盛りあげよう!東京パラリンピック2020

 今から50年前の今日、第2回パラリンピックが東京で開幕した。そんなメモリアルな11月8日に2020年東京パラリンピックに向けた連載をスタートする。この連載では、2020年東京パラリンピックを成功させるために、今の東京または日本は何をすべきか、もしくは何をもって東京パラリンピックは成功と言えるのか、たくさんの方々の言葉を通して探っていきたい。

 まずは、NPO法人STANDの代表で、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の顧問を務める伊藤数子氏に話をうかがった。当連載の中でインタビュアーとしても登場していただく伊藤氏に、最初は「障がい者スポーツと自らの関わり」を通して見える障がい者スポーツについて語ってもらった。

―― 伊藤さんが障がい者スポーツに携わるようになったきっかけを教えてください。

伊藤:2003年に金沢で仕事をしていたころ、地元の電動車椅子サッカーのチームをボランティアではなく、ファンとして応援していました。そのチームが、大阪で行なわれる全国大会出場が決まったときに、ある選手が「僕は行けない」と言ったんです。理由を聞いてみると、障がいの関係で行けないということが分かり、その選手に試合を見てもらう方法はないかと模索しました。それが障がい者スポーツと深く関わるきっかけなりました。

―― 具体的にはどんなことを行なったんでしょうか?

伊藤:当時、大阪の試合会場から携帯でインターネット生中継をしました。1試合中継するのには大きな費用がかかるところを、通信系の企業さんが協力してくれたおかげで中継が実現できたんです。

―― その中継はうまくいきましたか?

伊藤:はい。金沢で見ているその選手のお母様が、パソコンの前で観戦中の写真を送ってくださいました。その写真に写っていた彼はユニホームを着ていたのです。一緒に戦っているんだ、と生中継の醍醐味を感じました。

―― その後も、インターネット中継は続けたのですか?

伊藤:翌年は主催の電動車椅子サッカー協会からの依頼で、その次の年は知り合いのチームの選手から「今年もあるって噂で聞いたんですけど」って(笑)。でも、そうやってまた見たいって期待してくれる人がいるんだと気づかされた一言でした。中継をどれだけの人が見ているかなんてカウントしていなかったんですが、これは続けよう!と決めたんです。

―― そこから活動が始まり、今のNPO法人STANDになったんですね。

伊藤:そうです。3回目の中継を決めたときに法人化をしました。今はインターネット中継のほかに、ウェブサイト「挑戦者たち」の運営、障がい者スポーツの体験会の主催の3つが主な活動になってます。

―― 順調に活動の輪を広げている一方で、障がい者スポーツならではの壁を感じたことはありますか?

伊藤:インターネット中継をしているからだと思いますが、「障がい者をさらしものにしてどういうつもりだ」と言われたことがあります。喜んでくれる人がいるという思いで中継をしていたので、さらしものにしている意識はもちろんありませんでした。なのですごくびっくりしたというか、考えさせられるきっかけになりました。

―― これを言った方も、ここまでに辛い思いや経験をしてきたのかもしれないですね。

伊藤:そうですね。子どもだったり、家族を守るために言った言葉なのかもしれません。実は選手からは1度もやめてと言われたことがなくて、インタビューや中継に行くと、「もっと出して」って言ってくれるんです。やっぱりスポーツって見てもらうものじゃないですか。大会に出ている選手にとっては、観客はいたほうがいいし、写真が載ったらうれしいもので、そこは全く(健常のスポーツと)変わらないと思います。

―― 大会に出てくる選手は一部の選手で、出たくても出られない、出る勇気がないという方はたくさんいるんですか?

伊藤:たくさんいます。大会に出てくるようなトップの選手も含め、障がい者がスポーツを始めるときは、『障がい者スポーツセンター』というところに通った選手が多くいます。例えば足を切断した人が市民プールに入るのはやはり臆するということもある。周りも障がいを持った人だけなら、あまり遠慮なく立ち振る舞える。障がいのある人、ない人一緒にという考えももちろんありますが、一方で障がいのある人たちだけだから始められるという環境も大事だと思いますね。

―― その障がい者スポーツセンターは現在どのくらいあるんですか?

伊藤:現在、専門の障がい者スポーツセンターというのは全国で23カ所あります。それだけではなく、今まであった地域のスポーツセンターに障がい者スポーツセンターの役割も持たせていこうという取り組みがあり、そういった場所も合わせると、今は114箇所あります。

―― 東京にオリンピック・パラリンピックが決まったときには、最初にどんなことを思いましたか?

伊藤:一番強く抱いた感情は"焦り"でしたね。決まったときであと7年。国や組織委員会など公的機関がすること以外に、私自身も何かやらなきゃいけないことがあるはずだと思いました。早く見つけて、行動しなければ、という思いでした。

(つづく)

【プロフィール】
伊藤数子(いとう かずこ)
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにして障がい者スポーツと深く関わるようになった。現在、障がい者スポーツ競技大会のインターネット中継はもちろん、障がい者スポーツの楽しみ方、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

スポルティーバ●文 text by Sportiva