『探偵ブロディの事件ファイル』ケイト・アトキンソン 東京創元社

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 ジャクソン・ブロディ歯が痛い。

 ジャクソン・ブロディ心配性。

 ジャクソン・ブロディフランス好き〜。

 と、思わず歌を作ってしまったほどのナイスガイ、私立探偵ジャクソン・ブロディが主役を務めるのがケイト・アトキンソン『探偵ブロディの事件ファイル』(東京創元社)だ。ただし、普通の私立探偵小説とは少し違う。あまり他では読んだことがないような語りの技法が用いられた作品なのだ。

 冒頭には3つのエピソードが紹介される。3家族がそれぞれ直面した痛ましい事態についての話で、古いものでは30年以上の過去の出来事である。事件が起き、彼らの人生は一変した。それから時が経ち、現在の場面になってようやくジャクソン・ブロディが登場する。妻が浮気をしていると信じこんでいる男や、愛猫が誰かに連れ去られるという老婦人の依頼でそれなりにブロディの日々は動いていた。そこに一風変わった依頼人がやってくるのである。

 ジュリアとアメリアのランド姉妹には、オリヴィアという末の妹がいた。しかし彼女は、1970年に3歳で行方不明になっていたのである。2人の父親が亡くなった後で机の引き出しを開けると、そこには失踪したときにオリヴィアが持っていたぬいぐるみが入っていた。自分たちの預かり知らないところで何が起きていたのか。死んだと思って諦めていたオリヴィアが、まだどこかで生きているのかもしれないのか。ジュリアたちの依頼を受け、ブロディは過去につながる糸を探し始める。そしてもう1つ厄介な依頼が舞い込んでくる。異常者による犯行で娘を喪った父親が、その事件の不審な点について調査を依頼してきたのだ。ローラという名の娘に先立たれたことで、父親は生ける屍のようになってしまっていた。離婚した妻との間に8歳の娘がいるブロディにとっては、到底他人事とは思えない依頼である。持病の虫歯や、娘のことが心配で仕方ないといった事情に悩まされながら、ブロディはこれらの仕事に取り組んでいくのである(将来の夢がフランスに定住することなので暇を見て言語の勉強をしている、というのが可笑しい)。

 作者はもともと純文学畑の出身で、初の長篇『博物館の裏庭で』(新潮クレスト・ブックス)ではウィットブレッド文学賞(現・コスタ賞。イギリス在住の作家に授与される)を獲得している。2013年には断章小説『世界が終わるわけではなく』(東京創元社)が刊行された。手前味噌になるが、2013年度に刊行されたエンターテインメント作品の中からもっとも優れたものを選ぶ「闘うベストテン 出張版」ではこの作品が首位を獲得している。2004年に発表された本書は、アトキンソンが初めて正面からミステリーに取り組んだ作品で、ジャクソン・ブロディを主人公とするシリーズの、第1作に当たる。

『世界が終わるわけではなく』で発揮された技法は、大人数の登場人物や小道具を自在に動かし、物語の中で出会わせ、読者の想像を超えた美しさの紋様を織り上げるというものだった。それが本書でも遺憾なく発揮されている。冒頭に3つのエピソードが置かれていることから、それらが小説の中で重要な意味を持つことは予想できる。実はそれぞれの事件には共通点がある。目立たないところに施された刺繍のようなもので、筋をたどる指が思いがけないときにそれに触れ、はっと息を呑む瞬間がある。実はブロディというキャラクターもまた、その演出に貢献しているのである。

 物語の進み方は単純ではなく、ブロディが謎の人物から危害を加えられたり、美貌の依頼人から誘惑を受けたりするといった寄り道もある。それらの要素は副次的なものなのだが、決して無駄にはなっておらず、作品の細部を装飾して印象を強化する働きを持っている。登場人物たちはしばしば饒舌になり、無駄口でページの隙間を埋めていく。それらは絵筆を返したときに生じるけばのようなものだろう。そうした余剰の存在も愛おしい。小説の中にはあらすじを説明しただけでは魅力が伝わらず、傍によって質感を確かめなければその真価がわからないものがある。本書は、まさしくそういう作品なのだ。読み終えたときには登場人物の1人1人に愛着を覚えていることだろう。特に素晴らしい個性の持ち主である、ジャクソン・ブロディに。

 ジャクソン・ブロディ歯が痛い。

 ジャクソン・ブロディ心配性。

 ジャクソン・ブロディフランス好き〜。

(杉江松恋)