【連載】盛り上げよう!東京パラリンピック2020

 東京パラリンピックに向けて始まったこの連載だが、NPO法人STANDの代表で、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の顧問を務める伊藤数子氏に第1回は「東京パラリンピックに向けて。障がい者スポーツの現状」について、第2回は「子どもから学ぶ、東京パラリンピックでの本当の『おもてなし』」と、お話を聞いてきた。第3回は、伊藤さんが理想とする東京パラリンピックについてうかがった。

―― 今年はソチパラリンピックがありましたが、現地ではどんなことを感じましたか?

伊藤:印象に残っているのはふたつ。まずは「競技」のことですね。ロンドンパラリンピックでも感じていたことなんですが、日本の強化体制がまだまだ。2020年の東京パラリンピックに向けて強化体制を整える必要があると思いました。

―― どういった点でそう感じるのでしょう。

伊藤:これからスポーツ庁も出来て変わっていく部分だと思うのですが、今までは国から選手へのバックアップが薄く、パラリンピックが開催されるときだけ、『国を代表して活躍してきてください』と送り出されてる感じがありました。

―― その影響はどんなところに出てきていますか?

伊藤:やはり個人や競技団体単位では情報収集力やネットワーク力に限界があります。大きな大会に出場して初めて、「(外国の選手は)あんな道具使ってるんだ」、「あの選手のタイム伸びてる」というのを選手たちが知って、驚いている状況でした。

―― 国をあげて強化をしてるところとは違う。

伊藤:そうですね。日本もリハビリを観点としていた厚生労働省から文部科学省に移管して、さらにスポーツ庁の話も進んで、そこはだんだんと変わっていく部分だと期待しています。

―― ふたつめは?

伊藤:「運営」についてですね。運営で重要なのはやはりボランティアだと思います。ソチパラではボランティアがきちんと取り組んでいた印象です。若い人が多くて平均年齢は25歳だとか。もともと、ロシアには「ボランティア」という文化がほとんどなかったと言います。そこで、全国の大学にボランティアセンターを設置して、将来、世界を舞台に活躍しようという若い学生たちにボランティアという新しい文化の興味を喚起しました。この政策は大成功だったと思います。

―― ボランティアの教育に取り組んでいたんですね。

伊藤:選手村ならぬボランティア村というのがあって、早い人は1カ月前から入村して、研修を受けていました。

―― 2020年の東京パラリンピックに置き換えると、ボランティアの人はもちろん東京が目指すのはどんな大会でしょうか?

伊藤:最終的に大会を作るのは観客だと思っています。観客が国を超えて、スマートでフェアな応援をする。選手たちを鼓舞する。するとそこには世界記録や世紀の名勝負がうまれる。それを観客は目撃することができるんです。言い換えれば、素晴らしい大会は観客が創り出すことができる、と思うんです。

―― 観客が大会を創る。そのためにはもっと障がい者スポーツに関心を持ってもらう必要がありますね。

伊藤:そうですね。まだまだパラに限らず、障がいのある人を特別な目で見ていると思うんです。声のかけ方が難しいとか、かけたらまずいんじゃないかとか、考えてしまう人がたくさんいる。あるパラリンピアンが日本でいちばん障がい者に接するのがうまいのは、大阪のおばちゃんだと言っていました(笑)

―― 大阪のおばちゃんですか。

伊藤:その選手曰く、大阪で車いすに乗って街に出ると、ちょっとした段差の手前で、おばちゃんが「あんたちょっと行かれへんやろ」「私に任しといて」って声をかけてくれるらしいんです。そして、近くにいる人に「ちょっと兄ちゃんこの車いす持ったげて」って頼んでくれる。そういう気さくさが大阪のおばちゃんにはあるんです。それを聞いたときに「確かに」って納得しました。

―― 私は関係ない、じゃなくて。

伊藤:そうです。河合純一さん(※)がおっしゃったんですが、「僕たち障がい者は、高齢者の先輩だと思ってくれたらいいんじゃないか」と。加齢に伴って体も思うように動かなくなって、歩けなくなったり、見えにくくなったりしますよね。そのときに生まれたときから、あるいは若いときから、工夫して色んなことを実現してきた障がい者の方から、私たちが学べることがたくさんあるはずです。パラリンピックに向けての仕組みづくりやまちづくりは、そのまま超高齢社会に直結して役に立つものになるはずなんです。
※全盲のスイマー。水泳でバルセロナパラでは銀2銅3、アトランタ金2銀1銅1、シドニー金2銀3、アテネ金1銀4銅1北京銀1銅1と、日本を代表する選手。

―― 自分たちの住むまちの未来につながっていくんですね。

伊藤:すべての障がいの人、すべての高齢者にとって何不自由なく行ったり来たりできる仕組みはあり得ないんですよ。それは設計上も制度上もあり得ない。まちを創るのは結局人間なので、ほんのちょっと手伝ってみたら全部できたとか、そういうことの繰り返しになるはずなんです。今、2020年東京パラというひとつの目標があることをチャンスと捉えて、2020年以降の東京あるいは日本のあるべき姿を創っていけたら素晴らしいですよね。

―― 思えば、今から50年前の1964年、東京パラが行なわれた時代に比べると色々なことが変わりました。

伊藤:その時代は日本の医師の多くが、障がい者に対してスポーツを薦めていなかった時代だったので、そう考えるとこの50年でかなり変わっていますよね。

―― そうですね。かなり意識が変わっています。

伊藤:ちょっとずつちゃんと変わってきているんです。あとは先ほども言ったように2020年をチャンスと思ってこれから6年、さらに加速して変えていきたいですね。

(おわり)

【プロフィール】
伊藤数子(いとう かずこ)
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにして障がい者スポーツと深く関わるようになった。現在、障がい者スポーツ競技大会のインターネット中継はもちろん、障がい者スポーツの楽しみ方、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

スポルティーバ●文 text by Sportiva