インターネットの未来は、「監視」から「協働」へ:ドミニク・チェン特別寄稿

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スノーデンが明らかにした国家による国民監視の実相は、誕生から25年の節目を迎えたインターネットにとってどんな意味をもつのか。インターネット誕生以来の理想は、もはや幻想に過ぎないのか。理想を社会に実装するために、いま何が求められるのか。起業家・研究者のドミニク・チェン(株式会社ディヴィデュアル共同創業者・NPOコモンスフィア理事)による特別寄稿。

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スノーデンの暴露によって明らかになった全地球規模での監視ネットワークの存在は、現代の情報社会の市民(つまり潜在的にはまだ情報化されていない社会に住む人間も含む全人類)をニヒリストに転化させるというインパクトをもっている。つまり、こんな馬鹿げた嘘みたいな話が現実のものであるという、笑ってしまうしかないような事態である。事実、スノーデンの最大の協力者であるグレン・グリーンウォルドの著作で紹介されていた内部資料のパワーポイントの数々はまるでモンティ・パイソンのコメディーショーか『イエス・メン』(The Yes Men)による政治的パロディーのプロジェクトにしか見えないほどあけすけと、テンプレートのクリップアートで彩りながら盗聴行為の成果を誇示している。

しかし、これほどあからさまに馬鹿にされてなお、この悪趣味な陰謀論のような事実を知ったわたしたち市民にとって、どのような反応をすれば良いのかということは簡単な問題ではないということも事実である。

日本ではそもそもマスメディアによってほとんどしかるべき報道もされていないが、そのことを差し引いたとしても、多くの人々は「酷い話だねぇ」という諦念に似たコメントで終始してしまうだろう。かくいう筆者も憤慨はしているが、何か具体的なアクションを取れているかというとそうではない。上述したグリーンウォルドの著作を読んだ後に、ネット上の関連文献を読み漁ってからも、筆者の脳裏にこびりつく想いはこうだ。「自分が為政者の立場ならどうするだろう」、と。

「透明な諜報活動」というパラドクス

これは、為政者の都合を慮って遠慮する、ということではない。為政者に成り代わって、自分であればどうするのが良いかというシミュレーションをすることだ。グリーンウォルドの取材を通して浮き彫りになるのは、外国情報活動監視裁判所(FISA Court)という諜報機関の権限を規制する機関が実質的に骨抜きになって、NSAの盗聴活動のほとんどに歯止めがかからない、いわば超法規的な状態が市民の秘密裏に進行しているという事態だ。

であれば、このような諜報プログラムを始めるにあたって端的にいって民主的な社会合意のプロセスを経ることは、それがどれほど困難であろうと、不可能ではなかったのではないか。事前に、少なくとも自国民に対して、または(それがいかに形骸化していようと)唯一の超国家機関である国連加盟国に対して、対テロ戦争の努力の一貫としてこのような盗聴活動を計画していることをプレゼンテーションし、その技術的な内容も透明にすることは可能なのではないか?

当然、「透明な諜報活動」という設題自体が軍事専門家からすれば素人の戯言として一蹴されてしまうことは想像に難くない。つまり「敵に手の内を見せてどうするのか」ということだ。しかしそのような思考がすでに破綻していることがスノーデンの暴露によって示されたのではなかったのか。すでに「敵」の一部であるDAESH(イスラム国)のような組織は手の内を知っているどころか、FacebookやTwitterやYouTubeやAdobeの編集ソフトをフルに活用して、先進国の広告代理店顔負けのソーシャルリクルートキャンペーンを展開している。この皮肉な状況を打破するためには、新しいインターネットガヴァナンスの認識論(パラダイム)を打ち立てることが必要なのではないだろうか。


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とはいえ、いきなり国家レベルの議論を展開するのは骨が折れる。問題をブレイクダウンし、身近なところから何を始められるかを考えてみる方がリアリティをもてるだろう。スノーデンもそのことをおそらく考えている。元国務長官のコンドリーサ・ライスが取締役会に参加しているDropboxを批判し、通信経路を秘密暗号化しているSpiderOak Hiveという別のクラウド・ストレージに乗り換えるように提言している。

筆者は実際にスノーデンのインタヴューを読んですぐにSpiderOakをインストールして試してみた。しかし、全体的な使い勝手(UI/UX)が圧倒的にDropboxに劣っているため、日々の業務に使うには敷居が高すぎた。それは筆者の志が低いせいだという批判は甘んじて受けるが、このような原稿を書いている筆者ですらこのような始末なのだから、数十億の人間がスノーデンの提言を受け入れられるかということは推して知るべしだろう。わたしたちはつまり、高尚な理念を社会実装するためには実用的なスケーラビリティとともに提供することが必要な時代に生きている。

もっと卑近な事例を挙げてみよう。Facebookが無作為に選んだ数千人のユーザーを対象に、「ネガティヴな内容」の記事を意図的に流してその反応を評価する実験を行っていたことが発覚した。この不運な数十万人のユーザーは自らの与り知らないところでFacebookの社会実験の被験者にされて、日々ネガティヴな記事(不幸なニュースや炎上の事例など)に曝され、このことに反発したユーザーたちがFacebookに対して集団訴訟を起こすまでに至った。[Adam D. I. Kramera, Jamie E. Guilloryb, and Jeffrey T. Hancockによるこの論文ではFacebookのタイムライン操作の対象となったユーザーの数は n= 689,003と記されている。]

理想を社会に実装するための実用性

とはいえ、この事例はインターネットで情報サーヴィスを提供するあらゆる企業が潜在的に抱えるジレンマであると言っても過言ではない。Facebookのように日々多くのユーザーが利用するサーヴィスにとっての死活問題は「再帰率」である。つまり、どれほどの数の人が定期的に、より長い時間サーヴィスを使ってくれているかということだ。その数値が上がれば上がるほど、Facebook上で広告を配信しようとする企業が増え、Facebookの収益が上がる。すると、Facebookの利用者に対して、どのようなデザインの画面を提示したり、どのような記事が画面上に表示されたりすれば再帰率が上がるのか、ということを考えるわけだ。先述した実験も元々は、「Facebook上で他人のポジティヴな投稿ばかり見ていると気が滅入って鬱っぽくなってしまう」という風評を打破するために企画された。

しかし、実験の担当者が謝罪を表明するとともに、Facebookの広報はこの問題が発覚した際に、「すべてのユーザーはFacebookのデータポリシーに同意しているので、この実験はインフォームド・コンセントに則ったものであった」と主張している。情報サーヴィスの利用規約やプライヴァシーポリシーのシュリンクラップ契約が本質的な同意を構成するかどうかは法的にもグレーな領域だし、実際に全文を読んで理解しているユーザーはほとんどいないだろう。

このときも、もしもFacebookが実験の趣旨をあらかじめ公開し、適正な手続きに則って被験者を募り、然るべき説明責任を果たしていれば、とても有意義な社会実験にできた可能性がある。それを怠った理由は容易に想像できる。つまり「競合相手やユーザーに手の内を知られては、バイアスがかかってリアルな実験にならない」という理由だ。


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モダンな情報サーヴィスの事業者はほとんどがA/Bテストを行っているだろう。その多くは、異なるUX/UIや文言などのユーザビリティの検証であり、どちらの方がより品質の高いサーヴィスの実現に寄与できるのかという真摯な追求だといえる。Facebookの一例が一線を超えているのは、Facebookが提供するサーヴィスの設計にとどまらず、対象となったユーザーが目にするコンテンツの意味内容に応じて情報提示を操作することで、彼らの心理的な内面にまで直接的に手を伸ばしているという点である。

もちろん、それがどれほど些細なものであれ、たとえばボタンを数ピクセルずらすだけといった微小なUX/UI上の変更ですら心理的な操作であるという指摘も厳密には正しい。それではどのようなA/Bテストや行動ログの取り方であれば許容できるのかということを問えば、それは個別のユーザーによって異なる主観問題であり、客観的な線引きが可能なものではない。

「必要悪」ではなく「信頼関係」の思考

筆者個人は、常にオプトアウトの選択肢が示され、かつ適切な匿名化を施されていることや通信の暗号化が担保されているのであれば、いくらでも個人的な行動ログを記録されても構わないと考えているが、筆者の友人の多くはそう思わないかもしれない。それは筆者がIT事業の運用者であり、ユーザーの行動ログの分析がサーヴィスの改善にとって死活的な重要性をもっていることを知っていたり、ビッグデータ解析を伝染病の追跡や都市環境や治安の改善、職場での健康の向上などといった人道的な目的のために活用する数多くのプロジェクトを知っている[例えば最近MIT Pressから出版された『Reality Mining』という本が主にそのような事例をたくさん紹介している]という点にも大きく依存するが、それ以上に多くの優れたサーヴィスの設計者たちを一利用者として尊敬し、信頼してきた時間が長いからだ。

同様に、それが犯罪やテロリズムの抑止につながることが実証しうるのであり、オプトアウト可能で、匿名化を施され、通信が暗号化されることも保証され、運営者の過失が罰せられその執行にも有効な法的規制がかかるのであれば、(超)国家的な監視ネットワークに協力することもやぶさかではないと考えている。しかし、そのような民主的な監視システムの構築にはまだ多くの困難が立ちはだかり、相当の時間がかかるだろう。

NSAにもシリコンヴァレーの巨人たちの一部にも共通しているのは「やられる前にやる」(国家の場合であればテロリスト、事業者の場合であれば競合もしくは離脱しようとするユーザー)という必要悪の思考だろう。そこにユーザーとの「信頼関係」という概念はすっぽり抜け落ちているように思える。

しかし、昨今の匿名コミュニケーション(「Secret」「Whisper」「YikYak」など)やクローズドネットワーク(メッセンジャーアプリ全般)のサーヴィスの隆盛、EFF(電子フロンティア財団)によって提案されている“Do Not Track”(記録拒否)ポリシー積極的に実装するブログサーヴィス「Medium」、そして広告目的のユーザーデータの利用を行わないと宣言している「Ello」のようなFacebookオルタナティブを標榜するSNSの登場は、それが情報サーヴィスの事業者がユーザーとの信頼関係を積極的に構築しようと努力を払うことが多くの利用者にとっても魅力として映っている証左だとすれば、とても希望をもてる兆候だと思う。

[Secretはブログ記事を通して、自社のセキュリティポリシーを丁寧に、一般人にも技術者にもわかりやすいように説明している。この姿勢は今後セキュリティアウェアな事業者のロールモデルになりえるのではないかと筆者は考える。また、「インターネット上で最も安全な場所」を標榜するWhisperが最近、Guardian誌の記者によって、オプトアウトを選択しているユーザーの位置情報を記録していることが報じられていることは忘れてはいけない。]


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より良いインターネットのために

スノーデンの暴露によってどれだけの人々が情報セキュリティやプライヴァシーに関する権利について意識するようになったか、まだ確かなことは言えないが、すでにそのような定量的な傾向を示す報告も上がっている。結果的に、ユーザーに対して真摯な姿勢を取るサーヴィスの需要が高まっていくとすれば、スノーデンの命がけの行動は実を結ぶことになるだろう。

今後、情報社会で支持を集めるようになるアーキテクトは再帰率を極限まで高めようとする者ではなく、ユーザーコミュニティとの信頼関係を構築し、維持しようとする人間だろう。そして中長期的に後者のサーヴィスは高い再帰率を獲得するだろう。そのためにも、テクノロジーの発展を目的化するのではなく、常に人間性の視点からサーヴィスの価値を論じようとするビズ・ストーンのような精神をもつ起業家がシリコンヴァレー周辺にも増えてくることが望ましい。

同時に、サーヴィスの提供者だけではなく、サーヴィスの利用者たちもまた新しいパラダイムの構築に向けて、各々の考えをまとめて、建設的な議論に参加していくべきだろう。情報社会のリテラシーなるものがあるとすれば、それは各種ソーシャルメディアを使いこなすなどといった表層的なことではなく、わたしたちが使っているサーヴィスがどのようなアルゴリズムで動いているかということを大まかにでも理解し、よりよい代替案を提示する能力ではないだろうか。それは、「サーヴィス対ユーザー」という対立軸ではなく「サーヴィスとユーザー」が手をとりあってよりよい情報環境を共同で構築していくというヴィジョンを前提とする。個別のサーヴィスは開発者と利用者の共同体としてまさに民主的なプロセスを経るべきなのだ。

インターネットが当初の少数の賢人たちのための理想郷の状態を脱し、数十億人が生活する複雑怪奇な地下都市の様相を呈しはじめてすでに久しい。しかし、だからこそより良い情報環境の在り方を提案し、議論できるアーキテクトがますます必要とされている。

そして、インターネット上ではサーヴィスのユーザーも共同開発者なのだといっても過言ではない。重要なこととしては、開発者だけでなく、ユーザーもそのように考えるべきなのだ。なにより、十分な数の衆人環視があればほとんどのバグは潰せるというリーナスの法則[「十分な数のベータテスターと共同開発者がいれば、ほとんどの問題が素早く顕在化され、修正方法も明らかになる」という意味のエリック・S・レイモンドによる「given enough eyeballs, all bugs are shallow」の意訳である]がいまだ有効であると信じれば、悪いシステムがあればより良いシステムが構築可能であるという再定義可能性、つまり根源的な意味において「オープンである」というインターネットの価値は依然その輝きを失ってはいないのだから。

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