連覇はクリアしなければならないハードルだった。だが、到達すべき目標は、主力の多くを欠いた国内組主体のメンバーで、確固たるベースを構築することだった。
 
 3バックにせよ、4バックにせよ、チームとして組織的な守備がどれだけ実践できるか。プレスのポイントをどこに置くのか。キリンカップを含めれば約1か月に渡る長期遠征。ワールドカップ予選のタイトなスケジュールを考えれば、ベースを確立するには絶好にして最後のチャンスである。さまざまなスタイルの相手と戦うなかで、日本が見出すべきファクターはそこにあった。
 
 ヨルダンとの準々決勝を瀬戸際のPK戦でモノにしたチームは、済南に移動した翌日、選手だけでひとつのミーティングを行なうこととなる。誰もが感じていた試合への入り方の拙さと前半の劣勢をいかに克服するかが焦点であり、地獄でひろった勝利なのだから、開き直ってチャレンジしていこうと、積極的に意見が交わされた。
 
 このチームには、指揮官と選手との境界線がない。それはもちろん命令や指揮系統のレベルではなく、純粋に戦術という側面においてである。ミーティングは試合当日に一度あり、ジーコ監督がスタメンを発表したのち、自分たちの前のゲームの反省点を搾り出し、対戦相手のビデオを鑑賞する。これっきりだ。
 
 練習では局面を打開するようなものこそあるが、チーム全体でイメージを共有するようなメニューはほとんど施されることがない。エリアごとの約束事と戦術ベースはあくまでも流動的なものであり、むしろゲームが始まってからの選手たちの判断次第、というところで落ち着いている。
 
 記者はこの点が解せなかった。往々にしてジーコジャパンの強化が進まないのは、まさにこの一点に尽きると考えていたし、選手は自分たちの目指す方向性をしっかりと見定めたうえで、相手をしっかりスカウティングし、ゲームに臨みたいと考えていたからだ。
 
 「でもジーコはねぇ……」で諦めてしまっているのを見るにつけ、このチームの行く末に一抹の不安を感じざるを得なかった。人が変わればチームもガラリと変わる。スタメンが固定されてしまえばサブ組との意識の乖離が進み、規律がボヤけているから、守備的な戦い方で凌ごうとしてしまう。その繰り返しだった。
 
 中田英がいれば声高にその不甲斐なさを指摘する。反論する者もなく、ただひたすら空気が気まずくなる。だが彼が不在となって雰囲気は明るくはなるものの、根本的な解決に至ることはなかった。
 
 「ジーコが描く漠然としたモノ」を個々が違ったイメージで捉え、迷走し、どこかこじんまりとした消極的なサッカーで済ませてしまう。今大会が始まっても、流れは変わらなかった。
 
 そんなチームにあって、唯一、指揮官とチームの中継地点に存在する選手がいる。宮本だ。彼はバーレーン戦後に起きた選手間の意見交換を大きな流れへと助長させ、疑問を直接指揮官にぶつけたのである。
 
 相手が3トップで来たときはどう対応すべきか。プレスを仕掛けるにはもっとラインを高くしなければいけないが、中盤の守備はどうするのか。指揮官は主将の言葉に耳を傾け、真摯に受け止め、ゴーサインを出したのだという。
 
 これは大きな分岐点であったように思う。東欧遠征で3バックへとシステム変更されたときや、小野を軸に新たな中盤のバランスが芽生えた英国遠征とは、変化の次元が違う。それらは各エリアで偶発的に起こっていたショック療法のようなものであり、今回のような戦術上の確固たるベースではなかったからだ。バーレーン戦で10人となってからも、攻撃性を損なわずに打ち勝てたのは、選手たちが同じイメージを共有できていたからに他ならない。