惨敗したブラジルW杯から約4ヵ月、サッカー日本代表はアギーレ新監督の下、2018年ロシアW杯に向け新たな歩みを進め、今日14日にはブラジル代表と対戦する。10年以上にわたって日本のサッカーに関わり、世界のサッカーシーンにも精通する名将オシムの目に、その姿はどう映っているのか。ジャーナリストの木村元彦が直撃した!

■多くのことを本田にまかせすぎた

ジャケットにポロシャツというラフな格好で“シュワーボ”(オシムの愛称)はやって来た。場所は彼の自宅があるオーストリア第2の都市グラーツ。地元クラブのシュトゥルム・グラーツの監督時代(1993−2002年)から行きつけにしている中華料理店で会食をしながらのインタビューとなった。

すでにブラジルW杯における日本代表の惨敗要因については、各メディアから何度も聞かれていたであろうが、少しだけ振り返ってもらった。

オシム 日本はそれまで98年(フランス大会)から4大会連続でW杯に出場していた。その経験によって、親善試合ではない、真剣なステージでの戦い方というものを学んできたはず。大会に向けてのコンディション調整の方法やキャンプ地の選定に、その蓄積をもっと生かすべきだった。

―確かに、ザッケローニにはW杯で戦った経験がないということは、当然ながら最初からわかっていたことで、そこは日本サッカー協会がもっとバックアップすべきところだったかもしれません。

オシム チームにおいては、果たして本田があのポジションと役割でよかったのかどうか。多くのことを彼にまかせすぎた。判断や動きだしのスピードが遅く、手詰まりになっていたのは否めない。当時、彼には大きなストレスがたまっていたのではないだろうか。W杯が終わってからのACミランでの復活は何も驚くことではなく、もともとの彼の能力によるものだ。

―そしてブラジルW杯後、日本は新しい代表監督にメキシコ人のハビエル・アギーレを選択しました。シュワーボは、アギーレが最初にメキシコ代表の指揮を執っていた当時(01−02年)から彼を知っていると思いますが、どのような印象を持っていますか?

オシム メキシコ代表監督のときよりも、彼が(スペインリーグの)オサスナの監督をしていたときに、よくテレビ中継で試合を見ていた。そう、02年から06年頃だから、ちょうど私のジェフ(市原・千葉の監督)時代と一緒だが…。当時はまさか彼が日本代表の監督になるとは思わなかった。

私の印象は、アギーレは一度決めたことを必ずやり続ける意志の強さのある人物だということ。厳しい指導で、選手たちに自分が求めていることを正確に実行させるタイプだ。今の日本人選手にとって、そういった厳しさ、規律は必要なのかもしれない。

規律というのは、ただ“神風”になってアタック(玉砕)しろということではない。チームのために意志を共有し、ハードワークをするということ。アギーレはブラジルW杯後の失意にある選手たちに向けて再度、規律の重要性を説き続けて代表に変化をもたらすだろう。私の好みからすると、少し頑固すぎるところがあるかもしれないが。

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●イビツァ・オシム

1941年生まれ。90 年イタリアW杯で監督としてユーゴスラビア(当時)代表をベスト8に導く。2006年から日本代表を率いるが、07年秋に脳梗塞で倒れて辞任。11年4月からボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会・正常化委員長として同国のW杯初出場実現に尽力した

■週刊プレイボーイ43号「アギーレジャパンへのオシムの言葉」より