攻守に存在感を発揮した長谷部。終了間際に絶妙なクロスで吉田のゴールを導いた。 (C)SOCCER DIGEST

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 日本にとってヨルダンは、記憶に残る熱戦を繰り広げてきた因縁の相手だ。
 
 アジアカップでは過去に二度対戦。守護神・川口の神がかり的なセーブで絶体絶命の窮地を脱したPK戦での死闘が語り草となっているのは、2004年中国大会の準々決勝だ。
 
 カタールでの前回大会では、今回と同様グループリーグでぶつかり、日本は大いに苦しめられた。吉田麻也の起死回生の同点ヘッドが決まったのは、ロスタイムという際どい勝負だった。
 
 週刊サッカーダイジェスト2011年1月25日号より、11年大会の対戦(1-1)を振り返る。
 
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 油断していたわけではなかった。前日には「ビデオを見てスカウティングは済ませている」と長谷部が語ったように、カウンターには細心の注意を払っていた。だが、気が付けば、敵将ハマドが練ったシナリオの上で踊らされ、日本は悲劇の主人公を演じさせられるところだった。
 
 1月9日、16時15分。首都ドーハ北部に位置する多目的競技場、カタール・スポーツクラブでキックオフされたゲームは、戦前の予想どおり一方的な日本のペースで進んだ。
 
 4分には長谷部の右からのクロスがクリアされたところを、遠藤が素早く左へ展開して揺さぶりをかける。7分には長谷部、本田圭、前田とワンタッチでつないで、今度は中央からフィニッシュまで持ち込んだ。たとえボールを失っても、ヨルダンに3回以上パスをつながせない素早い寄せで奪い返した。
 
 長谷部は言う。
「入り方は決して悪くなかった」
 だが、そこに落とし穴はあった。
「パスがつながるから、つい丁寧にやろうとしてしまった。ボールを持てるから、考える時間も長くなってしまったんだと思う」
 
 次第に鈍るパススピード。サイドチェンジにも時間が掛かるようになり、香川が「各駅停車のよう」と表現した足下でつなぐパス回しは、ヨルダンの敷いた網に引っかかる回数が増えていく。
 
 日本にとって不運だったのは、24分の吉田のゴールが取り消されたこと。CKのクリアボールを長谷部がボレーで叩き、GKが弾いたところに吉田が詰めてネットを揺らしたが、オンサイドだったにもかかわらず、副審の旗が揚がったのだ。こうして嫌な流れに拍車が掛かった。
 ヨルダンが、ただ守ってカウンターを狙う古典的なチームではないことは、時間の経過とともに明らかになっていた。決してベタ引きするのではなく、4-2-3-1の陣形をコンパクトに保ち、押し上げてカウンターを狙う。そこに“中東の名将”と謳われるイラク人指揮官の、チーム作りの手腕が見て取れた。
 
 前線にはタレントもいた。とりわけ日本とも対戦した04年アジアカップに出場していたアメル・ディーブとファターは曲者で、先制点もこのふたりの個人技によるものだった。
 
 前半終了間際、アメル・ディーブに左サイドを突破され、ファターにつながれてしまう。
スライディングに行った遠藤がかわされ、シュートを打たれると、ブロックに入った吉田の足に当たり、ボールはゴールの方向へと飛んで行く。
「遅れて足を出すとああなる。ファーを切って、ニアは(川島)永嗣さんに任せればよかった」と吉田が振り返ったシーン。ボールはGK川島の頭を越えて、ネットを揺らした。
 
 後半に入ると、ザッケローニ監督が堪らず動く。後半開始から李を投入すると、58分には岡崎も送り込む。日本のリズムが良くなるのは、ここからだ。左サイドハーフに入った岡崎がサイドに張ってディフェンスラインを広げると同時に、敵陣深くえぐって何度もクロスを上げた。
 
 63分には岡崎のクロスから長谷部がボレーを狙い、69分には岡崎自らが切れ込んでシュートを放ったが、いずれも枠をわずかに逸れた。
 
 80分からの5分間はアケルが負傷して数的優位になったが、それでもゴールをこじ開けられず、ついに突入したロスタイム。「入る時は、こんなに簡単に入るものなんだ」と香川が振り返った瞬間が訪れる。
 
 目先を変えたショートコーナー。長谷部のキックの先に待っていたのは、吉田だった。この日“3度目”となる吉田のゴールは、今度こそ日本のスコアに刻まれた。
 
 今大会最初のアップセット。その悲劇のメインキャストに指名されかけた日本だが、寸前で免れた。