世界に店舗進出、9月には東証マザーズに上場を果たすなど快進撃が続く「築地銀だこ」を展開するホットランドは、いまや年商200億円をあげている。焼そばに始まった同社がたこ焼き1本に絞るに至るまでの道のりについて、佐瀬守男社長(52)にノンフィクションライターの高川武将氏が聞いた。(文中敬称略)

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「実家が祖父の代から続く鉄工所でした。3時の休み時間になると、いつも婆ちゃんや母ちゃんが焼きそばを焼いて、住み込みの職人たちと皆で食べるんです。それが本当に旨かった。皆でキャッチボールしてくれたりして、僕も凄く楽しい時間で、3時になるのが待ち遠しかった……」

 かつて繊維の町として栄えた桐生は、機織の機械工場が軒を連ねていた。町全体が助け合いの精神で成り立ち、ランニングシャツ一枚で真っ黒になって働く職人たちは、生き生きと輝いていた。高度成長期の希望に満ち溢れた日本の光景が、佐瀬の原点となっている。だから焼きそば店を始めたとき、「ほっとする安らぎの空間と笑顔一杯の団欒を」という願いを込めて「ホットランド」と命名したのだ。

 焼きそばに始まり、焼き鳥、お好み焼きなどあらゆる和のファストフードを売りながら、銀だこに至るまでの10年は、少しの成功と多くの苦難の連続だった。

「もう、失敗ばっかりでした」

 佐瀬はそう笑うと、数々の失敗談を話してくれた。以下はほんの一例。

「28歳の頃、横浜の中華街でアイスまんじゅうが爆発的に売れて、実家に兄貴と組んで1億かけて工場を作ったんです。そしたら途端に売れなくなって。守男と組むと身上を潰されると親に勘当された(笑)。銀座で自転車に積んだアイスキャンデーを売ったり、高速のサービスエリアでジャガイモふかして売ったり、ありとあらゆるものを売って借金は返しました。これは売れると思うと、つい工場を作ってしまうんですよ」

 昼食時以外にもコンスタントに売れるたこ焼き一本に絞ったのは1994年のこと。大阪に住みこんで食べ歩き、タコ、粉、天カス、青海苔の専門家から教えを請い、3年の研究の末「外はパリッ、中はトロッ、タコがプリッ」という独特の食感を完成させる。

「銀だこが出来たとき、これは行けると確信しました。その頃、実家の鉄工所が潰れかけていて、3億も借金があることがわかった。僕は勘当されていたけど、親兄弟を守ろうと社長になって、鉄工所をたこ焼きの機械の製造工場にしました。機械を売るには、どんどん出店していくしかない。気づくと1年半で借金がなくなっていた。アレは本当に奇跡でした」

※SAPIO2015年1月号