「池澤夏樹個人編集 日本文学全集」刊行記念シンポジウムが12月2日に行われた。左から、池澤夏樹、伊藤比呂美、酒井順子、中島京子、堀江敏幸。

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2014年11月から河出書房新社でスタートした、池澤夏樹個人編集の日本文学全集。2011年3月に完走した世界文学全集の待望の日本版だ(詳しくは先日のエキレビ!記事を参照のこと)。
今回の日本文学全集が一味変わっているのは、古典に関しての扱い。よく知られた古典名作の多くを、若手の実力作家が新しく現代語訳する。森見登美彦の「竹取物語」、川上弘美の「伊勢物語」、桜庭一樹の「女殺油地獄」、古川日出男の「平家物語」……とにかく、「うわっ、ピッタリだ」と唸ってしまうような組み合わせが並ぶ。
編者でありながらも自身も「古事記」を訳した池澤は、作家たちに古典を引き合わせて、「変化」を期待する。では、作家から見たこの日本文学全集企画はどんなものなんだろう。

12月2日、早稲田大学で「池澤夏樹個人編集 日本文学全集」刊行開始記念シンポジウムが行われた。登壇したのは、池澤夏樹と、池澤から古典を託された作家たちだ。
「発心集」「日本霊異記」「説教節」──詩人の伊藤比呂美。
「枕草子」──エッセイストの酒井順子(「負け犬」という言葉を作った人物としても知られる)。
「堤中納言物語」──直木賞受賞作家の中島京子。
「土佐日記」──芥川賞受賞作家の堀江敏幸。

「説教節」伊藤×「枕草子」酒井×「堤中納言物語」中島


前半は女性陣のトーク。彼女たちは古典にどのように接してきたのだろうか。

伊藤「古典にハマったのは樋口一葉の『にごりえ』から。『こんな面白いものが明治時代にあったんだ!』と感動した。アメリカに行って、身の周りに日本語がない状態で読んだから、よけいに面白さが身体に入ってきた。今回の日本文学全集の翻訳、人にやらすのがもったいない! 全部やりたい!」
酒井「30歳を過ぎて初めて古典に触れた。エッセイストなのに『枕草子』を読んだこともないのはいかがなものか? と思って、橋本治さんの『桃尻語訳』を読んだのが初めての古典体験です。こんなところに私の友だちがいたんだ、と思った。でも、翻訳なんてこれまでやったことない。高校の古典の成績も10段階中5だったし、今までとは全然違う頭の中を使ってる感じです……」
中島「古典の成績はよかったんです。先生の喋り方のイントネーションが面白くて、完璧にマネするためにすごく勉強した。だから今でも『べし』の活用が言えます(笑)。私のデビュー作は田山花袋の『蒲団』をモチーフにしたもの。今回の『堤中納言物語』もそうだけれど、他人の作品を、書いた方に失礼のないようにやらせていただきたい」

古典への態度も、翻訳・翻案の経験も三者三様。
一番古典に親しみを持っているのが伊藤で、『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』など、説教節との付き合いが長い。ちなみに補足しておくと、説教節というのは鎌倉時代から江戸時代にかけて行われていた語りの文芸のこと。ざっくりすぎるイメージだが、琵琶法師を頭に思い浮かべてほしい。

伊藤「説教節の世界は、女がよく働いて、わたしみたい(笑)。男の人はハンサムで強いけど、役に立たなくなる。それもわたしの実体験。これまで一緒になってきたのは全く役に立たなかった! 説教節的なものが真実なんですよ。あと、『日本霊異記については、あの時代の男の自我が面白い。セックスのことばっか! ヤッておしまい! 死。平安時代はどうなんですか?」
酒井「『枕草子』は、わりと男の人が目立たない世界。ずっと女子校で育ってきたので、宮廷の雰囲気は親近感がありますね」
伊藤「宮廷の女房たちって、みんな『負け犬』でしょ?」
酒井「でも、結婚してるし子供はいるんですよ……。清少納言って、女子校の中でも人気があるタイプだったんだなって思います」
伊藤「『負け犬感』を出して訳さないんですか?」
酒井「女子校感は出すつもりです。『枕草子』って、悲しい話や政治的な話を、女子校的な空気でやわらかく包んでるんですよ」

古典を訳していくときには、作家の個性や解釈が出る。中島は「堤中納言物語」について、「書いている人に自我を感じる」と言う。

中島「『花桜折る中将』って、だんだん明るくなってきて、一緒に寝ている女があんまりよく見えなくなったんで、フラ〜っと出て行っちゃう。それで前の女を思い出して『あの女のほうがよさそう!』って行くようなひどい話。わざわざ『そなたへと行きもやられず花桜にほう木かげにたびだたれつつ』なんて和歌を詠む。ここ笑うところですよ! なんだかちょっと対象を笑ってやろうって気持ちがあるような気がするんです」
伊藤「どのくらい訳に現代性を持たせようって思ってる?」
酒井「難しいですよね。会話って時代が出る。『超』とか書きたくなるけど、そうするとすごくくさりやすい文になっちゃう。たいそう、なんて使いました」
中島「逐語訳じゃなくて、主語を入れたりしてます。敬語は……悩みますよね……」
伊藤「あっ。全部無視しないと! わたしのは全部タメ口で書いた!」

多くの受験生を殺しにかかった敬語が、無視されようとしている……!
とはいえ、三人の訳はまだまだ決定稿ではない。池澤の『古事記』を読んで、「こんなに自由にやっていいんだ!?」と思い、書き直したくなったのだという。
酒井「もうちょっと(自分を)出したいな……」
伊藤「うんと出したら?」

「土佐日記」堀江敏幸×「古事記」池澤夏樹


後半戦は、堀江と池澤ら、男性陣が登壇。

堀江「文学全集は、僕らにとっては重苦しいもの。でも、学生(堀江は早稲田大学で教鞭を取っている)には文学全集を読めって言ってます。文学全集は、作品の選び方や注釈のつけ方、ルビの付け方を見ることで、編者の見方がわかる。一種の批評なんです。今回の文学全集が画期的なのは、隅々まで個人で作られているということ」

つまり、ある種池澤の日本文学批評となっているということだ。ちなみに堀江ははじめ、今回の翻訳を担当するつもりはなかった。しかし、池澤から渡されたリストの中に、すでに既成事実として堀江の名前が書いてあったのだとか。

堀江「気になったのは、古典と作家の割り振り方。どんな基準があったんですか?」
池澤「重要なのは文体。文体において整合関係があるかを重視しました。ズレたとしたら、そのズレを乗り越えてどんな文体ができるか楽しみ。古典の中に現代作家が呼応するはず」
堀江「いや、完璧なカップリングですよ……僕を除いて(笑)。池澤さんの『古事記』もすごくよかったです。僕は読んでいて池澤さんの詩を思い出しました。連綿と続くのではなく、石を積み上げていくような詩が、『古事記』とつながっていた」
池澤「できるだけ、言葉を節約したいんですよ」
堀江「下についている註もいいですよね。読まなくてもいいし、読むと余計に読みたくなる註。註なのに『よくわからない』とかも書いてる。ある意味、下の註だけでひとつの池澤文学になっている。池澤さんの声で付け足されている感じがする」

「読んでいるときに声を感じる」というのは、11月30日のトークイベントで大江健三郎が言っていたのと同じだ。

池澤「文芸は音声だ、という感覚が強い。『古事記』も、原文を読む所要時間が同じくらいになるような翻訳文を作った」

今回のイベントでは、作家たちがそれぞれ自分の担当作品の翻訳を朗読した(文学作品の朗読は、ドイツなどでは頻繁に行われているらしいが、日本ではけっこう珍しい気がする)。
酒井の「枕草子」は笑いが起き、伊藤の「説教節」は呑まれてしんと静まり返る。文章で読むよりも、作家たちの声で聞いたほうが面白い。

池澤「翻訳はとても楽しいけれど、大変な仕事でしょうから、七転八倒してください」
堀江「古典と出会って、変われるように、努力します!」
酒井「生の素材を出して、無責任に去っていくことができるのが随筆。私は出しっぱなしが好きなんだなと再確認しました」
中島「すごいことになっちゃったなあ。訳していると、私、こんな負けず嫌いだったんだ、と思います」
伊藤「もっと訳したかった!」
池澤「遊牧民は、草のあるところに羊を連れていくのではない。羊が草のある場所を知っていて、遊牧民はそこについていく。私は、翻訳の羊飼いでありたい」

河出書房新社「池澤夏樹個人編集 日本文学全集」 第1巻:池澤夏樹訳『古事記』

(青柳美帆子)