体調は万全ではなかったが、稲本は1ボランチの役回りをほぼ完璧に務めた。 (C) Getty Images

写真拡大 (全2枚)

 日本がアジアカップでイラクと対戦したのは、過去に一度。2000年レバノン大会の準々決勝がその唯一の機会だ。
 
 トルシエジャパンが4-1で快勝したイラク戦を、『週刊サッカーダイジェスト』のアーカイブから振り返る。
 
――◆――◆――
 
 休養たっぷりの日本は、いきなり面を食らう恰好となった。
 
 イラクがこれまでの守備的な戦いぶりとは一線を画し、高い位置から追い込む積極策で挑んできた。たじろぐ日本は両サイドからの侵入を許すと、4分、森岡のクリアミスをジャシムにエリア内で拾われ、豪快にゴールネットを揺らされたのだった。
 
「失点は出会い頭だから。まだうんと時間はあったし、チームは落ちついて攻めていこうって雰囲気だった」
 とは、名波のコメント。実際、日本はしっかりと持ち直し、早くも意識が守備へと傾いたイラクから主導権を奪い取った。
 
 イラクのマンツーマン・ディフェンスを、2トップの高原と西澤が振り切り、スペースには森島と名波が効果的に顔を出す。8分に中村のFKから名波が完璧にインパクトして同点とすると、4分後にはカウンターで森島から高原と繋ぎ、あっさりと逆転。森島の相手DFの股間を通すパスに、日本イレブンの“ゆとり”が凝縮されていた。
 
 ここで気を緩めないのが、今の日本の強さだろう。
 
 イラクはふたたび前掛かりとなって攻勢に転じるも、29分、またもやカウンターから名波がボールを受ける。ゴール前20メートルの位置から冷静にループショットを決め、リードを拡げた。
 
 これにはレフティも自画自賛で、「あれぐらいのことはできると、監督に分かってもらえたんじゃないかな」と笑顔で振り返っていた。
 
 だが、後半は苦しんだ。選手交代で中盤を活性化したイラクに決定機を与えてしまう。GK川口が凌ぎ、両サイドの中村と明神もグッと絞る。
 
 危険な時間を耐え抜いて、63分、ようやく試合の趨勢を決める一発が、イラクの息の根を止めた。左サイドを名波が駆け抜けてクロス。西澤を経由したボールを走り込んだ明神が鮮やかにミドルで叩き込む。平均年齢は若い日本だが、試合巧者ぶりは、大人のそれであった。
 
 これまでビッグトーナメントの鬼門だった準々決勝をクリアし、7年前、日本中を震撼させた仇敵を打破した。
 
 頂点まで、あとふたつ――。
 
(週刊サッカーダイジェスト2000年10月31日号より)