撮影/岸本勉・PICSPORT

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 11月18日のオーストラリア戦後、香川真司が「オーストラリアは思った以上につないできて、まったく別のチームになっていた」と話した。「スピードのある選手、フィジカルのある選手が前線で起点になっていたし、とくに前半はなかなか難しかった」と続けた彼の肌触りは、ブラジルW杯のアジア最終予選との比較だろう。

 大阪のピッチに立ったオーストラリアは、確かにこれまでと異なる印象を抱かせた。フィジカルを際立たせるロングボールの活用は限定的で、3人のMFと3トップが臨機応変にポジションを入れ替える。屈強と背中合わせの硬質さが、取り除かれつつあることをうかがわせた。もっとも、最終的に彼らが頼りにしたのは、途中出場のケーヒルの高さだったが。

 2006年にOFCからAFCへ転籍してから、オーストラリアとはアジアの公式戦で対戦してきた。欧州でプレーする選手が数多い彼らは、アジアの戦いで世界を感じられる希少な存在だ。オーストラリア相手に自分たちの意図するサッカーができなければ、世界のトップクラスを打ち負かすのは難しい。
 
「オーストラリアはまったく別のチームになっていた」と香川は話したが、日本も変わっているのだろうか。古い資料に当たってみたくなった。
 
 僕が取り出したのは、7年前のアジアカップのDVDである。2007年7月21日にハノイ(ベトナム)行われたオーストラリア戦だ。アジアカップの準々決勝である。
 
 イビチャ・オシム監督率いる日本は、良く動き、良く走っている。バンコクから移動してきた相手に対して、日本はグループステージからハノイに滞在している。気候への慣れというアドバンテージはあるものの、青いユニフォームの活動量は黄色いユニフォームを明らかに凌駕している。
 
 改めて映像を観ると、オシムが構築した中盤のメカニズムは興味深い。システムを数字で表記すれば4−4−2になるが、中盤の4人はいい意味でポジションが曖昧だ。
 
 鈴木啓太と中村憲剛がダブルボランチを組み、中村俊輔が右ワイド、遠藤保仁が左ワイドという基本布陣のなかで、高い流動性を実現している。中村憲はトップ下のようにプレーし、ペナルティエリアを何度もまたぐ。両サイドへも飛び出す。中村俊と遠藤もサイドに貼り付かず、中村憲を含めた3人でひんぱんにポジションを変えていく。
 
 それでいて、中盤のバランスが崩れることはないのだ。オーストラリアがボールに食いついてこないところはあるが、不用意にボールを失うシーンがまったくない。相手の圧力を受けてボールを奪われそうになっても、すぐにカバーが入る。
  
 アンカー気味にプレーする鈴木のスペースケアが効いているのだが、彼もときに前線へ出ていく。その代わりではないが、ディフェンスの局面ではふたりの中村と遠藤も自陣深くまで下がっている。サイドバックの攻撃参加もスムーズで、4人のMFを中心にチーム全体が攻守に機能していた。
 
 ひるがえって、現在の代表である。

 年内最後のテストマッチに臨んだアギーレは、ザッケローニの遺産で勝利をつかんだ。ブラジルW杯の代表選手がボリュームを増し、オーストラリア戦では前半途中からシステムが4−2−3−1へ変更された。2対1の勝利を呼び込んだ一因である。
このまま4−2−3−1でアジアカップに臨むのか、それとも4−3−3がベースとなるのか。アギーレの判断に注目が集まるが、置き去りにしてはならない前提がある。

 日本人らしいサッカーができているかどうか、である。

 7年前のハノイでオーストラリアにPK勝ちしたチームは、4−4−2を基本としながら4−1−3−2にも4−3−3にも変化した。ビルドアップの局面で鈴木が最終ラインに下がり、両サイドバックを押し出して3バックになる場面もあった。

 オシムはベンチから戦況を見つめ、テクニカルエリアに出てくることはほとんどない。選手自身がピッチ上で考えを巡らせ、主体的にゲームを進めていたことが伝わってくる。何よりも、躍動感に溢れている。選手が楽しそうにプレーしているのだ。

 日本は変わった。失われたものがあると、僕には感じられた。