『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない (PHP新書)』岡田 斗司夫 FREEex PHP研究所

写真拡大

「就活に有利な切り札をもっていないかぎり、『そこそこまじめな人』程度では、どんなに熱心に就活をしても、思うような就職先はまず見つかりません」

 こう語るのは、書籍『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』の著者・岡田斗司夫さん。

 岡田さんがそう語る理由は、「そこそこまじめな人」が悪いわけではなく、現在の就活システムに構造的な問題があるとのこと。多くの人が就職したいと願う企業の求人数は、中小企業に比べてごくごく少数。どんなにその人が「目立たないけど、ちゃんとまじめに働くことができる。働きさえすれば、そこそこ評価される」人材だったとしても、今のシステムでは就活時に、それが表に出にくくなっていると岡田さんは指摘します。

 では、多くの「そこそこまじめな人」はどうすれば良いのでしょうか。

 岡田さんは本書の中で、「そもそも現在のかたちでの就活は方法論のうちの一つ。皆が皆、同じような就職活動を行う必要がないのではないか」、「就活で会社を見つけるのではなく、『仕事』を見つけてみては?」などと提案します。

 例えば、家の近所の八百屋で働いているとします。企業からなかなか評価されにくい「そこそこまじめ」という性格の人でも、八百屋で働けば、それは人間的な信用として大きなメリットとなると岡田さんは言います。さらに八百屋で働く限り、近所の人からは「八百屋の人」として認知され、何をするにも動きやすくなり、周囲からのフォロー・サポートも期待できるとも。

 一方、会社でそれなりに評価されていても、そのことは隣近所や親戚にとって、なんのプラス評価にもならないことが往々にしてあります。もちろん勤務先が大企業であれば、その功績が知れ渡るでしょうが、中小企業ではなかなか難しいもの。よくわからない会社で勤めていたとしても、「あなたの評価は『ふつうのサラリーマン=ニートではない』という程度」でしかないと、岡田さんは指摘します。

「そう考えると、就職先はほとんどの人にとって、地元や親戚関係、いわゆる地縁・血縁のなかから見つけたほうが、ほんとうは有利といえます。たとえ自分が口ベタで、人前でうまく自分をアピールしたり説明したりできなくても、地元で『この人は役に立つ』とか『そこそこまじめ』とか『目立たないけど、しっかりやっている』と認めてもらえるようになれば大丈夫」(同書より)

 みなさんが想像する就活とは、いわゆる一つの会社に週5日雇ってもらい、終身雇用で勤める会社に就職するといったものではないでしょうか。むしろ、こういったかたちでの就職でないと、一人前の社会人ではないといった風潮があります。

 そんな風潮に岡田さんは一石を投じているのです。

「『就職しなくてもいいのか? 』という質問の答えは、一般企業に『いわゆる就職』しようとするのは、とくに有利ではないかぎり、やめたほうがいいですよ、ということになります。そんなことをするくらいなら、仕事や役割を身近な場所で見つけたほうが、ずっといい」(同書より)

 就職活動に行き詰まった時こそ、自分が歩いて動き回れる範囲で仕事を探してみてはどうでしょうか。