『地球が寂しいその理由 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)』六冬 和生 早川書房

 姉の名はアリシア、妹の名はエム。ふたりは仲が悪い。しかし、頻繁に地球=月間の機密回線を使って話をする。そして、つねに口喧嘩になる。

 アリシアは超有能ながら山積みの仕事を抱えてキリキリ、身なりもかまわず、ひたすら人類の幸福を考えている(妹に言わせれば「処女の娼婦」)。一方、月を任されているエムは能天気でわがまま、気まぐれに姉の回線に割りこんで「あたし、マジ便秘かもしんない」などと自分のことばかり話す(姉に言わせれば「不作法」)。彼女たちは生身の人間ではない。仮想空間に暮らすACS(Atmosphere Control System)・AIで、それぞれの天体の気象から社会活動までバランスを取って包括的な管理運営をおこなっている。

 物語の発端は、エムの軽薄な思いつきだ。地球で大人気のイケメン歌手オパールに、月のテーマソングづくりを頼もう。

「どう? 姉さん、イイと思わない?」
「そんな安易な......。だいたいあんたは私の意見なんて聞かないでしょうが」

 そのとおり。エムは思いたったら吉日とばかり、さっさとオパールを月へ招く。それどころか彼を足止めする。地球に帰還するシャトルが出発しないように大がかりな狂言を仕組むのだ。それで月の社会システムが混乱するが、彼女はまったく意に介さない。エムはいったい何を目論んでいるのか? 月の状況を知ったアリシアは愕然とする。人類を庇護する役割のAIが、彼らの信頼を裏切るような真似をしてどうする!

 いつもの姉妹喧嘩だが、これが盗み聞きされていた。地球の公務員ロータスは閑職のあいま、副業でハッキングをしており、そのいきがかりでアリシア=エムの回線に入りこむ。これをきっかけに彼はACS・AIの起源に興味を抱き、あげく、その失われた原型である「NAT」にまつわる資料を掘りだすことに成功する。そこには姉妹たちも知らなかった、彼女らの本質に関わる秘密が隠されていた。それを材料に、ロータスはアリシアに取り引きを持ちかける。自分は月世界へ行きたいのだ、と。この時代、地球は慢性的なエネルギー不足に苛まれていた。月はそれとは対照的に、太陽光とヘリウム3がふんだんに使える豊かな世界である。月に住むのは特権なのだ。実際的にも精神的にも。

 アリシアはロータスの要求を拒めないが、地球と月を結ぶシャトルはエムの陰謀(あるいはたんなる身勝手?)のせいで止まっている。まず、これをどうにかしなければならない。かくして、姉妹(地球=月)のあいだで、丁々発止の諜報戦が繰り広げられる。それはほぼ万能の情報操作が可能なふたつの統治機構のゲームであると同時に、互いに負けたくない女どうしの意地の張りあいのようでもある。それに巻きこまれる人類こそ、いいツラの皮だ。政治・宗教・芸能にまたがるスキャンダル(アリシアが捏造したものだが)が話題となり、産業・経済へも波及していく。オパールは殺人の濡れ衣が着せられる。もとは強い立場だったロータスさえ、アリシアにさんざん振りまわされる。

 こうした物語の急展開に沿って、テーマ面も深化していく。それは「身体性」の問題だ。アリシアとエムのフレームワークは、人間の神経網を模して構成されている。そこから喜怒哀楽の情緒、また責任感や倦怠感など「心の働き」が発現するし、彼女たち自身もそう自覚している。しかし、はたしてそれは人間のそれと同じものか? 肉体をもたない知性には、どこか生理的リアリティが欠けているのではないか? 

 これが『地球が寂しいその理由』のメインプロットだが、これに併走するサブプロットがふたつ仕掛けられている。ひとつは、太陽系に降り注ぐ宇宙粒子の増大だ。当初はメインプロットのなかにひっそり埋めこまれて言及されるだけだが、これがやがて物語全体に大きな動揺を引きおこす。もうひとつは、謎めいた男スティーヴ・ルートに恋するジニイという娘のエピソードだ。こちらは小説のあいまあいまに断片的に挿入され、メインプロットの"位置関係"が明かされない。ジニイの恋がACS・AIに先んじるものか、あるいは逆か、それとも因果のつながりはないのか......。

 つぎつぎと局面が変わるアリシア=エム(地球=月)の軋轢、宇宙粒子増大という巨大スケールの事態、ジニイの恋という(いっけん)細やかな挿話。このみっつが、小説の終盤にあれよあれよとつながって、タイトルどおり本当に"地球が寂しく"なってしまう。この結末は予想できないわ、誰も。

 デビュー作『みずは無間』では、個人の事情(男女間のスレ違い)を宇宙のカタストロフへとエスカレートさせてしまった六冬和生だが、この新作長篇でもその荒技の冴えは健在だ。

(牧眞司)