少し意外に思われるかもしれないが、錦織圭(25歳/世界ランキング5位)は案外、年齢を気にするタイプである。

「僕ももう、若くない」

 これは彼が、2011年ごろから頻繁に繰り返してきた言葉だ。そのころの錦織は21歳。

「率直に、それほど若くないと感じています。テニスの世界では、若いというのは18歳や20歳くらいまでだと思うので」

 素直にそんな想いを述べると、彼はこうも続けていた。

「ラファエル・ナダル(スペイン/28歳/世界3位)はすごすぎですが(19歳でグランドスラム初優勝)、ノバク・ジョコビッチ(セルビア/27歳/世界1位)やアンディ・マリー(イギリス/27歳/世界6位)も、20歳くらいからトップ10に入っています。そういうことを考えたら、自分も年齢を言い訳にはできないところに来ている。彼らの辿ってきた道を自分と照らし合わせると、そう感じます」

 錦織というアスリートは、極めて現実主義者だ。壮大な目標を掲げることで自分を大きく見せはしないし、論拠なき大言を発して周囲をあおるタイプでもない。ただ、日ごろ何気なく発せられる言葉にこそ、彼の驚くまでに峻烈な上昇志向が潜んでいることがある。ジョコビッチやマリー、ナダルらの足跡を自身のそれと重ねることは、彼らのいる場所を自ずと目指していたということだ。

 それから数年経った今、かつて遠くに背中を見ていた3選手に、ランキング的には限りなく肉薄した。マリーに至っては抜いてもいる。また、ナダル以外の2選手からは、すでに勝利ももぎ取った。しかし、テニスの世界では、ひとつの勝利で地位が逆転するわけではない。ジョコビッチには昨年9月の全米オープンで勝ったが、以降2度の対戦では敗れている。11月のツアーファイナルズで初勝利を奪ったマリーにしても、次は目の色を変えて来るだろう。

 錦織は昨季すべての公式戦を終えた時点で、ナダルとジョコビッチ、そしてロジャー・フェデラー(スイス/33歳/世界2位)を加えた上位3選手に「今後どう勝っていくか」を課題として掲げた。3歳年長のナダル、そして2歳年長のジョコビッチとマリーについては、「年齢も近いので、自分がテニスをやっている間は常にいる選手だろう」とも覚悟している。

 距離は、明らかに縮まった。月日の流れは、若く追う者の味方である。それでも依然、過去7年にわたりグランドスラムのタイトルを独占してきた『ビッグ4』は、錦織の前に立ちはだかる壁であり、捕えるべき標的だ。

 先駆者たちの足跡に対する強い意識は、肩を並べる者、あるいは自身の背を追う追随者へのライバル心と表裏でもある。錦織本人は、「他選手の動向は気にしない」と言うものの、同世代の活躍は嫌でも耳に入り、耳に入れば心が泡立つだろう。2012年の全豪オープンでベスト8進出を果たした際も、3歳年少のバーナード・トミック(オーストラリア/22歳/世界71位)が前年のウインブルドンでベスト8入りしたことに触れ、「それもあって、(自分のベスト8入りを)そこまで喜べない」と言ったほどだ。トミックは、捲土重来を狙うテニス大国オーストラリアの期待を、一身に集めてきた選手。錦織が拠点とするIMGアカデミーでトレーニングすることも多く、互いに良く知る間柄でもある。そのような年下の選手に先を行かれたことで、無類の「負けず嫌い魂」に火が点いたのだろう。

 ならば、昨年の全米オープン準優勝の好成績も、その2ヶ月前のウインブルドンでミロシュ・ラオニッチ(カナダ/24歳/世界8位)とグリゴール・ディミトロフ(ブルガリア/23歳/世界11位)が揃ってベスト4入りしたことと、無関係ではないかもしれない。ラオニッチは錦織より1歳、ディミトロフは1歳半の年少者。ふたりともテニス界の未来が語られる時、錦織と並んで必ず有識者たちの口にのぼるナンバー1候補だ。

 分けてもラオニッチは、昨年の楽天オープン決勝を錦織と争ったことで、日本でも名の知れたテニス選手のひとりになったかもしれない。両者の対戦は昨年だけで4回を数え、ウインブルドンではラオニッチが、全米オープンでは錦織が直接対決を制している。通算対戦成績は錦織の4勝1敗。2014年の最終ランキングは錦織5位、ラオニッチが8位。ツアー優勝回数は錦織7回に対し、ラオニッチは6回。激しいつばぜり合いを重ねるふたりの若武者は、ATPの公式サイトでも「2014年のライバル対決」として取り上げられた。

 このふたりのライバル関係が欧米メディアで語られる時、必ずと言って良いほど引き合いに出されるのが、旧約聖書に登場する『ゴリアテとダビデ』だ。身の丈3メートルの兵士ゴリアテと、小柄な羊飼いの少年ダビデの対決の物語である。見た目が対照的なふたりの戦士の一騎討ちは、洋の東西を問わず人々の心を躍らせ、好奇心を掻き立ててきた。日本の昔話ならさしずめ、「弁慶対牛若丸」と言ったところか。196センチのラオニッチと178センチの錦織の決戦は、そんな太古の伝説と同じ構図を持っている。

 ちなみに、ゴリアテとダビデの戦いは、ダビデの勝利で幕を閉じる。やや身贔屓(みびいき)な見方かもしれないが、人々は時代を問わず、小柄な勇者の痛快な勝利を望む傾向にあるのかもしれない。

 古(いにしえ)の伝承になぞるなら、錦織にとってのもうひとりの「ゴリアテ」が、フアン・マルティン・デル・ポトロ(アルゼンチン/26歳/世界338位)だ。年齢は錦織より1歳上。身長は198センチ。ただ、こちらはラオニッチと違い、どうしても勝てない巨人である。ATP公式戦の初対戦は、ふたりがまだ10代だった2008年の全米オープン4回戦。両者はその5年ほど前から、ジュニア大会などで顔を合わせる仲だった。デル・ポトロは錦織と初めて会った14歳のころを振り返り、「よく覚えているよ。ケイはこんなに小さくてね」と腰のあたりで手をひらつかせた。少年の日の初対戦も、デル・ポトロの完勝だったという。

 196センチのラオニッチやトマシュ・ベルディフ(チェコ/29歳/世界7位)らに勝ち越しているように、錦織は大柄な選手を決して苦手とはしない。ただ、デル・ポトロは、長身な上にフットワークが良く、ストロークに安定感があり、守備も堅いオールラウンダーだ。

「自分の中で、大きな壁になっています。実際に何回も負けている相手だし、突破口というか、ポイントの取り方が見えてない選手」

 ロンドン五輪でデル・ポトロに敗れた後、錦織はそのような所感を漏らしていた。しかし、五輪の後は対戦がなく、その間に両者の立場も大きく変わった。デル・ポトロは昨年3月に左手首を手術し、今年が復帰のシーズンとなる。錦織は周知の通り、世界5位まで上り詰めた。今となっては数少ない「全敗相手」と、真のライバル関係を築くのが今季なのかもしれない。

 もうひとり、忘れてはならない「ゴリアテ」がいた。

 マリン・チリッチ(クロアチア/26歳/世界9位)。こちらも錦織より1歳年長で、198センチの長身選手。対戦成績は錦織が5勝3敗とリードするが、3つの黒星のうちひとつは、昨年の全米オープン決勝で喫したものだ。恐らくは錦織にとって、人生で最も悔しい敗戦の記憶だろう。

 錦織とチリッチには、歩んできた足跡にいくつかの共通項がある。チリッチは、日本デビスカップチームのスーパーバイザーを務めたこともあるボブ・ブレッドの指導を長く受けていた。修造チャレンジのアドバイザーでもあるこの名伯楽には、錦織も「ボブさん」と呼ぶほど親しみを抱いている。

 そのブレッドに導かれたチリッチは20歳でトップ10入りを果たしたが、そこから先の壁をどうしても打ち破れなかった。そこで昨年、母国クロアチアの英雄である元世界ランキング2位のゴラン・イバニセビッチに師事。その結果、全米オープンでキャリア最大の栄冠を掴んだのである。錦織とチリッチ――、互いに「レジェンドコーチ」の下で覚醒したふたりのライバル史も、全米オープン決勝を境に新章に突入したと見るべきだろう。

 錦織が「もう若くはない」と微かな焦燥感を覚えた4年前、たしかにナダルやジョコビッチらは、今の錦織より若くして世界を支配していた。そして、その当時と比べても、トレーニングや食事療法の進化もあって選手の全盛期は伸び、上位陣が若手の台頭を阻んでいる。

 それでも時は流れ、世代交代の機は満ちた。高き牙城を突き崩さんと、一気に押し寄せる新世代の波――。その先陣を切って走るのが、25歳の錦織圭なのは間違いない。

※世界ランキングは1月12日発表時

内田暁●構成 text by Uchida Akatsuki