10月特集 東京オリンピック 1964の栄光、2020の展望(7)

 50年前の東京オリンピックで日本・男子体操チームは、ローマ大会に続く団体2連覇を果たしただけでなく、個人総合で遠藤幸雄が金、鶴見修治が銀メダルを獲得。さらに、種目別でも計6個のメダル(金3個・銀3個)を獲得し、世界中に「体操ニッポン」のイメージを強く印象づけた。

 そのころから長きに渡って、体操競技の採点方法として慣れ親しんできたのは、「10点満点」制度だった。しかし、その制度は2005年を最後に廃止され、2006年からは演技の難しさを評価するA得点と、実施の完成度を10点満点で採点するB得点(2009年からはDスコア、Eスコアと表記)の合計点で争われるようになった。

 一方、選手のレベルも年々進化を遂げ、高難度の技を取り入れることで、今では15点台や16点台という高得点を見るのも当たり前となってきた。だが、改めて体操という競技を振り返り、この50年でどうように変化していったのか、また、東京オリンピック当時の演技を、今の方式で採点したら何点ぐらいになるのか――。そんな疑問を解決すべく、日本体操協会・常務理事の遠藤幸一氏に話を聞いてみた。

「得点の変遷を語るにおいて、もちろん『技の進歩』は欠かせませんが、同時にルールや器具の変化もセットで考えないといけません。たとえば、かつてのあん馬は倒立技が禁止でしたし、跳馬も以前の馬型からテーブル型に変わったことで、技の種類が増えました。また、女子の段違い平行棒も、東京オリンピックでヒロインとなったベラ・チャスラフスカさん(当時チェコスロバキア)の時代は、2本のバーの間隔が調整できなかったものの、今では広げられるようになりました。その時々の流行(はや)りすたりによって、この50年間で体操競技の特性は変わっていったのです」

 また、50年前と現在とでは、「採点方式がまったく違う」と、遠藤氏は語る。そこでまず、体操の採点ルールがどのように変化していったのかを教えてもらった。

「50年前の採点方式は、5人の審判員が関与し、主審を除く4人の審判員が『実施5・0点』『難度3・4点』『構成1・6点』(合計10点満点)の配分の中で採点していました。そして最も高い得点と、最も低い得点をカットした残りの2名の審判員の平均値を出し、それを選手の得点にしていたのです。

 一方、現在の採点ルールでは、『難度点』の上限がなくなり、その難度の評価は2名の『D審判員(D=Difficulty/難しさ)』が採点します。一方、演技の出来栄えは5名の『E審判員(E=Execution/完成度)』が10点満点から減点して採点します。そして、そのうちの上下をカットした3名の得点の平均値がEスコアと呼ばれ、D審判員が採点したDスコアとの合計点が選手の得点になります」

 ではなぜ、そのように採点方式が変更されていったのか――。それは、「技の難度が上がるに従って、ひとりの審判員がすべてを採点するのが難しくなったから」だと遠藤氏は語る。

 50年前の採点方式は、『難度3・4点』が最高点だったため、それ以上の難度の技を行なう必要がなかった。しかし、東京オリンピックで日本チームが、当時最高難度の「C難度」の技にひねりを多く加えた「C難度以上の技」を披露した。これが、世間で良く知られている「ウルトラC」だ。このC難度以上の技が誕生したことで、難しい技をもっと評価しようという議論が発生。1968年のメキシコ・オリンピックでは、難度の高い技に挑戦するなら、出来栄えが悪くても減点を少なくしようという緩和ルールもできた。しかし今度は、「その評価は主観的で分かりづらい」という声が挙がり、その後、何度もルールを変更する試行錯誤が続いたという。その結果、現在では、難度を判定するD審判員と、出来栄えを判定するE審判員という分業制になった。

 そのような背景を踏まえた上で、東京オリンピックでの金メダリストの演技を、今の方式で採点してもらった。遠藤氏が例として挙げたのは、東京オリンピックの種目別ゆかで金メダルに輝いた、イタリア代表のフランコ・メニケリだ。

「メニケリ選手の演技は、『1回ひねり』のひねり技が一度のみで、A難度の技とB難度の技が5回ずつ、という内容でした。よって、現在のルールで採点すると、Dスコア(難度点)は3・5点になります。メニケリ選手が失敗することなく完璧に演技しても、Eスコア(出来栄え点)の満点は10点なので、合計でも13・500点にしかなりません」

 昨年、ベルギーで行なわれた世界選手権の種目別ゆかで金メダルに輝いた白井健三は、予選で新技のひねり技を連発し、16・233点という高得点を叩き出した。最高難度の『4回ひねり』を含めたひねり技を9回も入れた白井のDスコアは7・4点。メニケリ(3・5点)と比べると、一目瞭然の差である。

 ただ、このような得点差を示した上で、遠藤氏は両者の演技についてこう説明した。

「ひねり技に関して言えば、当時はオリンピックで『1回ひねり』を入れるだけでも、すごいことだったんです。1970年に世界で初めて『3回ひねり』を披露したのは、オリンピック3大会で合計9個のメダルを獲得した監物(けんもつ)永三さんです。それから40年間以上、ゆかの種目では『3回ひねり』が人類の限界点だと言われていました。白井選手が披露した『4回ひねり』は、体操器具の進化も関係しているでしょう」

 50年前のゆか種目は、木材の上にウレタン素材のマットを載せ、その上にじゅうたんを敷いた造りで演じていた。しかし現在では、マットの下にスプリングが敷き詰められ、大きな反発力を生むように進化している。

 また、遠藤氏は、「体操競技に求められるものも、当時と今とでは異なっている」と語る。

「東京オリンピックでのメニケリ選手を見てみると、タンブリングの難度だけではなく、技のつなぎ部分でバランスをとったり、身体を前方に伏せたまま脚を前後に開いて柔軟性を見せたり、そこから飛び跳ねるような動きを加えたりと、様々な身体的表現を演技構成に組み込んでいます。当時は、そういう体操競技全般の動きが求められていました。演技の流れの中で、物語性のある芸術作品のような表現をするのが、ゆか種目だったんです」

 だが、現在はG難度まで増えた難度の高い技を、いかに限られた時間の中に詰め込むかが勝負のカギとなっているため、演技内容に物語性を盛り込む余裕はない。時代の流れとして仕方のない部分はあるにせよ、「人間味のあったものが、次第に機械的なものになってしまった」と遠藤氏は言う。

「しかし、昨年に開いた女子チームの審判講習会では、1968年のチャフラフスカさんのゆかの演技を、参考資料映像として使いました。音楽に合わせた動きをして観客に何を伝えたいのか、芸術的な表現も求めてはどうか......というメッセージを女子チームに送ってみたんです。ただ現状、それが点数に反映されるのかといえば、難しいでしょうね」

 ただ、採点方式の歴史は、今も変化し続けている。今年10月の世界選手権・男子団体で完璧な演技をした日本が、難度の高い構成ながらミスもあった中国に0・1点差で敗れたことで、「これはおかしいのでは?」という声も上がってきたという。

「演技の出来栄えを示すEスコアを見たとき、世界選手権の個人総合では、2年続けて内村航平が最高得点をマークしました。まさに、『きれいな体操をする』という彼の真骨頂でしょう。しかし、今年の世界選手権では、種目別のつり輪と平行棒で田中佑典がEスコアの最高点を出しているのです。それまでは内村ひとりが突出していましたが、他の日本人選手もそれに追随してきました。そういう評価が世界で高まり、彼らの発しているメッセージ(きれいな体操)が伝わるようになれば、体操の採点ルールも少しずつ変わっていくかもしれません」

 採点競技は常に、時代が要求するものによって変わっていくものだ。内村航平や白井健三が見せている最高の演技は、50年後、一般大衆の目にどのような形で写っているのだろうか。

折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi