4−0にもいろいろある。6−0、7−0になってもおかしくない4−0もあれば、2−0で終わってもおかしくない4−0もある。

 アジアカップ初戦、対パレスチナ戦は後者と言っていい。先制ゴールが、早い時間に決まっていなければ、1−0に終わっていた可能性だってある。

 スコア差の割にチャンスの数が少なかった試合。一言でいえばそうなるが、ボールの奪い方が平凡だったことが一番の原因だと思う。いい場所、いいタイミングでボールが奪えない。相手の出鼻をくじけない。反動を利用できない。となれば、攻撃の起点は、相手ゴールの近くではない場所になる。そこから、攻撃を一から組み立てていくことになる。

 日本はパスを多用するので、速い攻めにはならない。基本的に遅攻。だが、攻撃の幅は特段、広くない。相手の最終ラインの並びを広げにくいサッカーをする。真ん中付近で、技術勝負を強いられること頻繁になるが、打開のテクニックがズバ抜けて高いわけでもない。したがって、攻撃は決定的チャンスに至る前に終わる。

 ザックジャパンを見るかのようである。

 メンバーはザックジャパンとほぼ同じ。同じ選手、同じ素材を使って、どんなサッカーをするか。どのように料理するか。アギーレのカラーはいま、鮮明になりやすい状態にある。サッカーの変化は、監督の色の違いそのものになるからだ。

 アギーレと言えば、ボールを奪う術に長けた監督として知られている。相手ボールの時から攻撃が始まっているかのような、緊張感のあるサッカーに特徴があった。ザックジャパンのサッカーより数段、厳しいものになるだろうと予想したが、実際はそうではない。サッカーが変わったという感じがしない。

 2014年ブラジルW杯で、ザックジャパンのサッカーでは、番狂わせが起こせないことは、骨身に染みて分かったはずだ。その反省に基づき、それとどう決別し、どのような方向に進んでいくか。アギーレは、その答えとして招かれた人物ではなかったのか。

 ザックジャパンの好ましくないところまで継承してしまっているアギーレジャパン。就任当初のサッカーより、その傾向はいっそう増している。

 パレスチナは、正直言って強くない。日本がボールを奪うことにどん欲にならなくても、勝手にミスをしてくれる。ボールを失ってくれる。ザックジャパン的なサッカーをしても、致命傷にはならない。

 アジアカップを制することもできるかもしれない。だが、世界では絶対に勝てない。

 受けて立つサッカー。チャレンジャー精神のないサッカー。危機意識のないサッカー。強者の論理に基づくサッカーだ。このやり方では、格上には通じない。相手が格下の場合は、攻撃的に見えるサッカーができるが、強者には、簡単に力負けする。

 列強に一泡吹かせようと思えば、別の発想で迫るしか方法はないのだ。強者の論理ではなく弱者の論理。まず繋ぐではなく、まず奪うサッカー。マイボール起点のサッカーではなく、相手ボール起点のサッカー。甘いサッカーではなく厳しいサッカー。

 これが、どれほど拝めるか。アジアカップの焦点は、優勝するか否かよりこちらの方になる。繋ぐ集団である前に、奪う集団でなければ、アジアでは強いが、世界に出ると順当に敗れる内弁慶、井の中の蛙に終わる。

「優勝はマスト!」。あるテレビ解説者はそう言っていたが、本当にマストなのは「脱従来路線」だ。それが確認できなければ、たとえ優勝しても僕は喜ぶ気にはなれないが、それが確認できれば、ベスト4でも十分納得する。こちらの方が明るい未来は待ち構えている。絶対の自信を持って、そう言い切ることができる。過去との決別。アジアカップの見どころは、実にシンプル。ハッキリしているのだ。