普通に戦えば0―3、0―4は当たり前。ブラジル戦は、試合前からスコアが予想できる試合だった。アジアカップに向けてのテスト。メンバー選考を兼ねた準備試合。相手がブラジルであろうが、テストはテスト。勝ち負けを度外視して戦おうとしたわけだ。接戦は、ブラジルがよほどヘマしてくれない限り望み薄。虫のいい話だと分かっていた。よって、目の前に突きつけられた0−4という結果に驚くことも、落胆もしない。

 だが、このような前提の試合に日本のファンが慣れていないことは確かだ。勝利至上主義に基づくメディアの結果報道とも相性は良くない。1―0で辛勝した前戦のジャマイカ戦では何とか丸く収まったが、0―4で惨敗した今回はどうだろうか。ファンは素直に受け入れることができるか、はなはだ疑問だ。

 来月行われる2試合(ホンジュラス戦、豪州戦)も、アジアカップに向けてのテスト。さらにテストは、アジアカップ終了後も続く。2018年ロシアW杯直前まで、親善試合はほぼすべてテスト。本番を4年に一度のW杯とするならば、そういうことになる。

 だが、ザッケローニも、その前の岡田さんもテストに積極的でなかった。従来のメンバーを優先したがる監督、悪く言えば、そのつど結果を欲しがる監督だった。目の前の勝利よりテストを重んじた日本代表監督は、その前のオシムただ一人と言っていい。だが、そんなオシムに「何をしてくれるんだ、この監督は」と、懐疑的な目を向けるファンは少なくなかった。そしてそのオシムは、病気のため、わずか1年あまりで退任した。

 テストは日本に浸透していない文化、習慣と言っていい。目の前の勝利とテストを天秤に掛けた時、テストに重きを置こうとする監督、すなわちアギーレは、日本人にとって異文化になる可能性が高い。

 本番は4年に一度。W杯予選も本番と言えば本番だが、アジア枠が4.5枠もある現状を鑑みれば、勝つか負けるかが本当に問われる試合は5試合未満だ。その他の試合には、テストの要素を入れ込む余地がたっぷりある。

 2018年の6月まで、あらゆる可能性を探る。これが日本代表監督に求められる姿勢だ。

 ザックジャパンの教訓そのものだったはずだ。メンバー固定化の弊害が、最後に出てしまった。いま柴崎を称賛するメディアは少なくないが、彼は急に巧くなったわけではない。ザックジャパン時代から、いまと変わらぬパフォーマンスを見せていた。なぜ半年前、1年前に騒がなかったのか。

 岡田ジャパンも同様だった。本番が迫るとメンバー固定化の弊害が露呈。チームは立ちゆかなくなった。岡田監督は、ぶっつけ本番で一か八かの策を敢行。それまでのメンバー、戦い方を一新する大博打に打って出た。それが奏功。ベスト16という好結果を生んだが、結果オーライの産物であったことも事実。強化プランとしては大失敗だった。

 4年間という時間をどう使うか。代表監督に問われるのは、サッカーの中身もさることながら、その時間の使い方にある。試合数はその間、50〜60に及ぶ。つまり代表戦は、月イチで4年間続く帯ドラマのようなものなのだ。ところが、日本人はともするとそれを、一話完結の2時間ドラマとして見てしまう。連続性を楽しむ余裕を持ち合わせている人は相変わらず少ない。一戦必勝の考え方が、本番に災いすることを、先のブラジルW杯で学んだばかりだというのに、教訓として活かそうとする人は少ない。

 何よりテレビが、そのようなムードで中継する。必勝を煽ろうとする。視聴率が欲しいからだ。テレビは、監督にはテストなどという言葉を、できれば使って欲しくないと考えているはず。勝ちにくい設定を自らに課して臨む――では、盛り上がるものも盛り上がらない。その結果、ブラジル戦のような惨敗を喫すれば、次回の視聴率に悪影響が出るかもしれない。スポンサー離れも進んでいくかもしれない。