「支えたもの」
村民をつなぐボランティア活動


寒い中、三宅名産の野菜を使った豚汁を振る舞った(昨月15日・東京国際フォーラム)
【ライブドア・ニュース 1日 東京】 ─ 災害支援を行う市民団体「東京災害ボランティアネットワーク」は先月15日の午後、東京国際フォーラム(東京都千代田区)の野外広場で、阪神淡路大震災からの10年を機に、神戸・新潟・三宅島の被災者をつなぐイベントを開催した。

「島の女性は強いんです」

 会場では、島の名産「アカメイモ(サトイモの一種)」をふんだんに使った豚汁が来場者に振る舞われた。アカメイモは東京都八王子市にある「三宅島げんき農場」産。同農場は、避難した島民に雇用と交流の場として村民に親しまれたが、昨年末に閉鎖されている。気温は5度以下、みぞれ混じりの雨が吹く中、三宅村商工会女性部員18名の手で用意された500人分の豚汁は、約2時間で「完売」した。




メンバーの上着には「ふるさとへの想い」を縫い付けた(同)
 「島の女性は強いんです」と商工会職員の壬生伊津子さんは語る。昭和に入ってから以降、三宅島の雄山は、1940年、62年、83年、2000年と約20年ごとに噴煙を上げてきた。経験した避難の回数は、乗り越えてきた苦難の証しだという。豚汁を振る舞う手を休めて「私は、3回経験。歳がばれちゃうわね」と笑う女性。ウインドブレーカーの背中には、「ふるさと三宅島」の文字がみえる。

孤独を支えた「島民電話帳」

 村民の避難先は18都県に分散。避難後に各地の公営住宅を割り当てられた村民の多くは、親しかった知人と思うように連絡がつかず、村民同士の交流は次第に薄れていった。避難先では、相談相手もなかなか見つかりにくい。ある高齢者夫婦は「近所には見慣れた顔が見えないので、不安だった」と語っている。生まれて初めて島外に住むことを余儀なくされた三宅村の人々にとって、コミュニティからの断絶は大きな試練となった。4年半で約200人が亡くなり、500人以上が三宅村から転出した。

 村民の声を受け、東京災害ボランティアネットワークや三宅島社会福祉協議会(社協)などでつくる「三宅災害・東京ボランティア支援センター」は、全島避難から1ヵ月後の2000年10月、村民の転居先をまとめた「三宅島民電話帳」を完成させている。

 まず、社協の名簿をもとに全村民にアンケートを郵送し、郵便局の転送サービスを頼って1106世帯に配送。村民からの返信のうち、掲載の意思を確認できた991世帯の情報をまとめて「電話帳」を作成した。配送作業は、村民をふくむ約100人のボランティアが、同センター事務所に集まって行ったが、村民がまとまって入居している公営住宅では、郵便に頼らずに、直接手渡しで配布。村民どうしが少しでも直接対話できる機会を作ろうとの配慮からだ。

 同センターには、村民から感謝の声が多く寄せられたという。その後も、口コミで村民の避難先情報が多数寄せられ、「電話帳」は避難生活を支える必需品として、2002年までに3回版を重ねている。

帰れない人にも、村民が支援

 同センターでは今月から、常時20〜50名程度、島にボランティアを派遣する。村民の引越し作業や降灰除去、草むしりなど生活再建を手伝う予定だ。まだしばらくは島に帰れずに避難生活を続ける人たちには、島に帰った村民から随時電話を掛けて情報交換しあう「ふれあいコール事業」を実施する。島のネットワークを生かしたボランティア活動で、コミュニティ再生を狙っている。

 長く同センターの運営に関わってきた事務局のウラベノリコさんは、「島民が島を愛する気持ちの強さに、感動しました。私のほうがありがとうと言いたいくらいです」と4年半の支援活動を振り返った。【了】

ライブドア・ニュース 常井健一記者

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