伊藤雅俊(90歳、セブン&アイHD名誉会長)、鈴木敏文(82歳、同会長)、故・藤田田(日本マクドナルド元会長)ら数多の経営者の謦咳に接し、自らの血肉にしてきた男がいる。企業支援会社リヴァンプ社長を務める澤田貴司氏(57歳)。伊藤忠商事、ファーストリテイリングを経て、ダイエー再建にも関わった異色経営者に、流通産業の表も裏も知り尽くす作家・佐野眞一氏が迫る。(文中敬称略)

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 澤田が入社16年目の1997年に伊藤忠を辞めたとき、澤田が接点を持ったのが、ユニクロの名前で店舗展開中の山口県出身の洋服チェーン店だった。澤田が入社した当時、店はまだ300店ほどしかなかった。

 澤田はユニクロに店長候補で入ったが、その実力はすぐに認められ、社長の柳井正が入社1年で副社長にまでひきあげてくれた。かの有名なフリースブームを仕掛けたのも澤田である。最終的に柳井から「私は会長に退くから社長になってくれないか」といった話まで持ちかけられた。だが澤田はこの社長人事を最終的に断ることになる。

「柳井さんが会長の会社で、僕が社長をやる意味は何なのかなって、僕の中では消化できず、答えが出なかった。要は、社長と副社長でいいじゃないかと。僕としては、もうそれは難しいと思ったので会社を出たんです。社長を受けないっていうことは行き場がないわけですから」

 代わって社長に抜擢されたのは、後に澤田と共にリヴァンプを立ちあげる玉塚元一(52)だった。社長就任を断ったことで社内に居づらくなった澤田は、2002年ユニクロを去る。一方、玉塚はこの5月にコンビニ業界に身を転じた。この業界の人の出入りはまことにめまぐるしい。

──柳井さんは、どんな方でしたか。

「ものすごく誠実で、ユニクロのことが大好きで、誰よりもユニクロをよくしようと努力している人なんじゃないですか」

 澤田の口調は、鈴木や伊藤を語るときのトーンとは明らかに違っていた。一言で言えば、澤田が柳井を語るときの言葉には熱がこもっていなかった。澤田のユニクロで最も腐心した仕事の一つは、離職者をいかに食い止めるかだったという。そのために定着率が高いと評判の企業トップに積極的に会った。最も強烈な印象を受けたのは、日本マクドナルド創業者の藤田田だった。

「定着率をいかにあげるかという件に関しては、藤田さんが書いた本が役に立ちました。誕生日には社員一人一人に手紙を書くとか、社員の奥さんに直接ボーナスをあげるとか」

──彼の発言は出鱈目なようで、的を射ている。マックバーガーを食べ続ければ、日本人は百年もすれば金髪になるって言ってたけど、本当に男も女も金髪になっちゃった(笑)。

 後日談がある。澤田率いるリヴァンプは2006年からロッテと共同でクリスピー・クリーム・ドーナツというドーナッツチェーンを展開しているが、同チェーンの日本展開の権利を争ったのが日本マクドナルドだった。権利は、一度は日本マクドナルドが獲得することになる。そのとき、藤田からこんな電話があった。

「澤田くん、君は頑張ったみたいだけど、あの権利は結局オレがとった。でも、(同チェーンの日本展開に関わりたいなら)君にはまだ二択が残されている。クリスピーの社長になるか、あるいはマクドナルドに来てオレの下で働くかだ、と(笑)」

 いかにも藤田らしい殺し文句である。結局、その後、藤田が死去し、日本マクドナルドも経営が傾いたことから同チェーンの日本展開の権利は澤田が得ることになる。

※SAPIO2014年12月号