年末になったので、今年読んだ本のなかで印象に残ったものを紹介したい。

 レザー・アスランは1972年にテヘランで生まれ、7歳のときにイラン革命で両親とともにアメリカに逃れた。「1980年代のアメリカで、ムスリムであることは火星人みたいなものだった」という環境のなかで自分の居場所を探していたアスランは、高校2年生のときにカリフォルニア州の福音伝道キャンプでイエスの物語を聞いてたちまち魅了される。

 熱心なクリスチャンとなった彼は大学で宗教史を専攻したが、その頃から聖書の記述と歴史的事実の矛盾に気づくようになった。その後、20年にわたってイエスの実像に迫る研究をつづけたアスランがその成果をまとめたのが『イエス・キリストは実在したのか?』(文藝春秋)だ。

 この本は発売直後から全米でセンセーションを巻き起こし、20万部を超えるベストセラーになった。なぜこれほど評判になったかというと、アスランがキリスト教信仰を捨て去ったあとイスラームに改宗したからだ。

 欧米社会(とりわけアメリカ)には、ムスリムにイエスについて客観的で公正な学術研究などできるわけはない、という偏見がある。

 本書の刊行直後、アメリカの右派寄りテレビ局「フォックス・ニュース」のキャスター、ローレン・グリーンが「なぜ、ムスリムのあなたがイエスのことを書いたのか?」とアスランに意地悪な質問をした。これに対してアスランは、自分は学位を持つ宗教学者・歴史学者として歴史上の人物としてのイエスを研究してきたと説明したうえで、「キリスト教徒の学者がイスラームの歴史やその始祖ムハンマドについて書いてはいけない、あるいは書けるはずがないと決めつけるのがおかしいのと同様、ムスリムがイエスのことを書くことを疑問視するのは妥当ではないのではないか」と反論した(本書の翻訳者、白須英子氏の「訳者あとがき」より)。このインタビューが大きな反響を呼び、アスランはすっかり時のひとになった。

イエス・キリストは実在したのか?

 原書のタイトルは『ZEALOT』で、「狂信者」とか「熱狂者」の意味だ。副題は「ナザレのイエスの人生と時代」という素っ気ないものだが、日本版の『イエス・キリストは実在したのか?』も間違いとはいえない。アスランの主張は、「イエスは実在したが、キリスト(救世主)はフィクションだ」というものだからだ。

 新約聖書では、聖母マリアが処女のままイエスを懐妊したことになっている。こんなことは現実にはあり得ないから、これをどう解釈するかで古来、侃々諤々の議論が行なわれてきた。私が知るなかでもっとも大胆な説はイギリスの進化心理学者ニコラス・ハンフリーによるもので、マリアはヨセフと結婚したときすでに別の男性と性的関係があり、妊娠していたというものだ。当時はこのようなふしだらはとうてい許されないから、マリアは夫に対し、「自分は処女のまま懐妊したのだ」と言い張るしかなかった。イエスはものごころついたときから「神から授かった子ども」と母親にいわれつづけ、自分が特別な存在だと思うようになった……(『喪失と獲得』紀伊國屋書店)。

 だがこの魅力的な(というか不謹慎な)解釈は歴史的事実とは異なるようだ。本書によれば、生前のイエスに対して彼が処女から生まれたと考えるひとはいなかった。その理由は単純で、イエスには複数のきょうだいがいたからだ。イエスに「義人ヤコブ」と呼ばれる弟がいたことは文献的に明らかで、それ以外にヨセフ、シモン、ユダという兄弟と、福音書では触れられているが名前も数もわからない姉妹がいたらしい。兄が磔刑に処せられたあと、ヤコブが使徒とともにエルサレムでイエスの教団を継いだことも間違いない。

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