あの戦い方より、この戦い方の方がいいに決まっている。あの選手より、この選手の方がいいに決まっている。自信満々にそう主張したところで、思うように事が運ばないのがサッカー。絶対はない。例外はいくらでもある。サッカーについて論じることは、正論を追求するというより、趣味の違い、拘るポイントについて論じ合う行為と言った方がいい。

 大層な話をしているようだが、世の中全体を見渡せば些細な話。大真面目にかしこまったところで、所詮はサッカー。「あの監督の采配、ダメだなー」と、言えば、喧嘩を売っているように聞こえる。辛口だと言われるが、その監督の人間性についてまで言及しているわけではない。どんなにダメな采配をしても、悪人に仕立上げるつもりはない。犯罪者ではないのだ。これはサッカーの枠内の話。

 その境界がなくなると、サッカーのエンターテインメント性は失われる。サッカー的な要素について触れるのは自由だが、人格まで否定するのは行きすぎ。辛口を超えてしまう。叩くのはいいが、叩き方を間違えると、世の中はおかしな方向に進む。感情的になりすぎる報道は、聞いていて、読んでいて、嫌な気分に誘われる。

 最近では、アギーレの八百長報道がこれになる。この問題には、事件性、犯罪性が潜んでいる。本当に関わっていたら悪人呼ばわりされても致し方ない、サッカーの枠を超えたいわば刑事事件だ。

 にもかかわらず、かなり危なっかしい報道ぶりが目に着く。もしシロだったらどうするのか。責任は取れるのか。人権に抵触しないか、心配になるくらいの勢いで迫ろうとするメディアは少なくない。

 年末に見た報道番組もそうだった。「喝」でお馴染みの某長老プロ野球評論家は、「日本サッカー協会はすぐにでも決断すべき」と、声を大にして解任を迫っていた。かつてプロ野球界に襲った黒い霧事件を引き合いに出しながら。 

 アギーレに降りかかっている八百長問題は、スペインで起きた話だ。日本で起きた事件ではない。日本人でこの件に詳しい人はほとんどいない。同時体験していないのだ。伝わってくる情報は、ほぼ全てスペイン発。で、聞くところによれば、そのスペインでも、大きな騒ぎに発展しているわけではないとのこと。この件について、特別な情報を持たない人が、何か意見を述べる場合、可能な限り慎重な姿勢が必要にある。

 シロかクロか定かではない人物を、公の場でクロであるかのように述べたり、書き込んだりするのはマズイ。人を推量で犯罪者扱いするのは、暴力的な行為に他ならない。監督采配や、選手のプレイに喝を入れるのと、これは全くの別問題。別次元の話だ。そしてその辺りの規範となるべきメディアが、その役を果たそうとせず、旗振り役に回る日本。怖いなと思う。

「選手が動揺しないか心配だ」。例の番組に出演していたもう一人のコメンテイターはそう述べていた。しかし、日本代表は、絶対に参加しなければならない集団ではない。選手それぞれの意志に基づいている。そんな監督の下ではプレイする気が湧かないと言うのなら、アジアカップへの参加を辞退するという選択肢もある。クラブチームとは違うのだ。「選手が動揺しないか心配だ」は、サッカーの代表チームの特性に反した、ピント外れの心配。これまたムードを煽るものと言っていい。

 メディアはその一方で結果を求めようとしている。結果至上主義、勝利至上主義に染まっている。今回のアジアカップも、優勝がノルマというムードを作り出そうとしている。それが達成できなければ、八百長問題に関わらず、アギーレ解任はあり得るとしている。善し悪しの判断を、アジアカップの結果で下すことが、4年周期で回る代表チームにとっていかに愚かなことか、気づけずにいる。

 サッカーの中身の話は、いまほとんど出てきていない。アギーレジャパンの過去6戦は、何が良くて何が悪かったか。アジアカップではどこ伸ばし、どこを是正すべきなのかという基本的な話、具体的な話は、ほとんど聞かれずじまい。ただ騒いでいるだけ。ただ盛り上がろうとしているだけ。勝手に動揺し、地に足がついていないのは、選手ではなくメディア。大人の対応をしているのは選手。僕にはそう見える。日本のメディアに決定的に欠けているのは、サッカーそのものの話。それなしに、2018年の好成績はあり得ないと僕は思う。