〈バイトに行けなかったが、はやめにかわってもらえたのでよかった。気圧に関係があるように思う。……〉佐藤文香の日記より(2012年5月29日)。

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第2句集『君に目があり見開かれ』を上梓した佐藤文香。
俳句とどうつきあっているの? 双極性障害とどうつきあっているの? 恋愛とどう向き合っているの? という3つ、そしてその3つがどう関わりあっているのかについてのインタビュー第二回目(第一回目も読んでね)。
鬱状態になり落ち込んでいるとき、俳句は彼女の支えになったのか? 落ち込んだ状態からどのように這い上がったのか? 

■俳句は支えになった?
米光 そのころはもう、俳句をやってて。
佐藤 俳句は中学校のころから。いま思えば、中・高・大学の始めまでは軽い躁気味の人間だったと思うんですよ。自信家だったし、明るいし。仲のいい俳句の先輩からは「あのころ生意気だったよねー」って言われました。
米光 高校のころ、第五回俳句甲子園で最優秀賞に選ばれたのが、佐藤文香さんの
夕立の一粒源氏物語
という句。
佐藤 俳句甲子園の審査員は第一線で活躍している方々なので、大学で上京して、結社の句会に遊びに行っても「俳句甲子園で優勝した佐藤さんだよ」って紹介されて、みんなにかわいがってもらえた。根拠のない自信がみなぎってる子だったんですよね(笑)。
米光 根拠なくはないからね。
佐藤 いやいやいや。
米光 ベタな質問で申し訳ないんだけどさ、落ち込んだ1週間のときに、俳句は支えになった?
佐藤 自分に自信がなくなっているから、「いい句が書けた!」みたいな喜びは得にくいし、今日書いた俳句が誰かに評価されて今日救われるみたいな機会もあまりなかったです。そんなときでも書き続けられていた、というのが、あとから支えになった、ということはありますが。
米光 句会に行く気は起きなかった?
佐藤 人が怖くて。行ったら行ったで、やっぱり調子が悪くなって。途中で薬を飲んで寝ちゃったりしてました。そのとき選んだのは、俳句じゃなくて、痩せることでしたね。
米光 んー。
佐藤 自分は何にもできない。だからせめて可愛くなろうと。今より10キロぐらい痩せました。それが大学4年の夏かな。
米光 ……それは、ダイエットしようと思って痩せたの? 
佐藤 いや、軽い拒食症だと思います。1食に2口ぐらいしか食べない。もうおなかいっぱい、みたいな。
米光 うーーん。可愛くなろうっていうよりも、食べられないってかんじが。
佐藤 そうですね。ふらふらするけどそれがいい、みたいな。

■その後の紆余曲折
米光 最初は鬱だと診断され、そのあと、双極性障害だったと分かって、幅を抑える薬を処方してもらって、ずっと飲み続けていると。
佐藤 そうです。
米光 本人の感覚としては……ずーっとつきあっていくかんじのもの、なの?
佐藤 それは、その後のことも話すと分かりやすいのかなーと思うので、話します。
米光 うん。
佐藤 小学生の塾講をやっていて。そのとき付き合ってた人が、言葉のDVをふるう人で。依存体質だから、そういうタイプに惹かれてしまったんですよね。彼が「自費出版で出した本をまわりに配って、なんの意味があるんだ。10円でも売れたほうがいいだろう。ぜんぶブックオフに売ってこい」と。
米光 うううーん。
佐藤 だから第一句集を出したあとも、すごく調子が悪かったです。
米光 第一句集は『海藻標本』。最初の一句が、
少女みな紺の水着を絞りけり
この句集で、宗左近俳句大賞を受賞した。でも、調子いいわけではなかった、と。
佐藤 彼は、酔っぱらったときの精神的DVがひどくて、もう無理かなって思ってたときに、相手に女ができたらしく「おまえは松山に帰れ」「松山に帰って俺のために金を稼げ」と言われ。
米光 えええー。
佐藤 「じゃあそうするわ」と。松山での生活が始まりました。月の手取りが11万代、そのうちの8万を彼のために貯めて。