ボクサーとしてはアンバランスな身体を、逆に武器にしていたと打ち明ける鬼塚氏

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最強王者・リゴンドーに果敢に挑む天笠尚のWBO世界スーパーフライ級王座挑戦や、内山高志のWBA世界スーパーフェザー級王座防衛戦など今年の年末はボクシングのビッグマッチが目白押しだ。

そこで、今また黄金期を迎えつつあると盛り上がる日本ボクシング界、その歴史を築いてきたレジェンドボクサーたちの証言を連続インタビューで送るシリーズ――。

今回は、突き抜けたカリスマ性でファンを魅了した鬼塚勝也! どこまでもストイックに戦い続けたその姿の裏には、現役時代には決して明かすことのなかったコンプレックスが隠されていた。

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現役時代の鬼塚氏は、常に鬼気迫るオーラを発する孤高の人であった。ひとたび試合が決まれば、ファンやメディアに愛想笑いを見せることもなく、「マスコミ嫌い」とささやかれもしたが、むしろその姿に魅了されたファンも少なくなかっただろう。

鬼塚氏が、満を持して世界タイトルに挑んだのは1992年4月10日、19戦目のこと。前王者のタイトル返上によって巡ってきた世界王座決定戦を、タイのタノムサク・シスボーベーと争うことが決まったのだ。

ここまでの戦績は18戦全勝(16KO)と完璧なもの。その勢いからすれば、下馬評で“鬼塚有利”といわれるのも当然だろう。ところが、ここで思わぬ苦難が待っていた。

「10代の頃、タイへ武者修行に行った際に、僕はたまたまタノムサクの試合を見ているんです。そのとき、世界にはこんなに強いヤツがいるんだなと驚いたくらいですから、自分が有利だなんてまったく思えなかったですね。厳しい試合になることはわかっていました」

それでも激闘の末、僅差の判定勝ちをものにした鬼塚氏。だがこの試合、微妙な採点にメディアから“疑惑の判定”と批判が巻き起こったことを覚えている人も多いだろう。「報道は見ないようにしていた」と振り返る鬼塚氏だが、内心では忸怩(じくじ)たる思いがあったはずだ。

初防衛戦では、ベテラン松村謙二を5ラウンドで一蹴してウサを晴らすが、その求道者のような物腰はいっそうすごみを増したように見えた。

「世間の期待と僕自身の力にギャップを感じることはありました。戦績は無敗だけど、僕は決してエリート選手と思っていません。弱い自分と向き合いながら毎日勝つために必死に練習していました」

これは少々意外な言葉だ。少なくとも我々が知るボクサー鬼塚勝也は、軽快にステップを踏みながら目にも留まらぬ高速ジャブを飛ばし、バタバタと相手を倒しまくる、才気あふれる選手であったはずだ。

「いや、それはすべて見せかけなんです。僕はボクサーとして恵まれた才能は持っていませんでしたから。今でも足のサイズは実寸で21・5?しかないし、手のひらもそのへんの女性より小さい。身長こそそれなりだけど(173?)、リーチがものすごく短いから、ガードを固めてもボディまで覆うことができない。すごくバランスの悪いボクサーです」

そう言いながら手を開いて見せる鬼塚氏だが、確かに成人男性としてはかなり小ぶりだ。現役時代はこうした弱点をひた隠しにし、ジャブを打つ際も肩や腰を入れて距離を稼ぎ、あたかも長い距離で戦うのを得意とするボクサーであるかのように振る舞った。

「すると、対戦相手はロングレンジでは不利だと思って、中へ入ってこようとします。でも実は、接近戦のほうが僕は得意なんです。そうやって相手を誘い込む。引退した今だから明かせることですけどね」

引退から20年を経て、初めて種明かしされたトリックである。

批判を浴びたタノムサク戦以降、鬼塚氏はいっそうメディアと距離を置き始めたように見えたが、これは何もマスコミに対する意趣返しではない。こうしたパブリックイメージとのギャップに、鬼塚氏は常に苦しんでいたのだ。

その後、「モンストルオ(怪物)」の異名を持つメキシカン、アルマンド・カストロに快勝したV2戦、タノムサクとの再戦に競り勝ったV4戦など、闘魂を前面に押し出した戦いぶりでファンを魅了した鬼塚氏。それでも鬼気迫る表情が消えることはなかった。

「世界一になれば、きっと素晴らしい景色が見られると思っていました。でも、チャンピオンになっても僕は僕のままで、何ひとつ変わらない。あれほど望んでいた高みに到達しても、そこには何もなかったんです」

こうした虚無感から、防衛戦に勝利しても素直に喜べる感じはなかったという。むしろ、すでに世界一の座にいることで行き先を失った感さえあった。

また、キャリアの後半は目の悪さにも悩まされていたと打ち明ける。

「もともと視力はよくなかったんです。試合後、控室で取材を受けるとき、いつもサングラスをかけていたでしょ? あれ、実は度入りなんです。カッコつけていたわけではなく、目が悪いのをごまかすためのアイテムでした。最後のほうは眼疾もあったし、ほとんど見えていなかったですね」

そんな鬼塚氏が、まるで憑物(つきもの)が落ちたかのようにスッキリとした表情でリングを降りた試合がある。94年9月18日、王座を失い、ラストファイトとなった李炯哲(イ・ヒョンチョル 韓国)戦だ。序盤から展開された迫力満点の打撃戦に会場は大いに沸いたが、鬼塚氏は9ラウンドに力尽き、ベルトを失った。

「スッキリした顔に見えましたか? もちろん負けた悔しさはありましたよ。でも逆に、勝ったときにいつも感じていたもどかしさがなかったんです。試合前は常に相手を徹底的に研究して、まず最悪の試合展開をイメージした上で、そうならないためにどうするかを必死に考えました。

でも、目のこともあったし、もう戦えないことはわかっていましたからね。あの試合だけは、初めて相手のビデオを一切見ず、“素の鬼塚勝也をそのままぶつけよう”と決めたんです。スッキリして見えたのは、そういう満足感があったからかもしれないですね」

これこそ、孤高の求道者のひとつの到達点だったのかもしれない。

■鬼塚勝也(おにづか・かつや)

1970年生まれ、福岡県出身。高校時代にインターハイで優勝し、88年に協栄ジムからデビュー。92年にタノムサク・シスボーベーに判定勝ちし、WBA世界スーパーフライ級王座を獲得。現在はアーティストとしても活躍

(取材・文/友清 哲 撮影/木寺一路)

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