1月のホンジュラス戦でアギーレ体制初出場。キャプテンを務め、アンカーとしても及第点の働きを見せた。(C) SOCCER DIGEST

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 度重なる怪我と、所属していたニュルンベルクの降格、フランクフルトへの移籍、そしてワールドカップでの敗戦――。長谷部誠にとっての2014年は、これまでのサッカー人生で最も辛く、激動の1年となったはずだが、その表情は充実感に満ちている。
 
「自分はもっと成長できる」と語る生粋のリーダーが、2014年を振り返りながら、アジアカップへの決意を語ってくれた。
(※『週刊サッカーダイジェスト』1月6日・13日合併号より)
 
――◆――◆――
 
――2014年は様々なことが起きた1年だったと思いますが、長谷部選手自身の中で印象に残った出来事を3つ挙げてもらえますか?
 
「真っ先に思い浮かぶのは怪我。それにワールドカップと移籍ですね」
 
――怪我というと、今年は大きく分けて3回の離脱があったかと思います。まず1月に、ニュルンベルクでのキャンプ中に負傷しました。その時は、どのように感じましたか?
 
「あの時は6週間くらいで治る怪我だったし、チームが残留争いをしていたので心苦しい部分がありましたが、焦っても仕方がないから、できるだけ早く治して、チームのために頑張ろうという感じでしたね」
 
――ただ、同じ箇所を再び痛め、2月末に再手術へ。この時、約3か月半後に迫っていたワールドカップのことが頭をよぎりませんでしたか?
 
「シーズンの終わりに復帰できるかどうかと言われていたので、頭をよぎったのはニュルンベルクのこと。ヴォルフスブルクから移籍してきて、(自分が出場した試合では)一度も勝っていなかったので。1月に日本で行なったリハビリまでは完璧だったし、しっかりステップを踏んでいる感触はありましたが、 今思えば (練習の強度を上げるのが)少し早かったのかな。ニュルンベルクには(13年夏の)移籍期限ぎりぎりで、高い移籍金を払って獲ってもらったので、チームに対して申し訳ないなという気持ちが大きかったです」
 
――それでも5月10日のリーグ最終節・シャルケ戦(1-4)に強行出場しました。2月末に怪我を再発させているだけに、リスクもあったのでは?
 
「チームのためにやらなきゃ、という想いだけでした。そこまでのトレーニングを通して、プレーできるだろうと感じていましたし、自分は100パーセントの状態ではないけどチームを助けるために試合に出たいという話をしたら、監督から『試合に出てくれ』と言ってもらえたので」
 
――しかし、チームは2部に降格。長谷部選手は残留か移籍かを決断しなければいけないうえに、すぐにワールドカップが控えていました。フランクフルトへの移籍を決めるまで
に、悩むことも多かったのでは?
 
「やはり、決めるのは難しかったですよね。最終的にはサッカー選手としてより高いところを求めたいと思い、またフランクフルトが自分を中盤の選手として欲してくれたので移籍を決断しました。でも、自分の中の『人間性』という部分では……、今でもニュルンベルクに残るのが正解だったんじゃないかと思う時もあります。後悔しているわけではないのですが……。たぶん、これから一生考えるのでしょうが、サッカー選手として上を目指すことを考えれば、どうしても高いレベルでプレーしたかった。決めるまでにはけっこう時間がかかりましたし、フランクフルト以外のドイツの他のチームからもオファーをもらっていて、ニュルンベルク残留を含めて、すべての選択肢を並べて考えましたね」
 
――かなり悩んだのですね。
 
「特別な決断でした。チームが2部に落ちてからの移籍でしたしね。代理人からは『私がニュルンベルクに(契約を更新しないと)電話しようか?』と言われましたが、最後は自分でニュルンベルクのGMに電話をかけました。想いを伝えるのは、自分の口から話したほうがいいと思ったから」