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○X-37計画の歴史

ところで、米空軍はなぜこのような宇宙機を持つことになったのだろうか。

X-37計画はもともと、1999年に米航空宇宙局(NASA)主導の計画として立ち上げられた。当時NASAは、米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)と共同で、スペース・ローンチ・イニシアティヴ(Space Launch Initiative)と名付けられた計画を進めていた。これは次世代のスペースシャトルや、高性能な新型ロケットエンジンを開発するという野心的な計画で、X-37はその一環として検討されていた。同年中にはボーイングとの間で最初の契約も交わされている。

まず最初に、X-37の約90%の大きさの試験機X-40Aが造られ、1999年から2001年にかけて、NASAドライデン飛行研究センター(現在のアームストロング飛行研究センター)で滑空飛行試験が実施された。これにより、X-37の大気圏内の飛行をシミュレートするとともに、誘導技術の開発などに役立てられた。ちなみにX-40Aはスペース・マニューヴァー・ヴィークル(Space Maneuver Vehicle)という名前も与えられているが、もちろん実際に宇宙を飛行することは考慮されていなかった。

だが、2003年2月1日にスペースシャトル・コロンビアの空中分解事故が発生し、それを受けて米国の宇宙政策は大きな大転換を迎える。2004年1月14日、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領は「宇宙探査ビジョン(Vision for Space Exploration)」を発表し、スペースシャトルを引退させ、月や火星への有人探査を目指すことを明言した。

これを受けてNASAでは、その方針に沿った宇宙計画としてコンステレーション計画を立ち上げることとなり、スペース・ローンチ・イニシアティヴは中止となる。コンステレーション計画はスペースシャトルで使われていた技術を活用してロケットを造り、速やかに月や火星に人を送り込むことを意図したものであり、まず新しい技術を開発してロケットを造るという、地道なスペース・ローンチ・イニシアティヴとは相反するものであった。そしてNASAには両方の計画を進めるほどの力はなかった。

ところが、X-37に関しては、開発のパートナーであったDARPAが引き取ることになった。2004年9月13日に正式に移管され、同時にX-37は機密扱いとなり、出てくる情報の内容や、またその頻度は少なくなった。

拙稿『小型スペースシャトル「ドリーム・チェイサー」 - 半世紀の夢を追い続けて』の中でも触れたように、国防総省や米空軍ではX-20ダイナソアにはじまり、長年「翼を持った宇宙機」というものに対して強いこだわりを持ち続けている。このときもX-37に、NASAが考えていた以上の価値を見出していたのかもしれない。

また、国防総省ではかねてから宇宙への輸送コストを下げる手段を模索しており、1980から90年代には、戦略防衛構想(SDI)や限定的攻撃に対するグローバル防衛(GPALS)と関連して、単段式の再使用ロケットの検討を行っていた。実際にデルタ・クリッパーという実験機を開発し、試験も行っている。その点からも、再使用によって打ち上げコストを下げられる可能性を持つX-37は魅力的だったのだろう。

DARPAではまず、それまでNASAと共同で開発をしていた、X-37の滑空飛行試験機を使った飛行試験からはじめた。この機体はX-37アプローチ&ランディング・テスト・ヴィークル(ALTV:Approach and Landing Test Vehicle)、もしくはX-37Aと呼ばれる。

DARPAによって機体構造や前脚などに改良が加えられ、2005年6月21日にはカリフォルニア州のモハーヴェ空港において、航空機に吊るされた状態での飛行を行っている。ちなみに、このとき母機として使われた航空機はスケールド・コンポジッツのホワイトナイトで、この前年には、民間企業が独力で開発した宇宙船としては初めて宇宙空間に到達したスペースシップワンを、上空まで運ぶ役目を担った。

そして2006年4月7日、X-37 ALTVは初の滑空飛行を実施した。高度4万フィート(約12km)まで運ばれ、そこから投下されたX-37 ALTVは、順調に飛行し、モハーヴェ空港の滑走路へ滑り込んできた。だが着陸時に前脚を破損し、滑走路から外れた場所で停止した。ただ、試験自体は成功とされている。また同年8月18日に2回目の、そして9月26日には3回目にして最後の滑空飛行を行っている。これらはすべて成功し、有益なデータが集められた。

それらを踏まえ、同年11月17日に米空軍は、X-37Aを基に、実際に地球を回る軌道へ飛ばすことを目指した機体、X-37Bを開発すると発表した。実際に計画を進めるのは米空軍のラピッド・キャパビリティーズ・オフィス(Rapid Capabilities Office)と呼ばれる部署で、即応能力室とでも訳せようか。そこに米空軍研究所(U.S. Air Force Research Laboratory)とNASAが参画した。機体の製造は引き続きボーイングが担当することとなった。

打ち上げ手段については、もともとX-37計画がはじまった当初は、スペースシャトルのペイロード・ベイに搭載して宇宙まで運び、そこから放出するという方法が検討されていた。しかし、肝心のスペースシャトルが引退してしまったため、既存のロケットの先端に搭載されて打ち上げられることになった。またこれも、当初はデルタIIロケットが検討されていたが、後にアトラスVロケットを使用することが決定されたという経緯がある。

X-37Bの開発過程に関する情報は極めて少ない。2009年には地上走行試験(タキシー・テスト)を実施していることが分かっているが、それ以外は写真もないほどだ。ただ、大気圏内の飛行はX-37 ALTVで実証済みであったためか、滑空飛行試験が行われた形跡はなく、もっぱら機体の構造や耐熱システム、自律飛行のための搭載機器やソフトウェアの開発が主だったと見られる。

(次回は10月23日に掲載します)

(鳥嶋真也)