この秋、ドラマ視聴率戦争の勝者はテレビ朝日。引っ張るのはシーズン13がスタートした『相棒』だ。視聴率は第5話を終えて平均17.1%。おかげでテレ朝内で主演の水谷豊(62)の威光は増す一方だという。

 これまで“相棒”が代わるたびに水谷との不仲が噂されてきたが、今シーズン、番組の生みの親といわれるプロデューサーA氏が、番組を外れていた。

「そもそも『相棒』は15年前に水谷とA氏が、脚本家の輿水泰弘氏を誘って構想した。当時輿水氏は連続ドラマを手がけており、2人は1年間待った。水谷とA氏は、毎日朝から晩まで喫茶店をはしごしながら何百時間も相棒の構想を語り尽くした」(番組関係者)

 そのA氏が外れた背景には、こんな話が。

「A氏が“『相棒』の成功は自分のおかげ”のように話したのが、水谷の逆鱗に触れたといわれている。A氏はそんなつもりではなかったのかもしれないが……」(テレビ局関係者)

 水谷は子役出身。16歳のとき、『バンパイア』の主演に抜擢されている。当時の同級生は、学校で孤独だった水谷の姿を覚えている。

「水谷君は12歳から劇団に所属していた。『バンパイア』で忙しくなってからは、学校を休みがちな時期もあった。成績もよかったし、高校ではバスケ部で頑張っていた。だが周りは『水谷は芸能人』という認識で、遠巻きに見ていた。彼女もずっといなかったね」

 水谷はインタビューで「早くから仕事に恵まれていたため、突っ張っていた。脚本が気に入らないと、破いて紙飛行機にして飛ばすような反抗の仕方もした」と当時を振り返っている。

「学校では芸能人を鼻にかけることはなく、仕事の話もいっさいしなかった。悩みもあったろうが、ひとりで抱えて孤独だったと思う」(前出の同級生)

 卒業後「26歳で『熱中時代』の先生役を演じることになったときは、中学の教師になった同級生のもとに通って、教師とは何かを聞いていた」(同級生)という。多感な中高時代をクラスでひとりだけ「大人扱い」で過ごした豊青年は、いま『相棒』の現場でも「ひとりだけ特別」に振る舞っている。

「キャスト、スタッフの新陳代謝を促し、マンネリ化を防ぐという哲学が水谷にはある。水谷の独善的な振舞いが、『相棒』の高視聴率につながっているのは否定できない」(番組関係者)

 かつて水谷豊は「前に進むためには、ある種の勇気が必要」と語った。相棒が好調である限り、水谷豊は専制君主であり続ける。

(週刊FLASH12月9日号)