おそらく総じてアギーレが就任してから活動した正味3か月間は、必要な刺激が与えられ変革が進んだ。ワールドカップ時と比べて、あまりメンバーは変わらないが、例えばそのままザック体制が続けば、閉塞状況のままアジアカップに突入していたに違いない。
 
 しかしそれにしても、アギーレイズムが浸透するには時間が短過ぎた。おそらく依然として選手たちにとっても、監督の人格や実力は半信半疑だろう。裏返せば、過去に突貫で窮地を乗り越えてきたアギーレの真価は、アジアカップでこそ問われることになる。
 
 突出した国が見当たらず、酷暑の中での短期決戦になるアジアカップは、ワールドカップ以上に筋書きが読みにくい。とにかく優勝までは、いくつもの難関が待ち構えている。最大の山は、地元オーストラリアだが、その前にワールドカップ後もカルロス・ケイロス体制が継続されているイランが立ちはだかる可能性がある。イランを避けるには、グループDの首位通過が不可欠だが、とりわけこの条件下で同組のイラクやヨルダンは侮れない。
 
 それでももし日本がグループDを首位で抜ければ、前回同様に準決勝で韓国、勝てば決勝でオーストラリアと顔を合わせる公算が強まる。どちらも楽な試合にはならない。ただしウリ・シュティーリケが新監督に就任して間もない韓国は、チームとしての精度は良くて日本と同程度だろう。むしろ11月に長居で日本に敗れながら、強烈なインパクトを残したのがオーストラリアだった。特に前半は、若い選手たちがアグレッシブで質の高いパフォーマンスで主導権を握った。もしそこにティム・ケーヒルが加わっていたら、日本が巻き返せた保証はなかった。
 
 改めて就任からの6試合で、アギーレが公平なセレクターで、理詰めに采配ができる、経験豊富で肝の座った指揮官であることは仄見えた。しかし懸案の「八百長疑惑」と同じく、まだ彼は何も証明していない。
 
 告発されただけで、即解任の可能性を探るのは拙速だろう。しかし結果的にアジアカップは、新監督への信任が問われる重要なリトマス試験紙になってしまった。疑惑の本質とは乖離するが、おそらく結果次第で世論がどちらかに大きく動くことは間違いない。
 
文:加部 究(スポーツライター)