日本の国技に人生を賭ける、強くも美しい男たち。盛り上がりを見せる九州場所がさらに楽しめる大特集!

「新入幕ながら秋場所で、横綱・白鵬(宮城野部屋)と優勝を争った逸ノ城(いちのじょう)(新関脇=湊部屋)が新星のごとく現れ、今年は、大相撲にとって話題満載の年になりました」(日本相撲協会関係者)

その大相撲も、23日に千秋楽を迎える九州場所(福岡国際センター)がラスト。

ここで白鵬が優勝すれば、大横綱・大鵬が記録した歴代最多32回の幕内優勝回数に並ぶだけに、その歴史的瞬間へ向け、否が応にも期待は高まる。

全盛期の大鵬と今の白鵬が土俵に上がったら、どちらが勝つのか。はたまた、最強の力士は誰なのか――。

ファンの想像はかきたてられるばかり。そこで本誌は総勢2500人の読者アンケートを実施し、心と記憶に残る名力士の名を挙げてもらった。

その結果は下の番付表のとおり。





まず、東西の"横綱"には千代の富士と貴乃花がランクイン。この昭和と平成を代表する名横綱のほか、錚々たる力士が勢揃いした。

「千代の富士と貴乃花が東西の横綱になったのは順当。まず千代の富士の場合、左前みつを取って一気に前へと出るパワーは天下一品。肩を脱臼しやすい欠点を抱えながら、それを克服するため腕立て伏せで鍛え上げ、それが筋骨隆々とした体と彼特有の相撲スタイルを作り上げたんです」(ベテラン相撲記者)

千代の富士と北勝海(ほくとうみ)との優勝決定戦(1989年名古屋場所)はともに九重部屋の横綱同士の対決とあって、今でも語り草に。制したのは千代の富士だった。

「その後、千代の富士はまだ貴花田だった時代の貴乃花と、91年夏場所の初日に対戦。千代の富士が貴花田に敗れて、2日後に引退を表明したという有名な逸話があります」(前同)

千代の富士に引導を渡した貴乃花で忘れられないのが、01年夏場所の千秋楽。

「13連勝の貴乃花でしたが、14日目の武双山戦で右膝の半月板を亜脱臼。翌日の千秋楽で武蔵丸に敗れて、勝負は優勝決定戦にもつれ込みました。本割で足を引きずっていた貴乃花が決定戦でも敗れると誰もが思っていたものの、彼は上手投げで奇跡の優勝を遂げます」(同)

その貴乃花が勝利を決めた直後の鬼の形相に、小泉純一郎首相(当時)が表彰式で「痛みに耐えてよく頑張った! 感動した! おめでとう!」と称賛。いまでも、平成の名勝負と称えられている。だが、この名勝負の裏には、こんな秘密が隠されていたという。

「決定戦前の仕切り中、貴乃花は膝をグルグル回す仕草を見せていました。すると、奇跡的に亜脱臼した右膝がうまくはまったようなんです。確かに、本割と決定戦では見違えるような動きでした」(同)

続いて番付を見ると"大関"に、新進気鋭の若手力士・遠藤(前頭8=追手風部屋)と逸ノ城が揃い踏みしている。逸ノ城を推した製造業勤務の会社員(45)は、

「秋場所14日目に白鵬と優勝を賭けて戦った一番、あの日は珍しく会社のテレビの前に皆が集まったほど。この九州場所でまだ入幕2場所目、もう十分、俺の記憶に刻み込まれたね」

遠藤もインパクトの強さで上位にランクされた。

「今年の春場所5日目。大関・稀勢の里を破ったときには、まだ髷(まげ)を結えずザンバラ髪のまま。そんな力士、見たことなかったからね」(54=タクシー運転手)

遠藤に敗れた稀勢の里(田子ノ浦部屋)だが、豪栄道(境川部屋)や琴奨菊(佐渡ヶ嶽部屋)とともに、モンゴル勢の3横綱に迫る日本人の"大関軍団"を牽引する立場だ。「日本人横綱への期待を込めて稀勢の里に1票を投じたよ」(56=運送業)

相撲通で鳴るラジオパーソナリティの大野勢太郎氏も「稀勢の里は十分に名横綱になる素質がある」として、こう続ける。

「まず怪我に強い。彼が実力を出せば、白鵬とて、そう簡単には勝てませんよ。ただ問題はメンタル面。先場所、逸ノ城戦で敗れていますが、それは、注目される力士相手に気ばかりが焦って出て行ったところをはたかれたから。大関なんだから、受けて立つぞという気持ちを持って当たれば、負けるはずありません」

続く豪栄道の名場面は、昨年秋場所の10日目。白鵬を豪快に押し出し、優勝した横綱に唯一、土をつけた一戦だ。

「今年の夏場所で再び白鵬に唯一の黒星をつけ、翌名古屋場所でも白鵬を浴びせ倒しました。横綱から2場所連続で金星をあげ、その勢いのまま大関に昇進しています」(スポーツ紙記者)

さて、彼らの目標となり、真っ向勝負を挑まれる白鵬だが、実際に、どのくらい強いのか。前出の大野氏がこんな秘話を明かす。

「白鵬がまだ小結の時代。彼から双葉山について聞かれたことがあります。僕が69連勝という記録を持つ名横綱だと型どおりの話をしたら、白鵬は、"双葉山の映像を見ていると、立ち合いが後の先になっている"というんです」

後の先とは、相手より一瞬あとに立ちながら、相手より十分な体勢を作る立ち合いのこと。

「そのとき、白鵬は、自分も横綱になったら、その立ち合いを真似したいと話してくれました。実践するのはなかなか難しいんですが、双葉山の立ち合いを参考に、白鵬は彼に次ぐ63連勝という記録を打ち立てるんですからね」(前同)

その白鵬は、もう一人の昭和の名横綱・大鵬の優勝回数に迫っている。さて、全盛期の2人が戦ったら、どっちが勝つのだろうか。

この相撲ファン垂涎のシミュレーションに挑んだのは、自他ともに認める相撲ファンの漫画家・やくみつる氏だ。

「まず名力士と聞いて、パッと僕の頭に浮かぶのは大鵬と貴乃花、そして白鵬。この3人の次に来るのが千代の富士。ただ、もしかしたら横綱・輪島が千代の富士の上に来るかなあという印象ですね。大鵬は両の手をクロスするように立ち合い、すぐさま交差した腕をほどいて両差しを狙いにきます。しかも腰を引いて相手にまわしを取らせない。この立ち合いをやられたら、さすがの白鵬も万歳するしかありませんよ」

戦後最強の横綱の称号は、大鵬の手に帰しそうだが、やく氏によると、

「その大鵬の寄りと貴乃花の寄りを比べると、貴乃花が一枚上手。彼の場合、膝の使い方がうまく、相手の膝の外側に自分の膝を当て、"膝カックン"の要領で、相手に踏ん張らせない寄り方をします。そうなると相手は貴乃花を土俵際でうっちゃることも、かわすこともできません。つまり、貴乃花は相手の退路を断つ、"寄り切りの完成形"を自分のものとしていたんです」

やく氏が名前を挙げた輪島も、自分の形を持っていた名横綱の一人だ。

「ひと言でいうと天才肌の力士。"黄金の左"と呼ばれ、左下手を取ってからの下手投げが強かった。ただ、左の投げが効くのも、右からのおっつけが厳しかったからです」(前同)

場所中も朝まで飲んだ北の湖

そんな輪島の好敵手だったのが北の湖。

「輪島−北の湖戦は"昭和の黄金カード"でした。優勝を賭けて、横綱同士が千秋楽で対決するという相撲の醍醐味を、2人に味わわせてもらいました」(前出・ベテラン相撲記者)

北の湖は輪島の引退後、向かうところ敵なしとなり、憎いほど強いといわれた。

また、その強さは"夜の世界"でも発揮された。

「全盛期の北の湖さんと一晩、飲み明かしたことがありますが、とにかく強い。場所中、その日の取り組みが終わって午後7時頃から飲み始め、ビールと焼酎、それからブランデーのボトルを大きなアイスペール(氷入れ)になみなみと注ぎ、皆で回し飲みです。しかも、深夜の2時半過ぎになって北の湖さんが腹が減ってきたというので、それから焼肉ですよ」(大野氏)

だが、相撲はきっちり。

「明け方近くまで飲み食いした後、北の湖さんは午前7時からの朝稽古にちゃんと出るんです。場所中、そんな生活をしながら優勝までしてますからね」(前同)

まさにレジェンドと言える力士だった。

一方、幕内優勝回数の伝説を作りつつある男・白鵬も、飲みっぷりでは北の湖に負けていない。彼の飲み友達で、お笑いコンビ・カラテカの入江慎也氏は、

「自分も飲むし、周りにも飲ませるタイプ。ワインクーラーよりもひと回り大きい入れ物に、瓶ビール5本とウイスキーボトル1本、ソーダとシークワーサーの原液を混ぜたスペシャルドリンクを作り、皆に振る舞う。白鵬関も、それをガンガン飲むんですよ」

ちなみに入江氏は遠藤とも飲んだことがあると言う。

「白鵬関の後輩の後輩なので一度だけね。居酒屋チェーンの『和民』で(笑)。そのときはおとなしくて静かに飲んでいる感じでした」

レジェンドといえば、73年ぶりに40代での勝ち越し力士となった旭天鵬(前頭11=友綱部屋)も忘れてはならない。

「初のモンゴル出身力士で、モンゴル勢にとっては"相撲界の野茂"的存在。モンゴル出身力士から"兄さん、兄さん"と慕われています。夏に、他の力士数人と海でビーチバレーをしたことがあるんですが、あんな巨体なのに、動きが機敏で体がすごく柔らかいんです。ちなみに力士たちは皆、海パン一丁。旭天鵬関をはじめ、海から出てくる姿がトドに見えました(笑)」(前同)

ここで再び、番付表に目をやると、強いだけではなく、個性的な力士に票が集まっていることがわかる。

残念ながら、今場所4日目から休場となったものの、

「エジプト出身の大砂嵐(前頭5=大嶽部屋)が今年の名古屋場所、得意のカチ上げで稀勢の里の顔面を腫れ上がらせた一番はスゴかった」(49=製造メーカー勤務)

ほかには、こんな声も。

「勢(いきおい)(小結=伊勢ノ海部屋)が先場所、連勝中の逸ノ城と対戦して勝利した取組は、途中流血のため、行司が異例の"待った"をかける大熱戦で興奮しました」(38=公務員)

個性的な技といえば、やはり上位にランクされた舞の海(元小結)。

小兵の舞の海が長身の横綱・曙(当時は前頭筆頭)を破った一戦は、身長差30センチ、体重差103キロと言われた。決まり手は三所攻め。三か所を同時に攻めるという"D難度"の技だ。

また、横綱・若乃花は初代、三代目とも、技のキレ味で相撲ファンを魅了した。

「小兵ながら、仏壇返しと呼ばれる荒技をやってのける力強さがあったのは初代。三代目は、左右のおっつけから前へ出ていく技が見事でしたね」(前出・ベテラン相撲記者)

高見盛(元小結)は不思議な力士として記憶に残っている。「稽古場では幕下力士にも勝てないのに、土俵に上がってパフォーマンスを始めるとギアが入るらしく、本番に強かった」(前同)

朝青龍も本番に強い横綱だった。

「持ち前の闘争心に火がつき、とにかく強かった」(若手相撲記者)

魁傑の名言「休場は負けだ」

なかでも、平成の名勝負として1〜2位を争うのは、朝青龍が新大関となったばかりの02年秋場所11日目の貴乃花戦。

「気迫十分で優勝を狙う朝青龍に対して、横綱・貴乃花は休場明けで満身創痍。取組は、立ち合いから朝青龍が強烈なのど輪押しで攻めて圧倒しました。しかし、最後はまわしを取られ、上手投げで土俵正面に叩きつけられます」(前同)

よほど悔しかったのか、朝青龍は花道を下がりながら髷を振り乱し、「畜生!」と叫んだという。

「横綱になってから朝青龍は稽古しなくなったと言われますが、大関時代は別。ケンカしてるんじゃないかと思うほど、気迫あふれる稽古をしていました。おそらく、朝青龍が一番強かった時代でしょう。ところが、それでも貴乃花には歯が立たなかった。このあと両者が対戦することはなく、貴乃花は引退してしまいます」(ベテラン相撲記者)

朝青龍が勝ちたくても叶わなかった貴乃花の父・貴ノ花(元大関)も、多くの名場面を残している。

「小兵のわりに技がない。つまり正攻法な相撲を取った力士。ただ、その足腰は最強で、土俵際で粘って、バックドロップのような姿勢で相手を投げたこともあります」(前同)

巨漢力士だった高見山(元関脇)との取組は、牛若丸と弁慶との戦いにたとえられた。80年秋場所7日目の取組は、土俵際で高見山の左小手投げと貴ノ花の右すくい投げの打ち合いとなった。

「わずかに高見山の右手が先に落ちたと見えたため、行司の軍配は貴ノ花に上がったものの、物言いがつき、貴ノ花の髷の先端がわずかに早く土俵についたとして、軍配差し違えで高見山の勝ちとなりました。前代未聞の髷の長さが勝敗を分けた一戦でした」(同)

最後は、今年5月に他界した放駒前理事長(元大関・魁傑)の不屈の力士人生にまつわる話で締めくくろう。

「魁傑は"休場は負けだ"の名言を残し、不調で黒星が続いても決して休まなかった。ある場所中、僕が取材で奥さんに会ったとき、自宅に帰ったら魁傑は魔法瓶さえ持てない状況だと言われ、驚きました。それでも土俵に上がり続けたんですからね」(大野氏)

話題満載で、ようやく活気を取り戻しつつある大相撲を見て、放駒前理事長も天国で喜んでいるはず。

九州場所では、どんな名場面が生まれるか。千秋楽へ向けて、目が離せない!