大相撲九州場所十二日目、横綱・鶴竜の取組は相撲ファンを失望させるものでした。1敗で優勝争いのトップに立つ鶴竜は、4勝7敗とあとがない大関・豪栄道との一番で、立ち合い変化からのはたき込みを見せたのです。鶴竜は勝負には勝ったものの、場内からは大きな落胆の声があがり、横綱としての評判を大きく下げることとなりました。

立ち合いの変化は、大相撲においてよく議論を巻き起こすテーマです。変化を是とするか、非とするか。もちろん変化そのものがルールで禁止されているわけではありません。勝つために有利なら、どんどんやればいいという意見もあるでしょう。しかし、それは勝利至上主義によって、相撲本来の醍醐味・魅力を見失っている意見と言わざるを得ません。

世界にはさまざまなスポーツがあり、相撲と同様に「相手を外に押しやれば得点が入る」「相手を転ばせるなどすれば得点が入る」という競技は数多くあります。レスリングや柔道にも、相手を場外に押し出すと優位に立ち、相手を転がすと優位に立つという側面があります。

では、相撲は裸でやるレスリングなのかというと、そうではありません。相撲が持つ、第一の特徴というのは力士の雄大な体躯です。2メートル近い身長と、200キログラムに迫ろうかという体重。狭い土俵での一瞬の勝負だからこそ、フットワークやスタミナといった要素を無視して身体をトコトン大きくできる。超々無差別級の激突にこそ、大相撲らしさというものがあるのです。

大男と大男がドーンと当たるという、誰にでも伝わるスゴさ。

それは、「ボールがスゴく遠くまで飛んだ」とか「スゴい速さで走った」とか「空中でクルクル回った」といったことと同様に、単純明快な魅力なのです。豪快なホームランが野球の華であるように、大男と大男がドーンと当たるのは大相撲の華なのです。

その魅力を引き出すために、直径わずか15尺(4.55メートル)というリビングルーム程度の広さしかない土俵なのです。フットワークを活かしたアウトボクシングみたいな戦いではなく、逃げ場のない土俵でドーンと当たる場面を見るために。

立ち合い変化とは、「大男と大男がドーン」という大相撲の素晴らしい魅力を損なう行為なのです。勝ち負けよりも大切な「相撲の面白さ」を削ぐ行為なのです。面白さを失ってまで勝ち負けにこだわっても意味がないでしょう。どうせどちらかが勝って、どちらかが負けるのです。勝ち負けの総和は変わりません。変化で勝負が決まれば、その取組がつまらなくなるぶんだけ損なのです。

もちろん立ち合い変化が禁止されているわけではありませんので、変化する場合もあるでしょう。そのとき考えるべきは、「立ち合い変化によって失われる面白さを取り返せるほどの何かを提供できるのか?」という点です。

まともにぶつかればとても勝ち目がない小兵力士が立ち合い変化を見せるのは、「番狂わせ」という別の面白さを生みます。優勝や昇進といった人生を分ける何かが懸かった一番での立ち合い変化なら、勝敗によって生まれる「ドラマ」が失われた面白さを補いもするでしょう。

しかし、この日の鶴竜は何も懸かっていない一番で変化を繰り出した。

鶴竜は十二日目の時点で1敗で、横綱・白鵬と並んで優勝争いをしていました。鶴竜と白鵬の取組は千秋楽の結びに組まれると思われますので、実はあと1つ負けても大丈夫だったのです。2敗で千秋楽を迎えられれば、消化試合を生まずに最後の最後まで優勝争いを持ち越すことは出来たのです。まだ必死に勝ちに行く段階ではなかったのです。

本来、横綱は立ち合い変化などしてはいけません。「大男と大男がドーン」の最強の男が横綱なのですから、最強のドーンで相撲の魅力を体現しなくてはならない。横綱に挑戦する相手方も同様です。お客は横綱のスゴいドーンを見たいのですから、ドーンと行くべきなのです。そして、そのドーン&ドーンが「力士は大きいなぁ」「スゴい迫力だなぁ」「横綱は強いなぁ」と単純明快にファンを感嘆させ、大相撲観戦の満足感を生むのです。

今年の春場所十四日目、初優勝と綱取りを懸けた大一番。鶴竜が白鵬を相手に見せた突き刺さるような鋭い立ち合いは、大相撲の魅力を遺憾なく示すものでした。突っ張った手が大きな音を鳴らし、白鵬をものけぞらせました。いい相撲でした。鶴竜は人生を分ける一番でも見事なドーンができる力士であり、だからこその横綱なのだろうと思います。「相撲の面白さ」とは何か、今一度考えを巡らせてもらい、十三日目以降の土俵に臨んでもらいたいもの。横綱・鶴竜は、「相撲の面白さ」を表現するに足る、抜群の力量を持っているはずなのですから。

(文=フモフモ編集長 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/