スペインと日本のサッカー文化には、小さくない違いがある。そこからアギーレの八百長疑惑を考える。何が見えるだろうか。 (C) Getty Images

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 スペイン検察当局が告発状を提出したことで急展開を見せたのが、ハビエル・アギーレ監督の関与が疑われる八百長疑惑だ。進退問題にまで言及するメディアは少なくなく、とくに大手のスポーツ新聞社はその傾向が強いようだ。
 
 2010-11シーズン、アギーレが指揮していたサラゴサが、1部残留を懸けた最終節で対戦相手のレバンテを金銭で買収。試合結果を操作したのではないかというのが、この八百長疑惑である。
 
 告発状の提出で捜査が始まることになったとはいえ、当然のように現時点では何も証明されておらず、アギーレ自身も関与を全面的に否定している。
 
 リーガ・エスパニョーラでは、シーズン終盤を迎えると毎年のように「マレティーネス」という言葉が頻繁にメディアに躍る。マレティーネスとは日本語でアタッシュケースの意味。札束入りのアタッシュケースを用意して試合結果を操作するという隠語だ。
 
 よくあるのはこんな工作だ。あるいは優勝を、あるいは残留を、あるいは欧州カップ戦の出場権を争っているライバルと対戦するチームにマレティーネスを届け、本気で戦ってもらうという手の回し方だ。
 
 逆に言えば、スペインでは終盤になって目標がなくなったチームが、途端に無気力になるというケースが少なくない。こうした不健全な状況を改善するために、マレティーネスのような“第三者による勝利ボーナス”を認めるべきだという意見が出ることさえある。
 
 もっとも、袖の下を受け取ってわざと負けるという直接的な行為には、彼らも拒絶反応を示す。アギーレが嫌疑をかけられているのはその直接的な八百長の疑惑であり、サラゴサはレバンテを買収して2-1の勝利と残留を買ったのではないかと疑われている。
 
 サラゴサの八百長疑惑がここまで追及されることになったのは、ひとつにはスペイン・プロリーグ機構(LFP)のハビエル・テバス会長の存在が大きかった。このテバスは昨年4月に会長の座に就くと、LFPに蔓延る事なかれ主義を打破し、リーガを浄化しようとバリバリやり出したのだ。サラゴサとレバンテはいわゆる中堅クラブであり、“見せしめ”として格好のターゲットでもあった。
 それにしても、どうしてスペイン人はマレティーネスというプロ精神に反する行為に対して、寛容とも言える態度を示すのだろうか。それは、サッカーという競技が綺麗ごとだけでは済まされないということを理解しているからだろう。
 
 政府をはじめとする公的機関による特定のクラブに対する違法優遇疑惑、クラブの給与遅配問題、一向に改善される兆しが見えないテレビ放映権料の不公平な分配、先日死傷者を出したことでクローズアップされている過激派サポーターの問題など、現在リーガには解決すべき課題がそれこそ山積みだ。
 
 しかし、連盟やクラブの幹部など責任ある立場の人間には、そうしたネガティブな問題には見て見ぬふりを決め込み、サッカーからこぼれ落ちてくるうまい汁だけを吸おうという輩が少なくない。しかもその多くは、既得権益に固執してポストに居座りつづける。26年という長期に渡って会長に君臨し、スペイン・サッカー連盟を支配するアンヘル・マリア・ビジャールなどはその代表例だ。
 
 反対に、今年1月、ネイマールの移籍問題を発端に、明確な理由を明らかにしないまま電撃辞任したバルセロナのサンドロ・ロセイ前会長などは、その潔さがむしろ批判の対象になったほどだ。
 
 アギーレはそんなスペイン・サッカー界で生き抜いてきた人間だ。リーガでの監督歴は10年に及ぶ。生き馬の目を抜くような世界で、酸いも甘いもすべて噛み分けてきたのが、アギーレという指揮官だ。
 
 しかも監督として率いたのは、オサスナ、アトレティコ・マドリー、サラゴサ、エスパニョールといった、いずれも特有のカルチャーを持った一筋縄ではいかないクラブばかり。サラゴサでは、黒い噂が絶えなかったアガピト・イグレシアス前会長の下で仕事をした。このイグレシアス前会長が八百長の首謀者として疑われている。
 
 アギーレの“身体検査”が不十分だったと、日本サッカー協会を批判する向きがある。とはいえ、マレティーネスがいわば蔓延しているスペインで、そうした疑惑とまったく無関係なサッカー関係者を探すほうが難しいというのが現実だ。
 
 もちろん、スペインのサッカー界に長く身を置いてきたというその事実が、仮に八百長に関与していたとして、その免罪符になるわけではない。
 
 ブラジル・ワールドカップの惨敗を受け、日本サッカー協会が求めたのは、代表レベルでもクラブレベルでも豊富な実績と経験を持つ監督だった。その意味では、油断も隙もならないスペイン・サッカー界を生き抜いてきた海千山千のアギーレは、理想的な適材だったと言えるだろう。清濁は別にして、だ。
 
文:下村正幸