先日、膀胱がんを患ったが回復し、畑山隆則氏と営むジムで後進の育成に励んでいる竹原慎二氏

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最強王者・リゴンドーに果敢に挑む天笠尚のWBO世界スーパーフライ級王座挑戦や、内山高志のWBA世界スーパーフェザー級王座防衛戦など今年の年末はボクシングのビッグマッチが目白押しだ。

そこで、今また黄金期を迎えつつあると盛り上がる日本ボクシング界、その歴史を築いてきたレジェンドボクサーたちの証言を連続インタビューで送るシリーズ――。

今回は、日本人初の世界ミドル級制覇という前人未到の偉業を成し遂げた、竹原慎二!

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「勝てるわけがない。正直、試合が決まってからずっと怖くてたまらなかったんです」

1995年12月19日に、日本人として初めて世界ミドル級王座を獲得してから約20年がたつ。当時、歴史的なアタックを前に胸に秘めていた心情を、竹原氏はそう明かしてくれた。

「チャンピオンのホルヘ・カストロは、それまで100戦以上も戦って、KO負けはもちろんダウンすら経験したことのない選手。スピードはないけど、とにかく馬力が半端じゃない。潰(つぶ)されてしまうのではないかと、不安で不安でしょうがなかったですね」

ミドル級といえば、世界でも重量級随一の激戦区。それまで23戦全勝(18KO)と、東洋で無敗の快進撃を続けていた竹原氏をもってしても、その頂(いただき)はあまりにも高く険しいものだった。

何しろ日本では、それまで戴冠はおろか挑戦者すら現れなかった王座なのだ。今にして思えば、竹原氏の世界挑戦が決まった際、ファンや関係者の多くが「挑戦できるだけ大したもの」と、どこか“記念挑戦”めいた空気を漂わせていたのも無理からぬことであった。

「それまで僕の試合を中継してくれていたテレビ局も、この試合は放送してくれなくなった。もちろん金銭面など大人の事情があってのことでしょうが、すごくガッカリしたし、やっぱり悔しかったですよね」

日本初の快挙に挑む一戦ながら、この試合は結局、テレビ東京が関東ローカルで深夜に録画中継したのみ。今さらながら、信じ難い不遇である。

ともあれ、これが“見返してやる!”という原動力につながったのも事実のようだ。

186僂竜雍蹐忙合わず、試合前はいつも「不安で仕方がなかった」とナイーブな一面をのぞかせる竹原氏。しかし、前人未到の世界戦に向けて、ふつふつと闘志をたぎらせていく。

「勝てるわけがないと、自分で思うのはともかく、他人から言われるとやはり腹が立つんですよ(笑)。試合が近づくにつれ、“絶対に獲ってやる!”という気持ちが高まっていきました。

それに、カストロというのはボクサーにしては肉づきがいい選手。その姿を見ているうちに、あんなデブに負けてたまるかと思うようにもなっていました」

果たして、下馬評では絶対的にチャンピオン有利とされた、この試合。序盤から快調にジャブを飛ばし、3ラウンドには不倒伝説を誇るカストロからボディブローでダウンを奪ってみせる。試合前には想像もされなかったシーンである。

その後も竹原氏は歴戦の王者と堂々渡り合い、文句なしの判定勝利でタイトルを奪取。日本ボクシングに偉大な歴史が刻まれた瞬間であった。

もっとも、当の竹原氏に言わせれば「うれしかったけど、まったく実感がわかなかった」そうだが、つまりは夢見心地というやつだったのかもしれない。

最近では団体の乱立もあり、昔より「世界」が近くなったといわれるボクシング界。それでも以降、日本からミドル級の世界王者は生まれていない。

あまりにもセンセーショナルだった戴冠劇から半年後の96年6月24日。ランキング1位のアメリカ人選手、ウィリアム・ジョッピーを迎えて初防衛戦がセットされる。今度は横浜アリーナの大会場で、ゴールデンタイムの生中継付きだ。本人にとっても前戦の鬱憤(うっぷん)が晴れる、胸のすく待遇であろうと思いきや……。

「実はカストロ戦の後、左目に異変が生じ、ほとんど見えなくなっていたんです。練習もままならない状態でしたが、だからといってケガが癒えるまで試合を待ってもらえる状況でもなく、本当にリングに上がるだけで精いっぱいの状態でした」

実際、この日はスピードも積極性も感じられず、カストロ戦とは別人のように精彩を欠いた。

「相手の右がまったく見えず、1ラウンドからダウンを食っちゃいました。ジョッピーはスピードもあるし、パンチも硬いし、もうどうにも手の打ちようがなかったですね」

結果、9ラウンドTKOで王座陥落。試合後に左目の網膜剥離が明らかになり、これが竹原氏のラストファイトとなった。左目の不調が実は試合前からのものであったことは、今だから明かせる舞台裏である。

ともあれ、長らく世界に通用する人材に恵まれなかった日本のミドル級において、一時代を築いた竹原氏。その功績は輝かしいものだが、当の本人は苦い表情で25戦のキャリアについてこう振り返る。

「正直、楽しんでやれた試合なんてひとつもなかったですよ。試合前は常に憂鬱で、“事故にでも遭って試合が中止にならないかな”と、いつも本気で考えていましたから。

もともとがどうしようもない不良少年でしたから、ボクシングで少し認めてもらえるようになって、その立場を失うのが怖かった。特に日本チャンピオン、東洋太平洋チャンピオンになってからは尚更でした」

無敗の快進撃の裏に潜む、知られざる苦悩である。

引退後はタレントとしてブレイク。TBS系『ガチンコ!』での鬼コーチぶりを覚えている読者も多いだろう。

最近は元王者の畑山隆則氏とともにジムを営み、後進の指導にもあたっているが、つい先日、膀胱(ぼうこう)がんを患い手術を受けていたことを明かし、ファンから心配の声が上がっている。

「現在はすっかり回復していますので、ご安心を。悩んでいても何もいいことはないですし、まだまだ選手を育てていかなければならないですから、これからもバリバリやりますよ」

■竹原慎二(たけはら・しんじ)

1972年生まれ、広島県出身。1995年、日本人として史上初となる世界ミドル級(WBA)王座を獲得。身長186僉8什澆魯織譽鵐罰萋阿遼気蕁◆孱圈H竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム」会長を務め、後進の育成に励む

(取材・文/友清 哲 撮影/ヤナガワゴーッ!)

■明日は、畑山隆則インタビューを配信予定!