効果的なパスは少なかった本田だが、高いキープ力で攻撃の起点となり、強烈ミドルも放った。 (C) SOCCER DIGEST

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 1月9日にアジアカップが開幕する。連覇を目指す日本は12日のパレスチナ戦で大会をスタートさせる。
 
 史上最多4度のアジア制覇を成し遂げている日本代表。ドラマに富んだその4度の優勝を『週刊サッカーダイジェスト』のアーカイブからお届けしよう。
 
 決勝のオーストラリア戦で決めた李忠成の鮮やかなダイレクトボレーが記憶に新しい2011年大会。3年後のブラジル・ワールドカップでの失態がにわかに信じられない、ザッケローニの見事なマネジメントが栄光への原動力だった。
 
 決勝レポートを週刊サッカーダイジェスト2011年2月8日号より。
 
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 藤本に代わってピッチに足を踏み入れようとしていた岩政がベンチに呼び戻される。ザッケローニ監督が盛んにDF陣に指示を出し、やりとりしている。アクシデントが起きたのは明らかだった―――。
 
 アジアカップ決勝の舞台、ハリファ・スタジアムのピッチには、いつもの日本の姿はなかった。「相手のフィジカルとロングボールに気圧された」と長友も認めた立ち上がり、日本はいつになく硬さが目立ち、軽快なパス回しは鳴りを潜めていた。
 
 この日の日本は、これまでと同じ4-2-3-1で臨んでいた。変わったのは、準決勝で出場停止だった吉田がスタメンに復帰し、負傷離脱した香川に変わって藤本が今大会初めてスタメンに名を連ねた点だ。
 
 藤本にとって不運だったのは、チーム全体がリズムをつかめずにいたことだった。ミスが多く、連動性が生まれない。彼自身も持ち味を出せず、消極的なプレーが増えてしまう。
 
 リズムをつかめない日本を尻目に、オーストラリアは序盤からケイヒルとキューウェルが猛威を振るう。
「序盤で競り勝てないと分かったので、簡単にシュートを打たせない守り方に変えた」と今野が言うように、相手が飛んだ瞬間に身体を預けて阻止しに行く。それでも2度の決定機を作られたが、GK川島の攻守もあって辛うじてゴールを守っていた。
 
 こうした劣勢を挽回するきっかけになったのが、56分の選手交代だった。この時、起きていたアクシデント、それは今野の負傷だった。
「最初は今野をアンカーに、遠藤と長谷部を少し前にする考えだった」と指揮官は言った。ところが、足を痛めた今野は中盤でのプレーが難しく、選手たちから出された代替案が今野を左DF、長友を左サイドハーフに移す配置転換だった。
 
 この案を採り入れて、施された緊急オペ―――これが結果的に日本に決勝ゴールをもたらすことになる。
 オーストラリアの2トップへの配球源、それが右SBのウィルクシャーだった。日本は彼のクロスから3度も危険な場面を作られていたが、長友の仕掛けによってその攻め上がりを封じることに成功する。
 
 66分には長友のクロスから岡崎がダイビングヘッド。また、オーストラリアが日本の左からの攻撃を警戒したことで、逆に右SBの内田が攻撃に参加しやすくなっていく。
 
 しかし、だからと言って、主導権が握れたわけではなかった。依然としてハイボールに苦戦し、いつゴールを割られても不思議ではない時間帯が続く。72分には川島がキューウェルとの1対1のピンチを防ぎ、初めてコンビを組んだ岩政と吉田はマークを受け渡しながら、懸命に身体を張って撥ね返し続けていく。
 
 そのまま延長戦へともつれ込んだ試合の均衡が、ついに破れたのは、109分のことだった。
 
 ウィルクシャーを振り切った長友がクロスを放り込むと、そこにはマークを外した李が待っていた。
「あんな綺麗なシュート、二度と決められないかもしれない」
本人がそう自賛したビューティフルボレーが突き刺さる。ここまで1失点のGKシュウォーツァーも、ただ見送ることしかできなかった。
 
 あと10分。オーストラリアのパワープレーに拍車がかかり、日本は耐え凌ぐ。岩政が競り、今野が身体をぶつけ、長友が懸命に足を伸ばす。選手たちの脳裏にあったのは、パワープレーに屈した韓国戦のロスタイムの場面だ。岩政は言う。
「あれを生かさないと意味がない。すべて自分が撥ね返す思いだった」
 
 そして、ついに終了を告げるホイッスル。指揮官のもとに次々と選手がやって来て交わされた抱擁が、チームの一体感を表わしていた。不屈の精神力を見せた日本が4度目のアジア王者の称号を手に入れた。