盛りあげよう!東京パラリンピック2020(8)
車いすテニスプレーヤー上地結衣インタビュー Vol.2

前回は、世界ランキング1位になるなど、大活躍の2014年シーズンについて振り返ってもらった。今回は、海外に出る機会が多いテニス競技だからこそ語れる、上地結衣選手が国際大会で接してきた、現地ボランティアの人々やホスピタリティについて、お話を聞いた。

伊藤数子氏(以下、伊藤):ロンドンパラリンピックの後に、一度競技生活に区切りをつけようと思われたそうですが、その頃の気持ちと今の気持ちを比べると、何が一番変わっていますか?

上地結衣選手(以下、上地):当時は高校生3年生で自分が一番しないといけないことは勉強でした。テニスはその次というふうに考えていたので、ロンドンパラリンピックが終わって、高校卒業後の競技生活を考えたときに、一番やりたくなかったのは、競技と他のこと、つまり仕事とか勉強などと、平行してやることでした。11歳からテニスを始めて、ずっと学業と両立してきましたが、学校にも「テニスがあるから勉強ができない」「テストが受けられない」という言い訳はしたくなかったですし、もちろんテニスでも「勉強と一緒にやっているから」「仕事と一緒にやっているから」という言い訳をしたくなかったんです。そこは一番に決めましたね。それを、所属であるエイベックスをはじめとするスポンサーの方々が理解してくださったことで、今は本当に望んでいた形でテニスが出来ています。

伊藤:テニスに集中できる環境なんですね。

上地:そうですね。逆にそれが自分のモチベーションというか......。もう、そういう風にしているんだから言い訳はできないし、それなりの結果を残さないといけないという自分のモチベーションになっています。

伊藤:昨年のジャパンオープン前に国枝慎吾選手が、『上地さんは3カ月ごとにぐんぐん伸びている』っておっしゃったのは覚えていますか?

上地:はい。覚えています。

伊藤:それは、テニスだけに集中できる環境になったのがやはり大きいですか?

上地:単純に練習だけではなくて、テニスのことを考える時間が、競技と学業を両立していた頃と比べると格段に増えたのが、ひとつの要因ですね。自分がそれだけかけてやっている分、負けた時の悔しさはすごく大きいので、次は負けないようにこうしたいというのがどんどん出てくるようになりました。

伊藤:国際大会にも多く出場するようになりましたが、つらいことはありませんか?

上地:私は海外に行くのがすごく好きで、海外の生活が全然苦にならないので、どこの大会に行くのもすごく楽しみなんです。毎回周りの皆さんは、競技やツアーの連戦が続くと、「家に帰って白いご飯が食べたい」とか、「自分のベッドで寝たい」とかっておっしゃっているんですけど、私ひとりだけ大会終盤になって残り滞在期間が3日とかになると「ああ、帰りたくない。ああ、帰りたくない」って毎日言って、「分かったから」ってよく言われていまして(笑)。15歳16歳ぐらいの時はよく言っていましたね。今は口に出さないですけど、やっぱり楽しい。海外の選手と一緒にいて、普段なかなか会えない日本の選手とかとも一緒にツアーをまわれるというのがすごく楽しくて好きです。

伊藤:特に好きな大会や国はありますか?

上地:国で言うと、私は韓国とフランスが好きです。韓国の大会はここ最近行けていないんですけど、またツアーの間に組み込めるなら行きたいなと思っています。

伊藤:韓国やフランスのどんなところが好きなんですか?

上地:韓国もフランスもどちらもなんですけど、言葉がまず英語じゃないというところが、好きなんです。英語だったらみんなが基本的に話せる言葉じゃないですか。でも英語圏じゃない国の場合、自分がその国の言葉を勉強すれば、その中でコミュニケーションを取ることができて、より一層仲良くなれるので。

伊藤:確かにそうですね。

上地:特にフランスの大会は、ボランティアの方がたくさんいて、食事を世話してくれたり、洗濯物を集めて持って行ってくれるボランティアの方とかが、地元のおじいちゃんおばあちゃんなんです。そういう方たちが、毎年行ってると、顔を覚えてくれて、「今日は勝った?」とかって聞いてくれるのが、すごくうれしくて。そういう人たちと接するのがすごく自分にとって、息抜きになるというか。試合が終わった後にご飯食べに行って、「今日勝ったよ」と言ったら「じゃあ、デザート持ってきてあげる」とか。そういうところは、健常者のテニスの大会ではあり得ないことだと思います。

伊藤:ボランティアの方と仲良くなっちゃうんですね。

上地:そうですね。それにボランティアの仕事だけじゃなくて、「洗濯に行かなきゃいけないけど、10分だけあんたの試合を見にきた」とか言って、コートサイドで応援してくれたり。ボランティアの人は大会スタッフなので、一応中立な立場でいないといけないんですけど、「やったね」って終わった後にこっそり言ってくれたりとかして、すごくありがたいなって感じました。

伊藤:いいですね。

上地:はい。言葉が通じなくてもつながれるというか。

伊藤:私のイメージとしては、ボランティアの人というのは、その時その時だけだと思っていました。そうじゃないんですね。

上地:1回来てボランティアをやってくれる人は、その後も続きますし、その人とのつながりでまた新しい人が来てくれたりとかもありました。

伊藤:韓国はフランスとはまた違う良さがあるんですか?

上地:韓国は、お父さんお母さんのように接してくれる選手がたくさんいるんです。「韓国に来たら絶対連絡してよ」とか、「ご飯食べに行こう」と言ってくれます。

伊藤:じゃあ、海外に行ってもさびしいとは思わないですね。

上地:はい。なので、初めて海外の遠征に行ったのが15歳だったんですけど、その頃から母は一度もついてきたことがありません。母が来ると旅費が2人分になるので、「母に付いてきてもらって生活面などのサポートをしてもらうか」「ひとりで行って、母が行かない費用分、大会数を増やすか」の、どっちがいいかっていう話を父も含めてした時に、私は迷わずひとりで行くと言いました。その頃から一度もついてきたことはないですね。

伊藤:怖いとか不安とかなかったですか?

上地:いい意味で何も考えてなかったのかなと思います。海外に行ける、海外の選手と部屋をシェアしたり、移動を車で一緒にできるというのが楽しみでしょうがなかったんですよね。

(つづく)

【プロフィール】
上地結衣(かみじ ゆい)・写真右
1994年4月24日生まれ。兵庫県出身。エイベックス・グループ・ホールディングス所属
先天性の潜在性二分脊椎症で、成長するにつれて徐々に歩行が困難となり、車椅子を使用するようになった。11歳のときに車いすテニスを始めると、あっという間に才能を開花させ、14歳という若さで日本ランキング1位に。2012年ロンドンパラリンピックではシングル、ダブルスでベスト8。2014年シーズンは、4大大会のシングルスで2勝、ダブルスでは年間グランドスラムを達成し、現在世界ランキング1位となっている。(1月17日現在)

伊藤数子(いとう かずこ)・写真左
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにして障がい者スポーツと深く関わるようになった。現在、障がい者 スポーツ競技大会のインターネット中継はもちろん、障がい者スポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

文●スポルティーバ text by Sportiva