで、個人を打撃するのは品性がない」などと語り、爆笑問題も翌週 13日のラジオ番組で「事前の打ち合わせで了承済みのことで、NHKに限ったことでもないし、言論統制ではない」と発言。何とも歯切れの悪いオチがついた。

「またNHKか」。正直、この手のニュースにもう今さら驚かなくなっている人も多いだろう。昨年1月に籾井氏が会長に就任して以来、毎月、いや毎週のようにNHKの不祥事ニュースが飛び込んでくる。会長就任会見で、「政府が右と言っているものを左と言うわけにはいかない」と語り、特定秘密保護法に関する報道の極端な少なさを指摘されれば「一応(法律が)通っちゃったんで、言ってもしょうがないんじゃないか」と悪びれず言ってのけた籾井氏。公共放送の基本理念を真っ向から否定する会長のもとでは、ネタの自粛規制など日常茶飯事であることは容易に想像がつく。

 昨年末に出版された『NHK新版 危機に立つ公共放送』(松田浩/岩波新書)は、NHK研究の第一人者である著者が、戦後70年におけるNHKと政治介入の歴史、その構造を明確に指摘した重要な一冊だ。2005年に出版したものを大幅に加筆修正、「緊急出版」した。 戦時中、「国営放送」として政府のプロパガンダ放送を行ってきたことの深い反省から、不偏不党、自主自律の「公共放送」として生まれ変わったはずのNHK。だがその戦後史を紐解けば、戦後も政治権力と無縁でなかったことがよくわかる。

 1981年、ロッキード事件関連番組で政治関連部分の一部が圧力によってカットされた「ロッキード・三木発言カット事件」や、まだ記憶に新しい、2005年発覚の「ETV 問われる戦時性暴力」(放送は01年)に対する「番組改変」事件など。常に政治権力に翻弄されてしまうNHKの「体質」をていねいに分析しながらも、「現在のような露骨な状況は戦後の歴史始まって以来」と強く警鐘を鳴らしている。その発端として指摘されているのが、会長人事に先立って行われた、一昨年10月のNHK経営委員の選任人事だ。

 毎週のように歴史修正主義発言とヘイトスピーチをツイッターで量産する作家の百田尚樹氏、保守系団体「日本会議」の代表委員で埼玉大名誉教授の長谷川三千子氏は、2012年に立ち上げられた「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」のメンバー。その他にも、安倍総理の元家庭教師だった、日本たばこ産業顧問の本田勝彦氏など、首相と極めて近い立場にいる人物たちの経営委員任命は「総理のお友だち人事」と批判された。だがこれは、単なる「仲良し」をNHKに送り込んだというだけの話ではない。

 経営委員会は、会長の任命・罷免権ほか重要な権限を持つNHKの最高意志決定機関で、その審議決定は経営委員12名のうち9名以上の承認を必要とする。つまり、総理の「お友だち」4人がいれば、総理の意にそぐわない決定は簡単に阻止できるということだ。

 経営委員によって「民主的」に選ばれた会長には、副会長や理事、放送総局長などの任命権がある。籾井会長は就任直後に、まず理事10名に日付を空白にした辞表の提出を要求し大きく批判されたが、その後も着々と新人事に着手。局内の全番組を統括する放送総局長や、放送の指針を決める経営企画統括、海外に向けて国策や政策をアピールする場でもある国際放送の統括など、重要ポストの人事を、極めて安倍政権に近しい人物で固めている。

 NHKのホームページには過去の経営会議の議事録が公開されているが、会長就任直後の人事采配に関する、4月22日の議事録はさながらドラマのような「炎上」ぶりだ。退任する理事が会長就任以来のNHKの「異常事態」を涙ながらに訴え、事前の報告なしに人事采配の決定事項を報告する会長を強く批判。だが、籾井氏はどこ吹く風で、その決定を「会長の専権事項」と押し切っている。

 さらに昨年6月には、通例として年に1度だった局内一般職の人事を、「今後は必要に応じて随時行う」と職員向けのサイトで報告。これは実質的には「気に入らなければいつでも飛ばすぞ」宣言に等しく、職員をますます萎縮させる効果を生んでいる。冒頭の爆笑問題の一件も、春の人事異動を前にした現場の「自粛」もあったのではないかという声もある。

「番組改変なんて危険な橋を渡る必要なんてもうないですよ。人事を押さえてしまえば、あとはNHKの伝統芸である〈忖度〉気質が作用して、いとも簡単に安倍放送局の一丁上がり」。ある職員は自嘲的にこう語る。

 実際、第二次安倍政権後のNHKの報道姿勢は、目に見えるかたちで急激に変化している。特に顕著なのが、「ニュースウォッチ9」に代表されるニュース報道だ。NHKのOBを中心とする市民団体「放送を語る会」が昨夏行った調査によれば、7月1日の集団的自衛権閣議決定までの1ヶ月半の間に、同番組が集団的自衛権を扱った総放送時間は167分。その7割が、与党協議や首相・政府関係の動きを伝えたもので、反対の立場の意見はわずか33秒。抗議デモの映像は総計44秒のみだったという。大越健介キャスターのコメントも「自衛隊の活動は(アメリカへの)協力だけではなく、日本への脅威を抑止する性格が強まる」と、まるで政府見解のような解説ぶりだった。他のニュース番組でも、安倍総理の演説などの動向や、インタビューなどが目に見えるかたちで増え、つい先日も、フランスでの新聞社襲撃テロや沖縄・辺野古での基地工事強行など、国内外で重大事件が勃発するなか、静養中の安倍総理が岸信介の墓参りをする映像を放映。「さすが安倍さまの犬HK」とネットでも揶揄されていた。

 政権による公共放送の「乗っ取り」という「戦後最大の危機」に際して何ができるのか。本書の最終章では、現在世界で多数の公共放送が行っている、電波・放送行政の政府からの独立、政権の影響を受けやすい会長や経営委員の選任システムの改革など、具体的な提案が述べられているが、同時に、職員の内部的自由の確立が「知る権利」や「表現・報道の自由」にとって非常に重要であると強く指摘する。

 たとえば、与党政権の影響を受けやすい政治部・経済部と対照的なのが、現場主義がまだ残る制作部主導のニュースやドキュメンタリーだ。特にETV特集やNHKスペシャルなどのドキュメンタリー枠では、原発や差別・貧困問題、戦争・平和・近現代史に関する気骨ある番組が粘り強く作られている。だがそれらの番組に関しても、最近では「反日的だ」「左に偏った偏向報道で国益を損じる」などの声が以前より確実に多く寄せられるようになっているという。籾井会長は昨年4月の理事会で、放送法が定める公平性の原則について、放送全体ではなく「個々の番組を通して公平性を追求すべき」と発言した。それはつまり、番組内での両論併記、つまり「市民の言い分だけではなく政府の言い分も公平に報道せよ」という身勝手で恣意的な誘導であり、対象に深く取材するタイプのドキュメンタリーの制作手法を根本から否定するものだ。そのような安直な「公平」観が、最近急増しているという"反日"報道批判の「声」に支えられていることは無視できない現実だ。
 
 もはや「NHKは叩いておけばいい」という時代は終わったのではないだろうか。抗議方法としての受信料不払いや、政権に媚びる報道に批判のメールを送るのも良いが、今最も必要とされているのは、粘り強く優れた番組を発信しようとする現場の職員たちへの激励と応援だ。

「制作スタッフにとって何よりの援護射撃となるのは、視聴者からの再放送希望や、感想、評価などを伝える声です。どんなに"上"がつぶしたい番組でも、視聴者からの支持があれば制作は継続できるし新たな放映のチャンスにもなる」(制作部ディレクター)

 視聴者からの応援は、現場で闘う心ある職員たちの自信にもつながる。最も事実に近い場所にいる現場の人間が尊重されることなしに、健全なジャーナリズムはありえない。忖度の卑屈さを捨て、自信を取りもどし、責任を自覚してはじめて、圧力に抵抗し立ち上がる力も生まれるのだから。
(山崎舞野)