急速に成長してきたUberが、Spotifyが、いま不信の逆風にあっている。そんな報道を聞くたびにNapsterを、メタリカを、ショーン・パーカーを思い出す。新しいテクノロジーが生まれ、新しいサーヴィスが登場するたびに必ず起きる「揺り戻し」のなか、ぼくらが獲得すべき「未来」とは。弊誌編集長より、2015年年始のご挨拶代わりのメッセージ。

「「未来地図」なんかいらない:Uberとメタリカに学ぶ「答えなき時代」の迷い方」の写真・リンク付きの記事はこちら

Uberが、世界各国でさまざまな問題を引き起こしていることが、最近わりとよく報道される。そのたび、サーヴィス上のさまざまな不備が指摘されることになるわけだが、ぼくは、そうやって新しいサーヴィスがさまざまな批判にさらされるたびに、メタリカのことを思い出す。

メタリカが、Napsterを相手どって訴訟を起こしたことは、若い世代にはもはや遠い過去のことかもしれず、すでに「U2って誰?」な時代ともなれば、「メタリカ、何するものぞ」という手合もいるはずだ。

なので、簡単に説明しておくと、ユーザー間で音楽ファイルを自由にシェアできるサーヴィスとして、またたく間に世界中に広がったNapsterは、それこそ、世界中の音楽愛好家にとって夢のようなサーヴィスだったのだが、あろうことか、それが著作権の侵害にあたるとの理由から、メタリカというヘビメタバンド(厳密にいうとスラッシュメタルということになろうが、まあ、ここではそこに拘泥しないでいただきたい)がNapsterを訴えたのだった。

このことによって、メタリカはいかにも音楽産業の既得権益にぶらさがった守旧派に見えてしまったわけで、自由で無料、すなわちフリーな音楽のありようを愛してしまったファンからは、「もうメタリカの音楽なんか聴かない!」なんていうヒステリックな反応があがったりした。

うろんなぼくはといえば、メタリカは好きだったから、彼らが怒っているのにもそれなりに理由はあるはずで、それはそれでわかってあげるべきなんじゃないか、とひよったことを思いつつも、「ナップスター便利だしなあ、なくなったらイヤだなあ」とか、いかにも本来は反体制であるはずのロックミュージシャンが、なんとなく体制の擁護をしているように見えたことにいくばくかの失望なぞを覚えながら、結局のところ、割り切れない気分を抱きつつ、風見鶏を決め込んだのだった。

メタリカの功績もあったのだろう、ほどなくしてNapsterは倒産に追い込まれ、売却された後は有料サーヴィスとしてここ日本でも展開されたけれど、いつの間にか消えてなくなってしまった。Napsterの首謀者であったショーン・パーカーは、後にFacebookの飛躍において重要な役割を果たし、その後、Spotifyのアメリカ進出においても大きな役割を果たすことになる。


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“new napster advertising” by Fred Benenson (CC:BY 2.0 Generic)

以前『WIRED』日本版において、そのショーン・パーカーの記事を掲載したことがあるが、そのなかで、彼が、Spotifyの創業者であるダニエル・エクに熱いラブレターを送ったことが語られている。パーカーはこう書いたのだそうだ。

「デジタルミュージックの世界に新たな革命を起こすには10年前にNapsterが築いたハードルに届くだけじゃなく、それを乗り越えなければならないとぼくは思っている。(中略)それを君たちがついに成し遂げた」

パーカーのそんな熱烈な後押しもあって、Spotifyは、順調に販路を拡大し、いまや(日本は含まない)世界中で利用されるサーヴィスとなっている。が、世の中というヤツは、やはり一筋縄ではいかない。

Spotifyもまた、やはり少なからず批判にさらされている。しかし、それは、ナップスターのときとは真逆の批判だ。欧米などでもっぱら聞かれるのは、「Spotifyは、ミュージシャンへの売上を十分に還元できていない」という批判だ。これは何もミュージシャンたちばかりではない。リスナーもそれに同調するようなかたちで「Spotify、イマイチかも」と感じるような空気が出来上がっている節もある。

メタリカは、これを見て喜んでいるだろうか。Napsterを相手どって彼らが展開した批判を、今度は、ミュージシャンのみならず、リスナーさえもが、Spotifyを相手にこぞってしている。「ミュージシャンに正当な分配を!」とメタリカが叫んだ15年前、その主張は、猛烈な非難をもって迎え入れられたものだったのだが。

というわけで、メタリカは、やっぱり正しかった。「メタル・ジャスティス」は成されたのだ、と、いまになってメタリカの肩をもって威張ろう、というわけではない。ぼくは、むしろ、こうした経緯というものの上に、ぼくらが生きている社会というものが成り立っていることに、えも言われぬ感慨を覚える、ということを言いたかったりする。


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“Spotify Timeline” by Jon Åslund (CC:BY 2.0 Generic)

ある革命的なサーヴィスをめぐって、一時、右に振れた世論が、今度は時間を経て左に振れる。そしておそらく、そのあと、左に振れた針は、行き過ぎないほどに右にもう一度振れることになる。

世論なんていい加減なものだ、なんて言って片付ける話ではない。NapsterがSpotifyへと受け継がれていく過程で、リスナーやミュージシャンや、その間にいる・いた、すべてのステークホルダーが、新しいテクノロジーを前に、ときに怒り、悩み、そして社会を巻き込んで議論を重ねるなかで、何かいい解決策がないかと、前に進んできた軌跡そのものを、ぼくは美しいものだと感じる。

Spotifyを批判するのは簡単だ。けれども、Napsterが投げかけた問題系に対して、Spotifyが、最上のやりかたではないかもしれないにせよ、ひとつの解決を果敢に提供しようとしていること、そして、それが少なからぬ前進であったということまでをも否定することはできない。

残念なことがあるとするなら、そのSpotifyが、待てど暮らせど日本にはやって来ないことだが、その何が残念かといえば、サーヴィスが使えないことよりも何よりも、そうやって音楽(産業)の未来を考えるという、世界を巻き込んだ、ある意味壮大な取り組みから、日本社会全体がこぼれ落ちてしまっていることだ。

Napster/Spotifyを主軸とした、音楽をめぐる現在進行形の顛末を遠い島国から垣間見るにつけ思うのは、そうした経緯を実地で生きてきた社会は、当該テーマに関するリテラシーもまた上がっているに違いなく、そのリテラシーを背景に、さらに新しいテクノロジーやサーヴィスが産まれているということだ。そうやって、右に左に振れながら悩み、三歩進んで二歩下がっては議論をし、デジタルテクノロジーは深みをまし、同時に社会は少しずつ姿を変えていく。望むらくはいい方に。

2014年は、World Wide Webが考案されて25年という節目の年だった。そのアニヴァーサリー・イヤーに海外で喧しく議論されていたのは、スノーデン事件以降のインターネットやオープンウェブのありようだった。自由な対話のプラットフォームでありながら、権力の監視装置としてこの上なく有用でもあるインターネットという両刃の剣の運用をめぐる問題は、25年目にして、かつてないほど重大な局面を迎えるにいたった。そして、言うまでもなく、そこには、一朝一夕に導き出せる「正解」なんてないのだ。

ぼくらは、おそらく想像以上に大きな転換を生きている。それは、たとえば向こう10年もたてば大方の趨勢が決するような転換ではなく、50年たっても、まだ、じりじりじりじりと前進を続けなければいけないような転換かもしれない。

仮に一時的な勇み足や踏み外しがあったとしても、そうした失敗をともに共有してきた社会は、失敗を恐れて一歩も踏み出せない社会よりも、はるかに多くの知識や知恵を得ることとなる。長い目で見るなら、絶えず流動している時代と一緒になって流動しつづけることのほうが、きっと得るものが多い。趨勢が決したところまでじっと待ってから勝ち馬に乗るような考えは、いまはむしろ、取り返しのつかない後退を意味するのかもしれない。

(と言いながら、そもそも人類史全体が、ずっと不断の過渡期にほかならなかったという気もしなくもないのだけれども、とするなら、ぼくらの社会は、そして自分も、いつからこんなに「変化」というものが苦手になってしまったのだろう)

『WIRED』なんていうメディアに関わっているおかげで、「未来はどうなりますか?」といった類の質問をされることがままある。謙遜でもなんでもなく、「未来」なんてわかるはずもない。わかるわけがない。

それでも、ヒントでもいいから、なにかしら答えめいたものを知りたいと思うのが人の常という言うのなら、自分だってそうだ。けれども、すべてを首尾よく解決してくれる「正解」なんていうものは、おそらく探してもみつからないだろうし、せいぜいのところ、前よりは少しはマシかもと思える答えでまずは良しとする、くらいで満足しないといけないのだろう、というのが、ぼくが、メタリカから得る教訓だ。


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“OuiShare Summit 2012” by OuiShare (CC:BY 2.0 Generic)

Uberの話に戻ると、まあ、これだけ急激に拡大すれば、そりゃいろんなところで、いろんな問題は起きるでしょうよ、というのが率直な感想で、それによって、かたやUberは、サーヴィスの改善に乗り出すだろうし、一方、Uberに脅かされつつある旧来のタクシー業界や運送業界は、負けじとUberを批判するだろうし、批判するだけでなく、自分たちのサーヴィスの見直しを迫られる。そのことで、ぼくらユーザーは、Uber以前には、体験することのできなかった新しい何かを得ることになる。

もちろん、Uberを信頼して乗ったにもかかわらずレイプ被害にあった人を、前進のためには必要な犠牲だった、と言うつもりはない。けれど、それをもって、「やっぱりUberはダメだね」としてしまうのも、また意味がないだろう。UberやAirbnbといったサーヴィスが、関連業界や法規制との軋轢を生むことを承知で、あえてグレーゾーンを狙ってビジネスを展開しているのは明らかだ。

そのことをそれ自体として問題にすることは意味あることだとしても、忘れてはならないのは、世界はすでにUberやAirbnbがなかった世界とは異なるものになってしまっているということだろう。UberやAirbnbが、Napsterのように消え去ったとしても、おそらく配車サーヴィスやハウスシェアのSpotifyはいずれ出てくる。そのとき、それぞれのサーヴィスやそれを受け入れる社会も、少しはこなれたなものとなっているはずで、そのとき世論は、というか、ぼくらは、いましている批判と、真逆の批判をしていたりするのかもしれないのだ。

完全無欠にして最終的な「正解」が未来にはある、と考えることこそ最も危険な未来論である、というのが最近のぼくのお気に入りの未来論だ。長い過渡期にあって、すべては過渡的だ。なので、どこまで行っても問題は常にある。ということは見出されるべき解決策もその都度あるということだ。そしてそれを探すのは、ほかでもない、ぼくら自身なのだ。

「地図ではなく、コンパスを持て」

そう言ったのは、MITメディアラボ所長の伊藤穰一さんだ。ぼくは、そこに「よりよく迷え」というメッセージを読み取る。今年もまたこの名言を噛み締めながら暮らすことになりそうだ。

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