いまやハイボール片手にたこ焼きをつまむのが、サラリーマンの日常風景となっている。「築地銀だこ」を展開するホットランドは、世界に店舗進出し、9月には東証マザーズに上場を果たすなど目下、成長を続けている。同社の佐瀬守男社長(52)に、上場を決意するきっかけとなった東日本大震災と被災地支援について、ノンフィクションライターの高川武将氏が聞いた。(文中敬称略)

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「僕、本当に商売が好きなんですよ。暇が嫌いで、机の前に10分も座っていられない。常に動いていないと生きていられないんです」

 たこ焼きの築地銀だこを軸とした「和のファストフード」を国内外で展開するホットランドの社長、佐瀬守男は、にこやかにそう言った。

 同社は1988年、25歳の佐瀬が中古車を売って得た40万円を元手に、出身地の群馬県桐生市で開いた焼きそば店に始まる。1997年に「銀だこ」が大ブレイクし、今や売り上げ200億円を超す外食企業に成長させた。そんな叩き上げ社長のイメージとは裏腹に、物腰は柔らかく、口調は終始穏やかである。

「考えることが好きで、ずっと考えてますね。ワクワクするアイディアが浮かぶと楽しくなって、行動しちゃう。まあ、後先を考えないところもありますけどね(苦笑)」

 動きながら考える人である。同社は9月30日、株式上場を果たしたが、その決断の経緯がまさにそうだった。発端は2011年3月11日の東日本大震災である。

 宮城県石巻市出身の一人の社員の父親が波にのみこまれ、母親と妹が避難所生活を余儀なくされた。「温かいものを食べさせてあげたい」という社員の思いを聞き、佐瀬は炊き出しに向かう。同社では2008年から全国の児童養護施設や介護施設などを車で回り、たこ焼きをふるまうボランティア活動をしている。その「銀だこカー」で石巻に入った佐瀬は、あまりの惨状に息をのんだ。

「一過性の支援で終わらせてはいけない」と、ホットランドが中心になり、取引先企業や友人らの共同出資で現地に合弁会社を設立。「被災者に笑顔を作りたい。100日で100人の雇用を生み出し、税金を石巻に納める」ことを目的に、7月末には1000坪の土地にトレーラーハウス型店舗が10店軒を連ねる石巻ホット横丁をオープンさせた。

 当初は賑わいを見せ、「生きていてよかった」と喜び合う被災者たちの姿も見られたが、厳しい冬の訪れと共に客足は激減した。危機的状況に佐瀬は、ホット横丁の完全子会社化を思い立つ。だが、本社は創業時からの桐生市にあり、税金は石巻市に落ちない。ならばと、本社そのものを石巻市に移転させてしまう(今年1月にホット横丁の閉店と共に東京に再移転)。そのとき、株式上場を決意したという。

「とにかく寒くてお客さんが来ない。寒さを凌ぐため、トレーラーハウスに屋根をつけ、暖房を設置、冬でも遊べる施設を新設したり。多額の投資をして、赤字が続きました。弁当工場を作り仮設住宅に売りにいく移動横丁もやりましたが、思ったほど売り上げが取れなかった。

被災者の方の力になりたいと思って行ったのに、実際は大した力になれなくて、非常に悔しい思いをしていました。 もっと力が欲しい、会社全体に力をつけたい、それで上場を決めたんです」

 だが、そこから佐瀬は真骨頂を示していく。二つの大事業に乗り出すのだ。

「我々に一体何ができるかと考えたら、もう、タコしかないんですよ」

 一つは、主に中国にあるタコの加工場を石巻に移すことで、2200坪の土地を沿岸部に購入する。しかし、タコは不漁続きでなかなか入ってこない。

 そこで佐瀬は、その土地を陸上で世界初となる真ダコの養殖場にすることを発案。宮城大や東北大に協力を仰ぎ、地元水産業者と共に陸上養殖の拠点作りを目指して石巻養殖研究所を立ち上げる。

 もう一つは、それまで商社任せで価格も供給量も不安定だったタコの輸入に関しての新たな試みだった。「いっそ、自前調達しよう」……でも一体どうやって? 「自分たちで獲りに行こうと。世界中探せば、タコは絶対にいるはずだって!」

 言葉も通じない中、ここら辺で獲れるという情報だけを頼りに世界を巡る「タコ探し」を始める。当初は空振りが続いたが、やがてタコは世界中で獲れることがわかってきた。

「アフリカの西サハラなんて今も30万人くらいがタコ漁に従事していたんです。1970年代に日本のJICAがタコ漁を教えたんですって。でも中国船が入ってきてトロール漁で根こそぎ獲ってしまいタコが少なくなっている。そこで僕たちは小さい船で行なう壺漁の方法を教えて、そこから買い付けよう、と」

※SAPIO2015年1月号