『気障でけっこうです』小嶋 陽太郎 KADOKAWA/角川書店

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 もちろんけっこうですとも。あ、これはタイトルへのアンサー。気障でいっこうにかまわない。それにしても、"気障"という言葉を最近とんと耳にしなくなった。昔はもっと身近に存在した気がするのに。と思って、我が家の息子ら(3人とも平成生まれ)に聞いてみたところ、「"気障"という言葉の意味は知っているが(「かっこつけてるとかそういう意味でしょ」との答え。まあ合ってる)、日常で使ったり耳にしたりすることはほとんどない」という。やはり! では最近の若い者は、遠藤周作が作った素人劇団「樹座」は"気障"にかけているとは気づかないということなのか(←そんなことは私の同世代でもほとんど知らないだろうけども)。
"気障"という概念は不思議である。例えばうちの母などは、蝶ネクタイやピンクのシャツなどを着用する男性に対してもれなく「気障ったらしい」と批判的だったのに、「ゴレンジャー」でいちばん好きなのはアオレンジャーなのだった。"気障"にはたいてい揶揄や嫌悪のニュアンスが含まれるにもかかわらず、その対象がハンサムだったりかっこよかったりする場合は俄然アドバンテージとなり得るということだ。しかしそれも人材がいてこそ語るに足る話である。ハンフリー・ボガートや沢田研二といった大物の活躍も今は昔(現ジュリーは...)。平成の"気障"を一手に引き受ける及川ミッチーには今後ともがんばってもらいたい。

 本書に登場する幽霊・シチサンは、そんな人材不足の"気障"界に登場した期待のニューフェイスだ(架空の人物だが)。主人公の女子高生・きよ子は、ある日公園で首まで地面に埋まった男に出会った。厭世的な様子の男を救おうと家にスコップを取りに帰った彼女は、公園に戻る途中で交通事故に遭ってしまう。病室で目を覚ましたら、そこに現れたのはなんとその男の幽霊。この世に未練があると語る幽霊(髪形が七三分けなので「シチサン」)は、きよ子の目にしか見えず、きよ子が行くところにしか行かれない。また、生き物に直接触ることもできず、きよ子の着替え中に出現したりするのもNGと、細かくルールが決められている。奇妙な共同生活を送る中でしばしばシチサンに振り回されるきよ子だったが、さらに思いもよらぬ騒動に巻き込まれ...。
 幽霊が出てくるという意味ではファンタジーともいえるし、シチサンの死にまつわる謎を解いていくという点ではミステリーとも読めるし、きよ子と親友のキエちゃんの友情小説でもあるし、なんと恋愛小説に近い趣もあるし、しかしそう聞いて『ハリー・ポッター』みたいな話を想像するとそれはまったく違うという、なんともユニークな作品なのだ。

 著者の小嶋陽太郎氏は、第16回ボイルドエッグズ新人賞を受賞した本作でデビュー。三浦しをんや万城目学を輩出した同賞の最年少受賞者となった。まだ現役の大学生ということだが、語り口は軽妙で老成している(そのせいか、七三分けというスタイル自体のそもそも古さに起因するものか、シチサンについて私はしばらくお笑いコンビ・イワイガワの岩井ジョニ男をイメージしながら読んでいた。が、実は36歳という実年齢〈?〉よりかなり若く見えるうえに、足も長いというではないか! イメージの軌道修正にずいぶん苦労したことを付け加えさせていただく)。よく話が合うのは自分より10歳以上年上の世代、好きなタイプは小学生時代から変わらず山本学(故人を入れていいなら笠智衆も)という私には、実に読み心地よく感じられる小説であった。学業の方もお忙しいことと思いますが、次回作にも期待しております。

(松井ゆかり)