『プリムローズ・レーンの男〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)』ジェイムズ レナー 早川書房

 開幕からいきなり猟奇事件だ。「プリムローズ・レーンの男」と呼ばれる謎の老人(彼はボロ屋敷に独居しいつもミトンをはめている)が不可解な死を遂げる。何者かに胸を撃たれたあと、自分の指を切り落としてミキサーで粉砕し、そのあとに失血死したのだ。警察は被害者の身元を突きとめるが、それは偽装されたものだった。

 ノンフィクション作家のデイヴィッド・ネフ(彼がこの作品の主人公)は、担当編集者ポールに促されてこの事件を追いはじめる。彼はかつてベストセラーをなしたが、愛妻エリザベスを失ったダメージで筆を折っていたのだ。エリザベスは産後鬱による自殺とされるが、その遠因に幼いころ双子の姉が誘拐され戻ってこなかったトラウマがあったとも考えられる。デイヴィッドはひとりで息子タナーを育てており、この父子の結びつきがこの作品を貫く芯となっていく。

 ポールがデイヴィッドに「プリムローズ・レーンの男」事件の調査を勧めたのは、カムバックの好機(世間の好奇心に訴えるネタだ!)と考えただけだ。しかし、奇妙な因縁の糸がデイヴィドに絡みはじめる。死んだ老人は手書きノートの束を残しており、そこにはケイティー・キーナンという娘の生活が克明に記されたいた。警察の聞き取りでは、彼女は老人とまったく面識がなかったという。デイヴィッドはまず取材対象としてケイティーと会うが、しだいにふたりは気持ちを通わせるようになる。妻のことが忘れられないデイヴィッドだが、積極的にアプローチするケイティーを拒むことはできない。彼はふとしたおりに、ケイティーの容貌に既視感を覚える。エリザベスの行方不明になった姉エレイン(デイヴィッドは写真で見ただけだが)と似ているのだ。

 未解決のままのエレイン誘拐、そしてケイティーに対する老人のストーカーまがいの観察、さらにデイヴィッドがかつて著作の題材に取りあげた少女連続殺害事件......。物語が進むにつれて、これらが共振をはじめる。ケイティーとエレインの空似(?)というだけでなく、断片的な証拠がしだいにつながっていくのだ。当初は探偵役だったデイヴィッドだが、警察は彼を「プリムローズ・レーンの男」事件の容疑者と見なすようになる。そのうえケイティーをつけ狙う男の影がちらつき、新しい猟奇事件が予感される。

 とにかく、物語の中盤までは謎の連続である。読者はいくたびも立ちどまって考えるだろう。はたして、この小説はどのような機構なのか?

(1) 不可解な事態の背後にはSF的アイデア、もしくは幻想/妄想の要素があり、最終的には合理的な説明がなされる。
(2) 一連の事件にはミステリ的なトリック(あるいはミスリーディング)が仕掛けられており、それがすっかり解きあかされると日常の地平へ戻る。
(3) 不思議に思えることは偶然であり人為も因果もない。しかし、そこに意味を見てしまうことでアンチミステリ的「魔」が生じ、読者を宙づりにする。

 素朴に読んでもこのみっつの可能性は思いつく。むしろ、作者は物語の中盤までにこの選択肢を、ほとんど明示的に読者に差しだしているといってよい。真相へと近づく登場人物たちの思考の動きも、エピソードが語られる順序(過去や未来のできごとが断片的に挟まれたりする)も、その選択肢のあいだをめぐっているのだ。

 しかし、この手のジャンル越境エンターテインメントはこんにち複雑化の度を増していて、上のみっつの範疇にすっきり収まるとはかぎらない。その好例がスティーヴン・キングの『63/11/22』(文藝春秋)だ。以前に紹介したとおり[http://www.webdoku.jp/newshz/maki/2013/09/24/203057.html]、あの作品は機械論的因果律に沿う時間SFに、アンチミステリ的な「偶然の魔」の不穏さをなめらかに溶かしこんでいた。まあ、『プリムローズ・レーンの男』が小説デビューとなる新人ジェイムズ・レナーを、巨匠キングと比較するのはさすがに酷だろう。しかし、一歩間違えれば使い古されたアイデア・ストーリー、大味なハッタリと情緒のエンタメに転落しそうなところを、しっかりバランスをとっているあたりはみごとだ。

 SF設定に限っていえば、パズル的にロジックの円環を解く楽しみが用意されている。しかし、はたしてこれは因果がキレイに閉じているのか? 分岐したあげく発散(?)しそうにも思えるのだが......。興味のあるむきは、ぜひ挑戦してみてください。

 一方、主人公デイヴィッドやその息子タナーを突き動かしている切迫感も、この作品の読みどころである。愛する者を救いたいという感情が第一なのだが、それに加えて「執着」としか呼びようのないものに憑かれている(実はそれがSF的アイデアやミステリ的謎の構成にも関わっている)。この「執着」は作中だけのものではなく、この物語を追う読者へも染みこんでくる。どれほどシビアななりゆきであろうと、事件の顛末と登場人物の運命を最後まで見届けずにはいられない。

(牧眞司)