『水声』川上 弘美 文藝春秋

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 近所の図書館に川上弘美似の司書さんがいらっしゃる。ネットの美人作家ランキングでは必ず名前があがる川上氏と、顔立ちも背が高いところも似ておられる。あと声がかわいい。私が通う書店と図書館にはもれなくひいきの店員さんもしくは司書さんがいらっしゃるのだが、その中でも川上さん(仮)はナンバーワンだ(2014年11月現在)。先日夫と一緒に図書館に立ち寄った折、「今日は川上さん(仮)に応対してもらえてラッキー!」とうっかりカミングアウトしてしまった。すると夫に「え!店ごと図書館ごとに気に入った人がいんの?」とツッコまれたので、「当然いるよ!港ごとに女がいる船乗りのようなものかしらね」と答えたら、氷のように冷たい目で見られた。え〜、みんないないの?

 本書は、主人公・都とその弟・陵が子どもだった頃から、ふたりが50代半ばとなった現在まで、時代を行ったり来たりしながら書かれた家族の物語だ。戦中から終戦直後の閉塞感を語る戦争経験者がまだ身近だった環境や、昔のいわゆるいいところのご家庭の雰囲気(ねえやがいるとか実家が紙屋であるとか)については、私くらいが「そういえば世の中こんな感じだった」と思える最後の世代かもしれない(私は都たちよりだいたい10歳ほど年下になる勘定だ)。都と陵とエキセントリックなママとつかみどころのない印象のパパが登場するこの物語を読み始めると、すぐに強く感じるのは家族関係の濃密さだ。両親たちはいかにもわけありな感じだし、都と陵もただの姉弟というには親密すぎる。そう、この本は家族小説であると同時に恋愛小説でもあるのだ。

 世間には兄弟姉妹をひとりの異性としてみてしまう人がいる。自分ではあくまで知識としては知っているというだけの話で、実感とはほど遠い感覚だが。私にも弟がいるけれども、恋愛の対象になり得るなどとは一瞬たりとも思ったことはない。とはいえ、ずっとそばにいて相手のいい面をたくさん見る機会がありながら(例えば、中には誰もが見惚れるような美形の兄弟姉妹がいるようなケースもあったりするだろうに)、ほとんどの場合恋心に発展しないのは不思議といえば不思議である。きっと大多数の家庭においては、一緒に育つうちに「家族に抱く愛情は、恋愛感情とはまったくの別物」という意識も自然に育まれるのだろう。個人的には弟に対して特別な感情を持ったりせずにすんでほっとしている。そこに恋愛のようなややこしいものが持ち込まれてしまったら、家族との平穏な暮らしは成り立たないのではと思うからだ。現在進行形で身内に恋愛感情を抱いておられる方にとって、口出ししてほしくはないことかもしれないが。

 登場人物たちも心の奥底では波立つものもあると思うし、実際に感情が高ぶる様子も描写されるのだが、全編を通して感じられるのは一見「静」のイメージだ。川上作品を読むといつも思い浮かぶのは、水面を進む白鳥の姿である。優雅な動きに見えて、実は水中では激しく水をかいている白鳥。表面的には素知らぬふりをしていても、不穏さを内に秘めて生きる彼らと重なる。ママの死後に残された者たちがどのように生きていくことにしたのか、最後まで見届けていただきたい。

 本書で特に印象的だった登場人物といえば、ママと都たちのいとこの奈穂子だ。著者の描くインパクトのある母親像としては、ママと『光ってみえるもの、あれは』(中公文庫)の主人公の母親とが双璧だろう。なかなか彼らのように(特に人の親となった後に)自由にふるまえる人間はいないと思う。奈穂子はそんなにたくさん出番があるわけではなく物語の進行上はいなければいないで差し支えのないキャラクターなのだが、彼女が家族以外の視点を持ち込むことによって物語に厚みが生まれたという気がする。子どもの頃は奈穂子の方が周囲から浮いている様子だったのに、結婚してふたりの息子の母親となったあたりから、都よりもはるかに地に足のついたキャラクターになった。ちなみに、彼女は帰国子女。英語の発音がよすぎてセブンアップを「セヴンナッ」と言ったりするところが、帰国子女あるあるな感じだ。

(松井ゆかり)