【アギーレジャパンとの遭遇〜世界へ挑む男たち・田口泰士(前編)】

 名古屋市内にあるレンタルビデオショップ「TSUTAYA」で、彼はDVDを選んでいた。痛快な気分にさせてくれる映画が好き。例えばカーアクション映画のシリーズ『ワイルド・スピード』はお気に入りだ。

 一緒にいたチームメイトとふざけ合っていると、手にしていた携帯電話の着信が鳴った。画面表示はクラブフロントの人になっていた。「なにかな?」と訝(いぶか)りながら通話ボタンを押した。毎日のように練習場に通っているわけで、火急の用件でない限り、電話は来ないからだ。

「とんでもないことになったぞ」

 そう告げられたとき、彼は一瞬、頭が混乱した。

<なんかやらかしたっけ......>

 とりあえず、1週間の自分の行動を素早く振り返ってみたが、やましいことはなにひとつなかった。

「えっ、なんなんすか?」

 通話口で必死に訊いても、「何だと思う?」と焦らされる。悪さはしていなかったから、次第に息が整ってきた。

「よく聞けよ、代表に入ったぞ」

 彼はそれを聞いて、再び鼓動が早まるのを感じた。

「それは、マジでやばいっすね......」

 そう返すのが精一杯だった。ジャマイカ、ブラジル戦の代表メンバーは数日前に発表されており、負傷した吉田麻也の代替選手として招集された。そうした緊急的状況だっただけに、寝耳に水の一報になった。初の代表招集。候補に名前が挙がっていたわけでもなかった。"これはからかわれているんじゃないか"とさえ疑ったが、それは真実だった。

「やばいよ」

 電話を切って事情を話すと、年下のチームメイトが祝福してくれた。しかし、彼には実感が湧いてこなかった。

<やばいな>

 言葉にならない高揚感だけが、体を駆け巡った。その日、彼はDVDを借りずに家に帰っている。

 2014年10月、名古屋グランパスに所属する田口泰士(23)は初めて日本代表に選出された。

 ブラジルW杯後に代表監督に就任したハビエル・アギーレは、選手をシャッフルしながら代表チームの今後の核を模索していた。田口はその候補の一人として選ばれることになった。ジャマイカ戦で香川真司と交代して代表デビューを飾り、続くブラジル戦は先発フル出場を果たした。さらに11月の代表戦でもメンバーに招集され、ホンジュラス戦でも長谷部誠と交代で途中出場している。

「すっかり代表に定着しましたが......」

 リポーターや記者に的外れな前置きで質問を振られると、彼は居心地が悪くなる。3試合はあっという間だった。なにかを残したとも思っていない。

 ブラジル戦は4−3−3のアンカーとしての出場で、ホンジュラス戦も同じポジションに入った。

「ブラジル戦は頭から使うぞ。おまえは所属チームでは(ボランチ)2枚でやっているんだったな?」

 アギーレに問われたとき、彼はわずかに戸惑いながらも応えた。

「はい」

「アンカーもいけるな? おまえは右も左も蹴れる。ビジョンもあるから展開力を出して欲しい。そして守備に関しては真ん中から離れるな」

 自分はアンカーとして呼ばれたんだ、とそのとき思い知った。練習はボール回しなどが多く、紅白戦のサブ組に入ったときは敵チームのフォーメーションで戦うため、センターバックをやることもあった。自分のどこが評価されているか、それまでは把握していなかった。

 田口は名古屋でダブルボランチの一角でプレイしている。ダブルボランチは守備では左右どちらかを担当し、攻撃はどちらか一人が飛び出したら、もう一人はカバーするなど役割が明確だ。一方、4−3−3のアンカーは最終ラインの前でボールを振り分けて攻撃を組み立て、センターバックの守備を補強し、攻守全体の舵を取る。自分の両サイドのスペースをどう守るか、とりわけ守備面のバランスが難しい。

<やれることをやるだけ>

 彼はそう腹を据えていた。

 しかし、世界に冠たるブラジルは甘くなかった。とにかくボールの取りどころがない。相手のペースで試合は進む。そして前半18分、目の前で好きなようにボールを持ち運ばれそうになるのを我慢できず、寄せた瞬間にパスをはたかれてしまう。自分がいたスペースを使われ、ネイマールに先制点を決められた。

「たしかに自分がボールを取りに行ったことでやられたんですよ。でも、あれを行かないと、前のスペースを使われていたはずで。インサイドハーフを動かして寄せてもらえば良かったですけど、そういうコンビネーションはチームで一緒にやっていないと無理。そこは難しいですよね」

 田口はブラジルという隙のない相手を前にして、考え込んでしまった。例えばネイマールはコントロールが完璧で隙がなく、自分たちのミスで持って行かれたら、打つ手がない。

<やっぱり世界は個の力が高いな>

 彼はピッチの上で世界標準を体感していた。

「ある程度はできたような気もするし、まるでできなかったような気もします。例えば攻撃では何度か効果的なくさびは入れられたと思うんですけどね。でも結局、(0−4で)負けているわけだから、なんとも言えませんね。もし次にブラジルとやったら?......自分からは動かないですね。(敵ボールでも)取りにいかない、もうそれしかないと思います」

 敵を知り、己を知ることも成長の一つだろう。

 アンカーというポジションへの挑戦。それは、彼にとってもう一つの飛躍のキッカケになるかもしれない――。

 2009年1月に流通経済大学付属柏高校から名古屋グランパスに入っている田口は、入団以来3シーズンでリーグ戦わずか4試合出場と定位置をつかめていない。高卒ルーキーであっても、3シーズンで数分間の出場時間では、4シーズン目は崖っぷちとなる。カテゴリーを下げ、新天地に踏み出すしかない。それは片道切符になる場合も少なくなく、プロは過酷な世界だ。

 後がなかった田口の起死回生は、ポジションのコンバートにあった。高校まではFW、攻撃的MFでのプレイが多かったが、ドラガン・ストイコビッチ監督のアシスタントコーチをしていたボスコ・ジュロヴスキ(現在はマケドニア代表監督)の一言でボランチに転向した。

「タイシのスキルやビジョンはボランチで生きる」

 2012年、夏になる前のリーグ中断期に言われた田口は、ボランチに道を見いだすようになっていった。当時、ボランチの選手にケガ人が続出していたことも彼にとっては幸いした。一つポジションを下げたことで、プレイビジョンと攻撃センスが際立った。盛んに首を振りながら時間と空間を計算し、インターセプトでも才能を発揮。身体的な強さも兼ね備え、コンタクトプレイに怯まず、守備でがつがつと競える強さもある。

 ボランチの適性があったのだろう。

「バチバチとやるのは、オレは好きですね。それはたぶん昔からで。球際とかでは絶対に負けたくない」

 そう語る田口は、頭で考えるよりも体が先に反応する。「肉体の反射」に特長がある選手だ。常に相手の動きを読み、機先を制するように自分が体を動かせる。その動きは獣的で、相手に食らいつく。

 高校時代の練習だった。ゴール前のペナルティスポットからボールを高く上げる。左右に立つ二人がゴールに向かってヘディングで競り合い、負けたら居残る。体をぶつけ合うヘディング練習は最高の鍛錬になった。実戦さながらの激しい当たりで、太ももに膝が入って悶絶したり、着地に失敗して足を挫いたり、骨折をする選手までいた。単純明快なトレーニングは、彼の"戦闘力"を高めることになった。

 そんな彼にはポジションのこだわりなどない。戦うことを許されたら、そこに愉悦を見つける。

「アギーレさんは『複数のポジションをこなせるように』と語っているので、自分としてはアンカーがいいとか、他のポジションがいいとかはないです。そんなことを言える立場の選手ではない。正直を言えば、アンカーの一つ前のインサイドハーフの方が少し恐いかもしれません。オレはドリブルで持ち運ぶタイプじゃないから、連係で崩すしかないし、動き方がよく分からない。相手のプレッシャーもかかってきやすいから、ボールを失う怖さもあるんで」
(続く)

小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki