新世紀の音楽たちへ 第3回「アレンジの現在、群体としての同人音楽」

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今回から、同人音楽の「音楽」について書いていこう。普通のCDショップなどで容易に手に入れられない同人音楽の「音楽」に手を伸ばすために、今回は「アレンジ楽曲」にフォーカスをあててみることにする。

そもそも「アレンジ楽曲」って何を指すのだろうか。

いろんな人が言うように(この連載でも何度か紹介した井手口さんの本でも言及されている)同人音楽における「アレンジ楽曲」の数の多さや幅の広さは他の音楽文化にはそうそう見られない現象で、まさに特筆に値する。商業における様々なトリビュートアルバムも近年珍しい企画ではなくなってきたとはいえ、アレンジ楽曲がひとつの「ジャンル」になるほど--たとえばTSUTAYAで「アレンジCD」の棚が作られるほど--一般に広く認められているとは言えないだろう。

ところが、同人音楽ではアレンジ楽曲がひとつの「ジャンル」を形成しているわけだ。

ちょっと前の――今でも――同人即売会では「AのB風アレンジ」というポスターや作品をよく見かけた。Aに入るのはアニメやゲームのタイトルだったり、アーティストの個人名だったりと様々ながら、Bのところには〈ボサノバ〉とか〈オーケストラ〉とか、音楽のジャンルが表記されることが多かったように記憶する。音楽ジャンルと作品ジャンルの出会いがアレンジ楽曲の魅力なのだ。

その作品ジャンル、つまり原曲はアニメやゲームが非常に多く目立つ。アレンジのジャケットやボーカルアレンジの歌詞も原作へのオマージュが多い。同人音楽のアレンジカルチャーの隆盛は「オタクカルチャー」抜きには語れない側面だなあ、と思ったりもするんだけど、アニメやゲームだけがアレンジ楽曲の全てではない、ということも知っておいてほしいと思う。

アレンジ楽曲が広げたシーン


同人音楽でアレンジ楽曲が隆盛したのはDTMの隆盛などの音楽環境に恵まれていたことが大きい。たとえば、DTMとMIDIによって旋律や音色を模倣しやすくなり、新しい音やリズム、bpmの変更などが容易になった。こうしたアレンジ楽曲を制作しやすい環境が整っていたことは前の連載でも触れた通りだ。

新世紀の音楽たちへ 第2回──DTMと電子音楽が同人にもたらしたもの

もうひとつ「歴史的な経緯」もある。同人音楽とアレンジ楽曲との関係は、著作権問題MIDI狩り、もしくはコンテンツ企業からのひっそりとした協力など、ほかの音楽文化とは異なる、少し特殊な発展のいきさつをたどってきた。でもこのあたりのいきさつは僕も詳しくは知らない(し、実はとっても複雑な話なので)のでいまはカットする。

それに、DTMやMIDI狩り、電子音楽の発展と同人音楽のアレンジカルチャーとの繋がりはまだ「ミッシングリンク」が多い。つまりよくわかっていない。技術の発展、権利や法律の問題、権利団体の動きに、聞き手や作り手の好み--これらの経緯は非常に根が深いのだけれど、まだまだ未解明な点も多い。でもようやく最近いろいろなことがわかってきてもいる。特にMIDIの歴史との関わりは深く、いろいろな論者がこれに注目してもいる。東京芸術大学大学院の日高良祐さんらがMIDI以降の音楽シーン(ネットレーベルなども含む)などについて近年盛んに研究している。この辺りのことに興味がある読者も多いだろう。

話を戻そう。ゼロ年代初頭では、上述したようなゲームやアニメのアレンジCDが同人音楽の「花形」だと見られていたらしい。たとえば「葉鍵系」といわれる、LeafやKeyといったメーカーのエロゲー楽曲のアレンジが好まれていて、その存在感たるやすさまじいものだったと聞く。葉鍵系アレンジは今も健在だし、もちろんその頃(今でも!)からアレンジ楽曲は目立つ存在であった。エロゲー楽曲アレンジ作品の群体は「同人音楽」という言葉を広める一つの強いきっかけをつくってもいた。何を隠そう、僕が初めて買った同人CDもMintjamhttp://www.mintjam.net/mj/)さんの「CLANNAD」アレンジだったのである(ドャァ)。

MintJam - Light Colors (CLANNAD Tomoyo After)




アレンジ楽曲の魅力はその「親しみやすさ」だ。知っているゲームやアニメの作品であれば知らないサークルの作品でもちょっとは興味も惹かれるだろう。アレンジ楽曲の「親しみやすさ」は作り手の参加も促した。好きなゲームのアレンジを聴いて「あ、俺もアレンジやってみたい!」と思うのは自然なことだろうし、そうしたアレンジが「作品ジャンル」としてまとまっているのも同人音楽ならではだろう。こうした作品「群」の大きさについてはのちにも触れる。

現在でも、2007年以降「東方アレンジ」がニコニコ動画でムーブメントを起こしたことは記憶に新しい。アレンジ楽曲群がもっているポテンシャルの大きさが知られる一例だと思うけれど、ここまで多数の、しかも良質のアレンジ楽曲を作り出すことに成功した作品は(幸運にも恵まれたにせよ)さすがにめずらしい。

でも、こうした「アレンジ楽曲」の魅力はその原作の多様性にもある。葉鍵系→ラグナロクオンライン→東方→艦これのような形で、隆盛を誇る各作品ジャンルの変遷を追うことが、「アレンジ楽曲」の音楽史であるかのように語られる場合もある。けれども、他の作品のアレンジも常に(それもまた多数)存在していたのだから、ちょっとアンフェアな見方かなと思う。

IOSYS『東方紫雨天獄』


IOSYS『東方紫雨天獄』

東方アレンジを始め様々なアレンジ楽曲を手がけるIOSYSの東方アレンジCD。東方泡沫天獄、東方銀晶天国に続く、天獄シリーズの三作目。



【次のページ】様々なカルチャーを取り込む同人音楽のアレンジ楽曲

様々なカルチャーを取り込む同人音楽のアレンジ楽曲


同人音楽の「アレンジ楽曲」が作品ジャンルにばかり注目されるのは、その時々でブームになった原作のアレンジ楽曲が、各イベントで瞬間的に多く出回るという「アレンジ楽曲の特殊な目立ち方」による部分も小さくない。ただ、それはアレンジ楽曲の熱量を証明するものではあるけれど、アレンジカルチャーの全てではない。同人音楽における「アレンジ」の領域はもっとずっと広いのだ。ここから少し楽曲紹介。

現在の同人音楽を見渡してみても、アレンジやトリビュートCDは非常に目立つ。例えば、Ayai Factoryによる『岡崎律子トリビュート』のようなクリエイターに焦点を当てたトリビュートCDがある。

Ayai Factory「岡崎律子トリビュート-The 1nd Voices-」
Ayai Factory「岡崎律子トリビュート-The 2nd Voices-」

岡崎律子トリビュートより「Hello!」(歌:綾依夏子)


【ニコニコ動画】岡崎律子トリビュートより「Hello!」(歌:綾依夏子)

また、クラシック楽曲のアレンジも根強い人気がある。こちらはamorphoushttp://amorphousmusic.blog84.fc2.com/)によるブラームスの「交響曲第1番4楽章」のアレンジ楽曲集。しかもボーカル付きである。

amorphous




最近では、NHK教育の「みんなのうた」のアレンジコンピレーションCDが企画された。現在では第二弾も出ていて、これも面白い試みだと思う(ついつい買ってしまった)。

みんなでみんなのみんなのうた その1




こうした試みのほかに、オリジナルCDの中に数曲のアレンジ楽曲が加わっていることもある。

アレンジ元を二つ以上とる楽曲もある。二つの原作をミックスした作品もアレンジ楽曲として認識されている。例えば、COOL&CREATEhttp://cool-create.cc/)さんというサークルには「パチュ・メイカー」という別名(?)をもつ「ラクト・ガール」という楽曲だ。

ラクト・ガール


【ニコニコ動画】【drizzly train】ラクト・ガール【COOL&CREATE】

こんな風に同人音楽の「アレンジ」の枠組みは「アニメやゲーム」にとどまらない。アレンジの方法やコンセプトまで色々な工夫がなされている。アレンジ楽曲の世界は、音楽の広い領域にまたがっているのだ。

作品ジャンル×音楽ジャンルの共存


こうした幅広いアレンジ楽曲を支えているのが、上述した「AのB風アレンジ」における「B」の部分だ。織物にたとえればAは縦糸で、Bは横糸。これらが編み合わされたところに「アレンジ楽曲」が生まれる。

アレンジ楽曲には「A」に対する深い愛情だけではなく、「B」に対する専門的な音楽的知識や技能も要求される。アレンジ楽曲は、原作への愛と、クリエイターたちの「音楽」に対する情熱とが交じり合う音楽世界なのだ。

別の言い方をすれば、同人音楽におけるアレンジとは、アレンジ元の「作品ジャンル」とアレンジを加える「音楽ジャンル」が交差することで「原作」に対して多様な関わり方をすることなのだ。だから、同人音楽における「アレンジ楽曲」は、作り手の音楽性が試される場所でもあり、原作に対する愛や反応でもある。音楽を作ることと受け取ることの二重性を帯びている。

一般的には原作を前面に押し出したアレンジ楽曲が--需要層が一定あるにせよ--広く認められているとは言いがたいかもしれない。けれども、こうした「アレンジ楽曲」や「トリビュート作品」が同人音楽の中できちんと認められていることは幸福なことだ、と僕は思う。

まず、音楽ジャンルにとっては新しいリスナーを獲得するきっかけになりやすい。

ある好きな原作のアレンジがあれば、普段聞かない音楽ジャンルの楽曲でも購入を検討するきっかけにもなる。アレンジをつくる側にとっては、普段自分たちが親しんでいるような音楽ジャンルを聞かない人にも音楽を届けることができるようになる。それに、「同じ原作が好き」という回路は音楽性の嗜好だけではなく、聞き手と作り手の間に親近感を持たせることがある。

こうした作り手と受け手の距離の縮め方はオリジナリティや作家性の高さ(だけ)を評価するような音楽文化ではちょっとむずかしいように思われるし、逆に原曲をそれと分からないほどに分解してしまっても難しいだろう。同人音楽のアレンジ楽曲群は、作り手と受け手を原作を介して結びつける「あわい」にある、不思議な空間を作り出しているのだ。

艦これアレンジCD『Old navy never die』


艦これアレンジCD『Old-navy-never-die』

DMMゲームスによるブラウザゲーム『艦隊これくしょん』も同人音楽のアレンジカルチャーに大きな影響を与えた。Morriganさん、リリィさんの手による楽曲は勿論のこと、『BLACK LAGOON』の広江礼威さんのイラストが目を引く。オリジナルのイメージ楽曲も2曲入り。



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原曲があるからこそ際立つ作家性



と書いたけれども、アレンジ楽曲はまた別の軸で同人音楽に「ひと味変わった」作家性の強い音楽を根付かせるきっかけもつくってきた。特定の音楽ジャンルと共存させるのではなく、クリエイターの個性と原曲とを正面から戦わせる、原曲から大きく離れるようなアレンジを作り出す試みだ。

ぼくらのうた「翼をください」


【ニコニコ動画】ぼくらのうた 「翼をください」
このbermei.inazawahttp://www.studio-campanella.com/)さんのアレンジは「AのB風」といった枠では説明しにくい。「アレンジ楽曲」では、原曲にメロディラインが定まっていたり、耳に馴染みがあるからこそ、新しい音楽的冒険が行われる場所にもなっている。それが「同人音楽」の中に特異な楽曲を発生させるきっかけにもなっている。

「アレンジ楽曲」がしばしばコンピレーションCDとして制作されることも重要だ。原作を軸として複数のクリエイターたちを集めるコンピレーションCDは、アーティストたちがそれぞれに意識しあい、個性的な作品を生み出す場ともなっている。

こんな風に、同人音楽のアレンジ楽曲やコンピレーションCDは決してゲームやアニメのオマージュにとどまるものではないし、オタクたちが自分たちの趣味を密やかに分かち合うためだけのものでもない。それだけではなくて、アレンジ元の原作に対する「愛」を音によって表現する営みでもあれば、自分の好きな音楽ジャンルに新しいリスナーを吹き込む通気口にもなり得る。

クリエイターを引き合わせるアレンジの力


こうした原作と音楽ジャンルが交差する「アレンジ」には、多くのクリエイターを巻き込む強い求心力をもつことがある。

その力は国境すら超えてしまうことだってある。

ボーカルも手がけるfoolen(https://soundcloud.com/foolen)さんが手がけた『古川本舗リスペクトアルバム "Through the Lyrical-Glass"』は日本、中国、台湾、香港、インドネシアのクリエイターたちが集まってつくられたアレンジCDだ。ボカロPとして活躍する古川本舗さんへの愛と、その音楽への参与が国境をまたいで作り手を結びつけている。音楽は国境を越えると言うけれど「アレンジ」であればもっと国境を越えやすくなる。音楽もすごくいい。「アレンジ」の可能性を存分に感じさせてくれる一枚だ。

『古川本舗リスペクトアルバム "Through the Lyrical-Glass"』は日本、中国、台湾、香港、インドネシアのクリエイターたちが集まってつくられたアレンジCDだ。ボカロPとして活躍する古川本舗さんへの愛と、その音楽への参与が国境をまたいで作り手を結びつけている。音楽は国境を越えると言うけれど「アレンジ」であればもっと国境を越えやすくなる。「アレンジ」可能性を存分に感じさせてくれる一枚だ。

古川本舗リスペクトアルバム "Through the Lyrical-Glass" クロスフェード




猫招き歌劇団・らぐほ『けいおん! イメージソング集 け・い・お・ん・ぶ♪』


猫招き歌劇団・らぐほ『けいおん! イメージソング集 け・い・お・ん・ぶ♪』

イメージソング集。アレンジ楽曲とは異るが『けいおん!』メンバーの楽曲を作ってみたという作品。原作を意識したものとして、アレンジ以外にこうしたイメージアルバムもたくさんある。



【次のページ】「群体」として認識されるということ

「群体」として認識されるということ


「アレンジ楽曲」はこんな風に大きな可能性を秘めている。けれども、オリジナリティを重視すること、作家の「名前」を軸に作品を享受することに慣れすぎた僕らはアレンジ楽曲をある面で〈見下して〉しまいやすいと思う。「ふふん、本当に優れているのは、天才的な感性から生み出された唯一無二のオリジナル楽曲であって、アレンジなんていうのは大したもんじゃないのさ」と。

ところがそんな考えは単純に間違っている。実際の楽曲制作のプロセスから考えてみても「作曲者天才主義」は間違いだ。

楽曲はメロディやリズムの組み合わせだけではないし、ある「歌詞と曲」がお店で売られるCDになるまでにはたくさんの「門番」(プロデューサー、ディレクター、エンジニア、スタジオ、営業云々)を通過しなければならない。中でも楽曲を調整(編曲)するアレンジャーと呼ばれる人々の役割は非常に大きい(が、日本ではその役割が正当に理解されていないかもしれない)。アレンジャーがいなければ多くのバンドはCDを作る上で非常に困ったことになるだろう。原曲に対して編曲作業を加えることは、通常の商業音楽の制作過程でも普通に行われる一方、今クラシックの名曲として知られる曲がかつての地域民謡をオーケストラ用に編曲したものであったりすることも珍しくない。こうした「編曲」と原曲を前面に押し出す「アレンジ」はそのプロモーションは異るが、作業として大きな懸隔があるわけではない。

アレンジは、オリジナルのカウンターとして存在しているわけではない。また何か既存の楽曲に風味を付け加える調味料のようなものでもない。アレンジとはそもそも極めて創造的な営みであり、音楽的に重要なことなのだ。

同人音楽におけるアレンジ楽曲では同じ作品ジャンルの楽曲が集まることで音楽ジャンルを異にする作品を「一連の作品」に見せる働きがある。それは即売会におけるサークル数かもしれないし、動画サイトの再生数かもしれない。聞き手は動画やサウンドクラウドのタグの量、あるいは即売会のキーワード、動画サイトなどの視聴数等によって、原曲や他のアレンジ曲の総体を知らなくてもアレンジ楽曲を「群体」として認識できる。たくさんのアレンジがあることで一つのカルチャーが形作られる。それってなにげにすごいことじゃないか?

アレンジ楽曲が生み出す作り手と受け手の相互作用はとても強いのだ。「葉鍵」や「東方」のアレンジ楽曲群が示すとおり、アレンジ楽曲を作ること、聞くこと、楽しむことによって、新しい音楽シーンをつくり出すことだってあるのだ

まとめ


この連載もなんども繰り返しているが同人音楽のシーンは多面的だ。こうしたアレンジ楽曲のシーンがオリジナル楽曲や種々の音楽ジャンルの楽曲と共存しているのが同人音楽の面白さだと僕は思う。でも、「アレンジ楽曲」を軸にした作り手と受け手の「親しさ」は、他の音楽文化がノドから手が出るほど欲しいものの一つなのだ。僕達の「アレンジカルチャー」の可能性は、僕らが当たり前に思ってるよりもずっと強く、広いはずなんだと信じていたい。君が買えなかったゲームのアレンジが、今まで聞いたこともないような編曲がここにはある。

だから、アレンジCDを楽しもうぜ! と言ったところで今日はここまで。次回は民族音楽(調)音楽の魅力について触れていく予定。

新世紀の音楽たちへ/安倉儀たたた の連載記事


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