“大晦日は格闘技!”という時代が確かにあった。
 2001年から'10年にかけてTBSが生中継をしたこの時期、その中でもピークは2003年の『Dynamite!!』であろう。メーンの曙vsボブ・サップは瞬間視聴率43.0%をたたき出し、民放初となる“紅白越え”を果たした。現在だとプロレス興行のセミファイナルあたりでも組まれそうな顔合わせだが、当時は一般層までをも巻き込む“事件”であった。

 まず、ボブ・サップの知名度が今とは段違いだったというのもあるし、そして何よりも曙である。
 「日本の国技、相撲がついにその真の実力を見せるときが来た!」
 “力士の強さ”は日本人にとっての信仰ですらあった。200キロ近い巨躯でぶちかます破壊力と瞬発力、それに耐えうる頑強さ--。そんな最強の鉾と盾を身にまとった強者であり、さらにその頂点に立つ横綱となれば、いくら引退から2年が過ぎたとはいえ弱かろうはずがない。テレビのバラエティー番組でおちゃらけているサップなどはきっと一瞬で吹き飛ばすだろう。そうであると信じたい…。

 多少なりとも格闘技の知識があれば「相撲の取り組みに比べてはるかに長い試合時間に耐えるだけのスタミナがあるのか」「そもそも相撲の突っ張りと立ち技の打撃では技術が異なる」との疑念も起きる。何せK-1挑戦が発表されたのは11月6日のこと。試合当日まで2カ月を切っていて「とても対応できるハズがない」と見るのが常識的ではある。
 そもそも当時の曙は部屋付き親方としての務めのために、稽古どころかまともな運動すらしていなかったに違いないのだ。
 対するサップは粗さが目立つとはいえ、K-1のトップファイターであった。
 だが横綱たるものに、そんな“流行”など通用しない。きっと闘神がリングに降臨する奇跡を目の当たりにすることができる…。日本中がそんな幻想に包まれ、その瞬間を今や遅しと待ち構えていた。

 いよいよ試合開始のゴングが鳴る。
 早々からサップに向けて突進し、コーナーに押し込んでみせた曙。だが、見せ場はこの数秒だけに終わる。
 パンチともツッパリともつかない、ただ腕をやみくもに振るうばかりで、サップを捉えそうな気配が見えない。もしや当たったところで倒せそうな威力も感じられない。サップのローキックやジャブにも怯まずに前に出る精神力は、さすが横綱と感じさせたが、技術の差は歴然。徐々に形勢は傾き始める。
 2分過ぎにサップが下がりながら放った右ストレートがヒットすると、曙は1度目のダウンを喫する。それでも前に出る曙だったが、振り払うようにして倒されると起き上がるのも精いっぱい。再度右ストレートを食らって正面からリングに突っ伏した。

 わずか2分58秒。
 試合後は悪夢を振り払うかのごとく、ネットを中心として曙を罵倒しあげつらう言葉が撒き散らかされた。それにしても曙はなぜ、後から振り返れば無謀でしかなかったこの戦いに挑んだのか…。
 「巨額のファイトマネーに釣られた」との声もある。曙自身はその額をつまびらかにしていないが、K-1から長州力へのオファーがあったときには1試合5000万円だったとの証言があり、舞台の大きさからすれば億の単位であったことは確かだろう。
 だが、曙自身は当時、カネに窮する状況にはなかった。引退時には相撲協会から1億円の功労金が渡され、また親方株取得のため多額の蓄財があったに違いない。
 曙自身はこのときのことを、当時K-1のイベントプロデューサー谷川貞治氏からの「曙に勝てるとサップが言っている」との挑発に乗ったためと語っている。事はそこまで単純でもなかろうが、しかし曙が相撲界での自身の将来を悲観していたことも事実である。

 K-1出場の報告のため親方衆を訪れたときには皆「親方株の件だと思った」という。外国出身であるが故に、部屋持ち親方となる道が困難であったことを当人も周囲も感じていて、やむにやまれずの転身という面が少なからずあったのだ。
 このことは曙の名誉のためにも、ここに付言しておきたい。