初の公式戦でチームをアジアの頂点に導いたザッケローニ監督。マネジメントの上手さが際立った。 (C) SOCCER DIGEST

写真拡大 (全2枚)

 1月9日にアジアカップが開幕する。連覇を目指す日本は12日のパレスチナ戦で大会をスタートさせる。
 
 史上最多4度のアジア制覇を成し遂げている日本代表。ドラマに富んだその4度の優勝を『週刊サッカーダイジェスト』のアーカイブからお届けしよう。
 
 決勝のオーストラリア戦で決めた李忠成の鮮やかなダイレクトボレーが記憶に新しい2011年大会。3年後のブラジル・ワールドカップでの失態がにわかに信じられない、ザッケローニの見事なマネジメントが栄光への原動力だった。
 
 特派レポートを週刊サッカーダイジェスト2011年2月8日号より。
 
――◆――◆――

「結果的には非常に満足している。これほど素晴らしい選手たちがいるチームを率いることができて、本当に誇りに思っている」
 
 初の公式戦を終えたザッケローニ監督の表情には、チームの未来に対する手応えが浮かんでいた。
 
 04年中国大会以来となる4度目のアジア王者。これは3回のサウジアラビア、イランを上回り最多となる。
 
 ヨルダン、シリア、サウジアラビアと同居したグループBを首位で通過。準々決勝では開催国のカタールを3-2で退け、準決勝では宿敵韓国をPK戦の末に下し、決勝では世界レベルと言えるオーストラリアを1-0で破ってみせた。
 
 大会序盤は、準備不足とコンディション不良に悩まされた。12月上旬で10年の全日程を終えた選手、元旦まで天皇杯に出場した選手、1月4日にカタールで初めてチームに合流した選手もいて、コンディションのばらつきは否めなかった。12月半ばから合宿を行ない、親善試合もこなした韓国とは大きな差があった。
 
 ましてや世代交代を睨み、南アフリカ・ワールドカップの時から3歳以上も下回る平均年齢24.6歳の若いチームでドーハに乗り込んでいた。それでいながら次回のアジアカップ予選が免除される3位以内を確保しただけでなく、13年のコンフェデレーションズ・カップの出場権を手に入れたのだから、文句のつけようがない。
 
 決勝では李がゴールを叩き込み、準決勝では細貝、準々決勝では伊野波がゴールを奪うなどサブ組から日替わりでヒーローが誕生し、西川や岩政らの奮闘も光った大会だった。
 
 初戦で45分間プレーして以来、出番のなかった李はザッケローニ監督から「練習で良いプレーができている。気持ちを保つように」と声を掛けられ、準々決勝で手痛いミスを犯していたGK川島も「信頼しているから、自信を持ってプレーしなさい」と常に言われていたという。
 
 また、決勝後の会見では「怪我のためにチームを離れた槙野、酒井、松井、香川にも感謝したい。また出場機会を与えることができなかった森脇と権田も素晴らしいチームスピリットで参加してくれた。ありがとうと言いたい」と話している。
 
 アジアカップ制覇の陰には、指揮官のこうした細やかなメンタルケアがあった。長丁場の大会を戦い抜くにはチーム全体の総合力がモノを言う。アクシデントが起きた時のために、サブ組を腐らせてはいけない。その辺りのケアが行き届いていた。
 
 ザッケローニ監督については、今のところ、戦術家、戦略家といった側面よりも、こうしたモチベーターとしての手腕やチームマネジメントの巧みさのほうに目が行く。
 采配に関しては概ねオーソドックスであり、的確という印象だ。
 
 決勝で岩政を投入して、長友を左サイドハーフに上げた策は見事だったが、試合レポートでも触れたように、当初の予定とは異なり、選手の意見に耳を傾けたうえでの決断だった。それも監督のパーソナリティーを表わしているようで興味深い。